空っぽの真ん中を埋めるもの


■「おかえり!」

2000年5月に淡路プラッツの初代塾長・蓮井学さんが病気のため49才で亡くなり、当時のスタッフは大学を出たばかりの井村良英君(現・たちかわ若者サポートステーション所長/NPO法人「育て上げ」ネット地域担当部長)だけとなったので、僕がヘルプで淡路プラッツに入ることになった。

フリッパーズギター「ラブ&ドリームふたたび」

そのとき僕は「ドーナツトーク社」という個人事務所を開業していて、主として不登校(あるいはハイティーンのひきこもり)対象の訪問支援活動を行なっていた。
月〜土まで、多い時で週10人は訪問しており、大阪府池田市に古い事務所を構えていた。

ドーナツトーク社は、不登校関係の支援者育成セミナーを開いたり、「学校に行かなければいけないのか」といった哲学的倫理的テーマの勉強会なども主催していた(この勉強会が朝日新聞にとりあげられたことが、僕が大阪大学の「臨床哲学」で本格的に哲学を学ぼうと思ったきっかけにもなった)。

今回淡路プラッツから独立する趣旨を知った人たちがいろいろなルートで僕に連絡をくれているのだが、2000年前後のそうしたいきさつを知っている人は全員、僕の独立を讃えてくれた。
いろいろな表現ではあるが、全体的には「おかえり!」的なニュアンスが大きく、そうした人たちにとっては、どうやら淡路プラッツでの僕は、僕が持っている可能性のひとつであったらしい。
昔の知り合いにとって、プラッツにいる間の僕とは、他の可能性を一時的に控えている僕のように映っているらしかった。

それが事実かどうかはもはや僕にはわからない。それだけ、この10年、僕は「淡路プラッツ」という居場所にべったり浸かってきたのであり、プラッツ=居場所=自分だったから。

■いろいろな「トーク」

けれども、先週からプラッツが自分の中で徐々に相対化・背景化し始め、13年前にプラッツに入り同時に大阪大学の臨床哲学に入り鬼のように勉強したことなどが一気に思い出されてきた今、その前の「ドーナツトーク社」において、何をやろうとしていて何が中途半端に終わっていたのかもゆっくりと思い出しつつある。

今回僕は、4月から「officeドーナツトーク」という名前で仕事を始めるつもりだが、このドーナツトークという言葉は、フリッパーズギターの「ラブ&ドリームふたたび」という曲の中にさりげなく出てくる言葉だ。それはこんな文脈の中で唐突に現れる。

 バレードのトロンボーンと 撃つためのドライフルーツ
 あやふやで見栄ばかりはる 僕たちのドーナツトーク
 髪を長く伸ばしてみて 元には戻らないと知るはず
 意味のない言葉を繰り返すだろう 向こうの見えない花束のよう

小沢健二がどこかで語っているように、歌詞そのものに意味を与えないそのパフォーマンスそのもので、我々の「コミュニケーションのはかなさ」を滲み出させる手法は見事で、当時のフリッパーズファンはこの曲に誰もがガツンとやられたはずだ。

でもまあ、この曲そのものよりも、ドーナツトークという単語が換気するイメージに僕は何よりも惹かれた。ドーナツという輪っかでつながりながらも、その真中は空虚である。そこを人は「トーク」という方法で埋めようとするものの、それはトークにしかすぎないから、あやふやで意味がないことだらけだ。

それでも我々にとっては「トーク」が最大の手法であることは認めざるをえない。そこにはいろいろなトークがあるだろう。雑談、会議、カウンセリング、コンサルティング、居場所でのおしゃべり、愛の語らい、カフェ、ワークショップ、セミナー、講演……。

■「言いたいこと」は伝わらないから

デリダが『グラマトロジー』の中で指摘するように、言葉は我々にとって根源的「暴力」であるものの(言語による意味付け作業が混沌的自然を縮約してしまう=自然を歪めるという意味での暴力)、この根源的暴力なしでは我々人間はコミュニケーションできず、あるいは「夜の暴力」(デリダ)である物理的暴力を招き入れてしまう可能性を生じさせる。

記号化作用も含めた大きな意味での言葉なしでは、我々はコミュニケーションできない。だがそのコミュニケーションは常にスレ違いずれていく。これまたデリダあるいは東浩紀ではないが、コミュニケーションとは常に「誤配」し、その意味を「散種」していくものなのだ。
つまりは、「言いたいこと」や「伝えたいこと」は、いつも正確には伝わらない。その、必ず伝わらず誤解されるということが、言語的コミュニケーションのそもそもの定義だ。

ドーナツトークという単語は、僕にとって、このような広がりをもつ言葉だ。だから今回プラッツからフリーになり49才(蓮井学さんの亡くなった年齢だ)で再出発する際、ためらいなくこの言葉をもう一度使おうと思った。

このようなことは、13年前には恥ずかしくてストレートに語ることができなかった。わかる人だけわかればいいという上から目線でいた僕なのだが、今回はもういい加減年もとったし、そもそもこのようなことを正面から語る大人が現在圧倒的に少なくなった。
信念や理念で行動する大人がいるということを(恥ずかしいけれども)若い人たちに知ってほしいという意味でも、僕はこれからはこのようなことを丁寧に語っていこうと思っている。★

参考 4月からフリーになります!! 
   3/16はドーナツトークのプレイベントで

  ♫ ♫ ♫

小出しですみません!! 「哲学者になる@広島」3本目。
ここがハイライトです(次回ブログか、次々回にはまとめます〜)


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