やさしさの根源

 


 僕は今年、大阪や沖縄で共同親権研究会を主催してきたが、そこに参加する別居親たち(父が多いが母も含む)の持つ「静かさ」とやさしさにいつも気付かされる。

 

それら別居親たちの多くは、月1回の子どもとの「面会交流(冷たい言葉だ)」さえ果たせないことが多い。4人に1人の別居親しか月1面会交流ができず、それ以外は何年にも渡って実際に子どもと会っていない。

 

月に1回子どもの「写真」が送られてくる「間接交流」というまやかしの方法もある。それすらなく何年も子どもと会えない別居親も普通に存在する(何万人単位で)。

 

そうした事実を別居親たちは静かに語る。

 

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そこでタブーな話題が、「子どもが成人になったら会える(から今は我慢)」という励ましだ。家庭裁判所の調査官などがよく使う言葉だという。

 

その言葉は別居親たちを激しく傷つける。

 

そんなことは承知している。子どもが18や20才になり、自分の力で別居親を探し当て会いにくるエピソードも別居親の先輩達から聞かされている。また、僕のような支援者からも聞かされる(僕自身、あまり考えずにそうした言葉を投げかけたことも以前にはあった。今はものすごく反省している)。

 

別居親たちは、子ども時代をいま送る、「子どもとしての我が子」に会いたいのだ。

 

やがては思春期を迎え自我を確立し、高校を卒業すると同居親の元を去り、大学入学や就職をし、やがては自分と再会することになる。

 

その大人になってからの再会も求めてはいるが、何よりもその子が「子ども」である時代に別居親たちは会っておきたい。

 

別居親というか、親は、子ども時代の我が子をしっかりと記憶に焼き付けておきたい。

 

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3才までの子どもの笑顔の記憶があるから、長く続く子育てを親は引き受けることができるとよく言われる。

 

そうした「育児の代償としての子ども時代の記憶」という要素もあるが、別居親たちが求める「今のその子と一緒にいたい」という欲望は、育児のモチベーション形成のための記憶だけではないと思う。

 

それは、二度と戻らない子ども時代のその子どもの記憶の「刻みつけ」のようなものではないか、と僕は思う。

 

連れ去り/拉致のような暴力的出来事がなければ、子どものあり方の「刻みつけ」は日常的に親は行なっている。

 

子どもの笑顔、泣き声、怪我をして擦りむく、早朝トイレにつきそう、嫌いな茄子をチーズに包んで食べてもらう等々、何気ない日常の一つひとつが親の記憶となり無意識に沈澱し刻み付けられていく。

 

それはトラウマのようなネガティブな出来事ではないがメカニズムとしてはトラウマに似ており、あのフロイトが「不気味なもの」と呼んだものと同じようなメカニズムで生じるが、中身はいたって明るいもの、だ。

 

それはトラウマではなく、我々人間を人間として成り立たせているもの、その記憶によって我々が明るくやさしくなれるもの、いわば「やさしさの源泉」ではないかとこの頃僕は思う。

 

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子どもがいない人は、恋人や親友、人によっては親、人によってはペットとの何気ない日常の中にそうした「思いやりの源泉」を求め、現実の交流の中で無意識に沈澱させていく。

 

それがあるから人はやさしくなれる。誰かとの根源的なコミュニケーション(現実の場面ではそれは日常的な出来事の連鎖ではあるが)を通じて、人は思いやりややさしさを獲得していく。

 

だが子どもを連れ去られ拉致されることで、1人になった別居親たちは、自らのやさしさが形成され発動されることを「待ち続けている」ように僕には思える。自分のやさしさが生まれる瞬間をずっと待ち続けている。

 

別居親たちは、拉致さえなければ自然と獲得できたやさしさの源泉を奪われた。


その空振り感から「静けさ」が生まれてくる。

 

その経験がなくても十分やさしくはあるのだが、あればもっとやさしくなれたはずだ。

 

その空虚感が、その独特の静かさと沈黙を生んでいるように思える。子どもを拉致された父や母は、それでも子どもと時々出会うことで、目の前の子どもや人間たちにやさしくなりたい。

 

そんな、やさしさへの渇望のようなものを僕はいつも感じる。





※はてなブログ記事(2020年11月14日)を改題、加筆