2017年1月31日火曜日

エヴァ新幹線は、エヴァのエントリープラグ内そのもの


■こだまエヴァ

この前、仕事で山陽新幹線に乗った際、それがたまたま例の「エヴァンゲリオン新幹線」で、なんとなくミョーな気分というか、1号機のエントリープラグ内に乗ったまま新大阪に向かって走ったような気分になったので、ここで報告しておく。

エヴァ新幹線がデビューしたのはだいぶ前のことだと思うが、実際に僕が乗ったのは初めてだった。
午前中の、岡山から新大阪を目指す「こだま」というマニアックな車両ということもあり乗客はそれほど多くなかったのだが、それでも混んでいた。

実は最初はその新幹線がエヴァ新幹線だとは僕はわからず、「青くてビミョーな新幹線だなあ」と思いながら、いつもの自由席1号車目指してホームを歩いていた。

僕は仕事で新幹線を利用することが多く、経費節減というよりは新幹線内で静かにパソコン仕事をしたいため、混んでいる指定席は避け、時に混むグリーン車も避け、試行錯誤した挙句、「ひかり」か「こだま」の自由席1号車の先頭席に座ることが、最も静かで仕事が捗ることに気づいた。

だからこの頃は自宅や仕事場を早く出てもっぱら「ひかり」か「こだま」に乗る。
そのエヴァ新幹線に乗った日は、実家のある香川から仕事場の大阪に向けて移動するため、岡山から新幹線に乗った。
これまでのポリシーから、当然僕は「こだま」を選んだ。

■「チャンス〜」とアスカ風

そのエヴァ新幹線の「顔」はこんなかたちだった。
メディアで見たとおり


最初の「ビミョーだなあ」はすぐに消え去り、「チャンス〜」とアスカ風のセリフがついつい漏れたあとは、撮影おじさんに僕は変身した。
だが、エヴァ新幹線は所詮「顔」だけだろうと思っていた僕が甘かった。

「顔」を撮影したとき、エヴァ新幹線のドアやホームや窓等、岡山駅ホームで走りながらあらゆる角度からスマホを構える謎の中年おしゃれ女性の姿が気になっていたのだが、その方は僕が新大阪までエヴァ新幹線に乗っている間、30回は目撃した。

要するにその方は「おたエヴァ女子」で、僕も「おたエヴァおじさん」なので、同類だ。その方意外にも、エヴァ新幹線内のあちこちで仲間たちとすれ違った。

圧巻は、いつも僕が乗る「こだま」1号車は展示専用となっており、こんなふうだった。


エントリープラグと僕

エントリープラグを正面から

乗務員さんもノリノリで記念撮影に応じてくれる。ちなみに、この1号車の入り口は数人の行列となっている。
この人が僕の写真を撮ってくれた
いつも仕事で座る席はどこにもなし。1号車全体がエントリープラグになっている。

また、BGMもいくつかのエヴァ曲が使われており、キーステーションでの車内放送はたぶん「カヲルくん」だ。

■あらゆるところにネルフ

上の写真は1号車で、2号車への通路はこんなふうになっている。
マークは当然ネルフ。というか「当然」か?

各席はこんな感じ。細かく撮影はしなかったが、あらゆるところにネルフマークがある。
座席の頭部分にも実はネルフマークがある


■庵野らしくない

500type eva projectという、フォントや文字づかいがファンにはうれしく、先程書いたおた女性が車内を行ったり来たりした衝動は僕もよくわかる。

そこはエヴァの体内そのものであり、1号車はエントリープラグそのものののように感じた。ゴォーっと轟音をたてて中国地方を走る「こだま」と、エヴァ初号機や2号機が富士山山麓を疾走するシーンが重なったのは、僕だけではないだろう。

もはやエヴァは「オワコン」ではあろうが、ここまでタイアップが完成させられると、それは中高年の郷愁と消費欲求を使徒的に吸い込み、何か買ってやろうあという気になっていたのだが、エヴァ新幹線は下のパンフレットとポストカードまでも無料で豪快に配っていたのだった。★

ポストカード

映画っぽいパンフ。どちらも無料。庵野らしくない。












2016年11月9日水曜日

NPOはなぜ走る?〜「読書会で寄付」があってもいい

僕はいまだにわからないのだが、青少年支援NPO関係者はよくマラソンする。そのことがチャリティーや寄付につながり、大阪マラソンでも大々的な宣伝されている(第7回大阪マラソン チャリティ寄付先団体公募のお知らせ)。

こう大々的に宣伝されると、マラソンと寄付は何か歴史的文脈でもあるのだろうかと説得されそうになるのだが、僕の不勉強のせいかこの2つの要素になかなかつながりを見いだせない。

が、大阪マラソンの宣伝では、この「長距離を走ること」と「社会貢献すること」が自然に結びつくように語られ、読むほうもそんなものかなあと納得しそうになる。

が、これは別にマラソンの必要はない。
たとえば、ロックイベントでもいいし、秋の収穫祭でもいいし、日本各地であるお祭りでもいい。
とにかく、何か賑やかそうなことと、「社会貢献」は無理するとお互いの文脈をつなげることはできる。

あるいは、「読書会」みたいな文系のイベントでもいいし、何かのお芝居でもいいし映画の上映会でもいい。
人が集まり、何かを真面目に追求する時、そこに「ソーシャル」性が生じると思う。

むしろ「マラソン」は、そのストイックな面から真面目すぎて気持ち悪い。

もっと、たとえば漫才とかコントとかいったお笑いイベントの中にソーシャル性を含ませたほうが、ある種の皮肉も効いていて健全だと思う。

せめて、もう少し文系的イベントで寄付や社会貢献できないものか。

あ、じゃあ僕、何かの読書会で「ソーシャル」してみようかな。
たとえば、村上春樹の『1Q84』の一シーン(「教祖」が死ぬシーンとか)とか。
マラソンは、何か健全すぎて気持ち悪いのだ。★

11/26(土)15:00〜17:00、 「ソーシャルDJ②NPOはなぜ走る?」をFacebook公開ライブ動画でお送りします。詳しくは下記Facebookイベントページ参照。みなさま、どうぞよろしくお願いします。
https://www.facebook.com/events/1104953649570883/








2016年8月23日火曜日

「べき」のマーケティング〜べきばっかりでウンザリ

どうも5年くらい前から鼻について仕方ないのだが、あちこちのエッセイや記事のタイトルに「〜すべき◯◯」みたいな感じでさらっと主張しているものが目立つ。

まあそのうちなくなるだろうと流していたのだが、いつまでたってもその手のタイトルは撲滅されず、いろんな単語をくっつけていつまでも残っている。

たとえば今日のFacebookタイムラインで見ただけでも、「プログラミングは小学生からすべき」とか、その他「〜すべき」がたくさん出てくる。
その中身はどうでもいいのだが、「べき」の押し付け感が僕にはうっとおしい。

べきは、言い換えると規範のことで、「学校に行くべき」とか「仕事をすべき」とか、そうした典型的規範を中心として、単なる広告コピーや本のタイトルなんかも含めると、もう我々の社会はそんなのばかりだ。

せめてエッセイとかタイトルくらいはもっと自由な適当なものであってほしいのだが、油断したら「べき」が目に入ってくる。

それどころか、「べきのマーケティング」とでも言っていいほど、「べき」は売れるあるいはヒットするのかもしれない。

べきを何気ないことばにくっつけると、新規な感じになり、人々の注目を集める。
そんな社会の雰囲気になったようだ。

僕自身は、不登校支援やひきこもり支援の中で、登校規範や仕事規範と長年にわたって向き合ってきたので、すっかり脱力してしまう。
「べき」が売れるって、なんだかなあ。★