気持ちリベラル、実は新自由主義



■「気持ちリベラル、実態ネオリベ(新自由主義)」

You Tubeにしろ大手ポータルサイトにしろ、この頃は批評性を完全に失ったようで、僕がよく見るユーチューバーさんなどはコロナを「例の流行り」と言い換えたりする始末だ。

また、エビデンス重視主義も浸透しており、昔の『噂の真相』のような記事はまず(名誉毀損訴訟が怖くて)書けない。

そうした左翼編集者・ライターが属しているであろうサイトを見ると、その変更ぶりを若い頃のように楽しめないから、社会のエートスの変化は怖い。

それはさておき、僕がこの頃気になるのは、表題にあるような「気持ちリベラル、実態ネオリベ(新自由主義)」という立ち位置だ。

これはおなじみのあの巨大NPOの代表を筆頭に、あちこちで見られる現象だ。

本人たちは「オレ(わたし)ってリベラル?」と斜に構えながらも自負しつつ、実態は限りなく新自由主義的態度ということ。

新自由主義とは、「行政の予算削減と民営化」のことであり、この民営化路線に限りなく乗っていること。

■日本全体が20年以上新自由主義に支配されているが

でもこれは厳密に言うと僕もそうで、8年前に大阪の大きなNPOを退職したあと貧困支援に切り替えて今の法人をつくりほぼ100%行政の委託事業で仕事をしてきた。

提携先の行政組織は良心的で、若者就労支援にあるようなソーシャルインパクト評価的エグい指標は求められない。限りなくNPOサイドに寄り添ってくれるので、僕はなんの不満もない(どころか、これら行政担当者の方々のおかげで内閣府の賞をいただくことができたと思っている)。

だが大きな目で見ると、この日本全体が、20年以上新自由主義に支配されており、ということはその末端の地方行政にも影響が及んでいる。

つまりは、ここ20年のNPOへの行政仕事の委託は、大きな目で見ると、「新自由主義化」のひとつだ。その意味で、officeドーナツトークも、新自由主義に曝されてはいる。

■病児保育、若者就労支援、食糧支援

このような「時代のパラダイム」の中にいる者であれば逃れられない新自由主義化とは別に、より一歩踏み込んで新自由主義するNPOたちがいる。それらはたとえば、

・企業目線での労働者確保、という点での「病児保育」
・企業目線での非正規雇用者確保、という点での「若者就労支援」
・企業PRを兼ねた貧困支援、という点での「食料配達」

等々に見られる。

これらは誰もが知っている大手NPOが行なう。若者就労支援では、ここにソーシャルインパクト評価という究極の成果主義的指標がからんでくる。
また貧困支援であれば、配達される食品は貧困支援でイメージできる「温かいお弁当」ではなく、食品企業が提示するレトルト食品や缶詰・菓子だったりする。

支援結果を効率的な数字(金額)で示して効率化し、PRも兼ねた菓子は、「効率化」の一言で表現できる。あるいは節約、合理化等。

最近の日本政府のだいぶズレたアイデア(マスク配送や旅行クーポン配布)なども、できるだけ予算を合理化する発想から出てくる具体案なので、NPOたちが行なう諸事業とも色合いは似ている。

病児保育も同じで、一見リベラル的ではあるが、実態は子どもが病気でも親の労働者に働かせる、企業目線の発想だ。子どもが病気であれば親は気楽に休み、他の従業員たちが余裕をもってフォローする、というのが市民目線の発想だろう。

病児保育は「保育」がついているため混乱するが、よく考えれば病児は家で休み親も休み、代わりに誰かが働けばいい。

■「サードウェイ」は何だったのか

注意しないと、あちこちに新自由主義的罠が仕掛けられている。
若い人は新自由主義の社会しか知らないので、こう指摘されても「?」だろうが、80年代前半までは世界中こんな感じではなかった。

それまでは逆に、(社会主義国は置いといて)資本主義国では、イギリスに見られるようにスーパー福祉・労働者目線の国が当たり前だった。
今から思うと労働者に配慮しすぎた政策の連発で、イギリスはポロポロ、アメリカも(反ベトナム戦争という風潮もあり)プチボロボロ、もちろん日本も非効率と赤字の嵐に襲われていた。

そうした停滞を打破するため、イギリスでサッチャー、アメリカでレーガン、日本でナカソネが現れて、同時に新自由主義的改革が断行された。

確かに、JRになってよかった。確かに、イギリスも蘇った。その他諸々よかった点はあるのだろうが、現在はその反動がヨーロッパにはやってきたようだ(「再公営化」のチャレンジ)。若者が左傾化するアメリカでも、単純な新自由主義はもはや古いはずだ。

3大経済エリアでは(政治体制の違う中国を除く)、この日本だけが新自由主義に浸り続けている。

また、そのことを指摘する批評家や政治家も少ない。政治組織では「れいわ新選組」がそれに当たるだろうが、まだまだ弱小組織だ。

イギリスでも、ブレア改革は結局「新自由主義の亜流」と捉えられることもあるようだ。
「サードウェイ」は何だったのか。これからの20年は、先端資本主義国で、本当のサードウェイが模索されていくことだろう。

■「変なリベラル」

こういう経過もあって、実態は新自由主義(行政の経費削減に民間として協力する)であるのに、発想は「左より」なことから、自分はリベラルだと勘違いしている団塊ジュニアリーダーばかりになった。

あるいは、そうした思想史・経済史をあまり知らず、流行りの「社会貢献」「寄付」に乗っていればオッケー的な軽いリーダーもいる。

もっと、なんにも知らないリーダーもいる。

そうした人々のかたまりが、「変なリベラル」を形成してしまった。気持ちはリベラルかもしれないが、実態は十分新自由主義な人たち。