「動くこと」の意味〜変な大人論④〜


■中岡先生

昨日、大阪大学で第29回臨床哲学研究会があり、社会人院生時代にたいへんお世話になった中岡成文先生の新著『試練と成熟〜自己変容の哲学』大阪大学出版会の合評会に僕もスピーカーの一人として呼ばれたので、久しぶりに阪大を訪れ(去年あった鷲田清一先生の退官記念講演以来)、少しだけしゃべってきた。
僕の話の中身は、中岡先生に新著でもとりあげていただいている、僕が数年前に出した岩波ブックレット『ひきこもりから家族を考える〜動き出すことに意味がある〜』を細かく解説したものになった。

先生の本の合評会で自分の本の解説をするというのは何か心苦しかったのであるが、ブックレット出版から4年たち、例の「スモールステップ」に関する考察がさらに深まっており、先生の御本の中にはこのスモールステップ論について4ページに渡って触れられていたため(しかも新著の最後半部分でとりあげられている)、昨日の研究会であらためて表を用いて説明したほうがいいのでは、と思った次第だ。


昨日のコメント自体は、最近僕がとりあげている「変な大人」論も含めて当ブログでふだん書いていることなので説明しない。
ここでは、僕の発表が終わったあとに先生からいただいた質問によって、僕が心のなかで「はっ」とさせられたことについて簡単に書いておこう。


先生はだいたいこのようなことを聞かれたのであった。
「田中さんは、この『思想ならざる思想』ともいえる、『動くこと』や『スモールステップ』の考え方について、どのようなところから着想されたんですか」


いや、「着想」ではなかったのかもしれない。何か元ネタのようなものがあったら披露してといった意味の質問ではなく、「どのような経緯から」「どのような動機で」、スモールステップ論や「動くこと」の重要性を説いているのかと聞かれたのだと思う。


■「動く」の元ネタ

僕が知っている限り誠実さナンバーワンの教授であるところの中岡先生が、公の場でこうした質問をされたということはある意味大きなチャンスだった。

けれども僕はこんな感じで答えてしまった。
「実は元ネタはドゥルーズなんです」

ブックレットを書きながらも、書いたあとも、昨日先生に答えたあとも、僕は本気で「動くこと」の重要性を教わったのはドゥルーズの本からだと信じ込んでいた。だから先生に自信を持ってそう答えたわけであるが、やさしい先生はさらっとスルーしてくれたので問題は深まらなかったものの、もしかすると元ネタはドゥルーズではないのかもしれないぞ、と家に帰って考え始めた。

ひきこもりの青年やその家族が変わるためには、心理的カウンセリングで内面ばかり覗いていてもなかなか変化することはできない。まずは親が情報を取得すること、そして親自身の身体を動かして説明会や面談に出かけること。
次に本人も心の内面のことはとりあえず置いといてまずは身体を動かし、「誰か」に出会うこと。その「誰か」は「変な大人」であることが望ましく、そうした変な大人との出会いは必ずその後の青年たちの「動き」を「動かす」こと。

これらは、ドゥルーズの書物群にそのヒントが書かれており、ポストモダン哲学の雄ドゥルーズの忠実な下僕である僕は、それらドゥルーズのヒントを忠実に現実化しているにすぎないと昨日まで思い込んでいた。

でも待てよ。よーく思い出してみると、『差異と反復』にも『ニーチェと哲学』にも『アンチオイディプス』にも、そうした言葉遣いは直接出てきてなかったような。
しいて言うなら『ミル・プラトー』と『意味の論理学』にそれっぽい言葉はあるようにも記憶するが、ドゥルーズは「水で酔え!!」とは書くが、「とりあえず動け!!」とはなんぼなんでも書かないだろう、と冷静に考えたのであった。

まあつまりは、ドゥルーズテイストで何となく使った言葉が「動く」ことだったというわけだ。
この適当さが僕らしくて笑えてしまうが、ああ、修士論文に熱中しすぎて博士課程の願書を提出し忘れて(←実話……)ほんとよかったなあ(適当なやつは研究者になれない)と思うと同時に、まさに昨日の経緯自体が、「動く」ことの重要性をまた一つ僕に教えてくれたのであった。

■変な大人自身にも効く

僕はかたくなに自分の概念の元ネタがドゥルーズであると思い込んでいた。けれどもたぶんそれは違うということが、昨日の中岡先生の質問をきっかけとしてわかった。
それは久しぶりに阪大へと赴き、臨床哲学研究会に参加し、中岡先生の質問に答え、そして一人で阪大坂を下りながら「あれ、何か変だぞ」と考え始め、こうしていまブログを書きながら再確認した、これらすべての「動き」を総合して、何かがすっきりした、ということだ。

また、何かをつかんだような気にもなった。その何かはまだまだ時間がたたないとわからないけれども、なにか一つ階段を昇ったような気になった。
ひとつステップを上がったのだ。

つまりは、動くことの重要性を説く僕自身、阪大に出向き人前で喋り先生の質問に応えることでこれまでの考え方が変わりそうな気になってきた。
中岡先生は僕のような単なる「変な大人」ではなく、何カ国語も喋れてものすごくきちんとしてて(でも結構変な冗談ばかり言う)超変な大人だけれども、それら一連の「動き」のなかで僕自身が変わりそうなのだ。

変な大人理論は、変な大人自身にも効く。そんなことを考えた一日でした。
あと、変な大人論に加えて、今回がいいきっかけなので、「動くこと」の意味論も同時に進めていきます。★






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