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Facebookの限界とタテマエ

■タテマエとどうつきあうか

僕がFacebookを利用するようになって3年くらいになるのかなあ。
細かい年数はよくわからないが、ドーナツトークを再興した2年半前にホームページをつくったとき、Facebookページをリンクしたことでずいぶん更新が楽になった(HPが動く)ことを覚えているので、やっぱり3年はたっていると思う。

この間、よほどのことがないかぎり毎日Facebookに何かを書いてきたが、この頃、Facebookの効用と限界というものを日々実感するようになった。

そのFacebookの効用と限界、特に「限界」のほうが、僕を20年以上前にタイムスリップさせている。

それは、僕が「さいろ社」という個人出版社のたちあげを手伝った時に、メディアや「表現」全体に関して抱いていた感触を思い出させる。

つまりは、我々が社会問題を論じるときにぶつかる問題、

「我々に刷り込まれているタテマエとどう我々は向き合うのか」

を思い出させてくれているのであった。

■看護師たち、そのホンネ

さいろ社をつくったとき、僕は、メディア(当時は新聞とテレビ)が基調とするタテマエに対して不満だった(おそらく代表の松本くんも)。

メデイア、あるいはジャーナリズムは、「格好」をつける。
あるいは「正論」を投げかける。

が、僕が取材で松本君と日々出会っていたいた看護師さん(当時は看護婦)たちは、そうした正論やタテマエは十分理解しながら、看護職をやめたがり、患者のことを思いやりながらも毛嫌いし、医師のことを尊重しながらも馬鹿にしていた。

延命処置のバカバカしさを嘆きながらも、それを望む家族と患者本人のニーズと看護師さんたちは向き合っていた。

また、重症心身患児病棟で、看護師さんたちは患児の苦しさに向き合いつつ、患児たちに1年以上面会に来ない家族を恨みつつ一方でその気持を理解していた。

また、手術室器具の滅菌作業を日々行なう看護師の滅菌にかける思いを聞きつつも、滅菌の「看護的末端」作業の虚しさについて諦めきっている愚痴をよく聞かされた。

また、地域医療に熱い情熱を捧げる老医師の熱情に圧倒されながらも、まったく中央メディアから見向きもされないことに対するくやしさを日々聞かされた。

■弱者が明確化され、敵が見える

書き出したらキリがない。
が、これら現場の医療者には常に「ホンネとタテマエ」があった。

メディアは、彼女ら彼らのタテマエとしての憤りまでは…

魂のパッション〜すべての「底」〜

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広島出張中に、Facebook石巻Facebookお友達つながりから偶然出会った動画。
今井絵理子さん(元SPEEDですね)の活動はうっすらと知ってはいたが、彼女のFacebookページの動画集を見ていると、ずいぶん感動してしまった。
今井さんの、聴覚障がいをもつ子どもさんのことは少し知っていたものの、一連の動画(支援学校訪問やお子さん出産時エピソードや障がいについての紹介番組も)を見ていくと、彼女をとらえる情熱/パッションというものが僕にも少しわかるような気がした。
その情熱の源泉は、陳腐ではあるが、子どもさんの「笑顔」かな。
この動画とは別のドキュメンタリー(ここにFacebook動画集があり、NTV番組タイトルをクリックすると簡単に飛べる→https://www.facebook.com/ErikoImaiOfficialPage/videos)を見ると、出産から現在の小学校低学年あたりまで追うこともできる。
出産後離婚も経て、様々な出来事が彼女を日々迎えているようだ。細かいことは僕にはわからない。が、芸能活動の本格再開も伴い、いろいろな批判に晒されようが、自分の信じる道、情熱、パッション、パレーシアに従って突き進むその姿の背景には、子どもの笑顔を徹底的に信じるという、「信頼」の肯定性が感じられる。
また、聴覚のハンデを超えて、音楽というのは、空気やリズム、身体の動き、これらを全員で共有する場の振動、人々の表情、ひとことで言うと「生命の跳躍」みたいなのが、曲という枠組みに嵌めこまれているということなんだなあと再認識もする。
上に貼り付けた動画などでそのことがわかる。今井さんの歌のうまさも光るが(別の動画参照)、この「声が空間を突き刺す」感じが、たぶん子どもたちにも(今井さんの子どもにも)伝わるのだろう。
突き刺すというか、突き刺しながら包むという感じかな。
僕自身が「父」になる前は、こうした感覚もなかなか持てなかった。これらの映像も彼女自身のプロデュースの一環として捉えていただろう。
そうではなく、親というパッションがあるんですね。それは、無条件の肯定であって、それ以上分析できない徹底的な「底」なんですね。★

「出会い」が遠くなった

昨日から僕はNPO法人TEDICの記念イベントで宮城県・石巻市にいるのだが、この2日間の滞在でたくさんの人達と語ってきて思ったのは、

人の「優先順位」というものは本当に変わる

ということだった。

僕は知り合いからも煙たがれるほど、長らく「出会い病」みたいなものにとらわれており、それは哲学(というかデリダの)の「まったくの他者tout autre」という思想を尊敬していたからであった。

自分ではコントロールできない部分で我々は」「他者」と出会う。その出会いは無意識的であったり否応なきものかもしれないが、そこで沸き起こる「出来事」を何よりも尊重しなければいけない。

ポストモダン哲学では唯一の規範かもしれない、この「他者との出会い」をざっくばらんに自分なりに訳して受け入れ僕はこれまで生きてきた。

日々出会う人、そこで自分とは違う考え方を持っている人を何よりも尊重しなければいけないと。
それが「応答責任」であると。

が、この頃はその規範意識がすっかり薄くなり、「出会い」よりも「1人」、「出会い」よりも「休息」が大事になっている。

僕の仕事は子ども若者分野であり、そこで仕事する人たちは30才以下の若い人たちが多いことから、この感覚はあまりシェアできない。

この頃は共有できない孤独感よりも、1人でこうしたテーマを考えテキスト化するほうに意義を感じたりする。プルーストが「失われた時を求めて」を書いた気持ちが僕もようやくわかるようになりました。

今から、TEDICの若者たちが集まる打ち上げに僕も参加する予定だ。
参加してすぐホテルに戻るだろうが、これがいま僕にできる最大のレスポンシビリテだなあ。★

日本人の仕事は7割カットできるかもしれない

具体的なことは書けないが、「日本人の仕事ぶり」に僕は辟易している。

とにかく、僕からするとどうでもいいことに人々は拘泥する。
その、どうでもいいことを詳述するとなんのことかわかってしまうので書かないが、目先の予定がとにかく無事にすぎることを日本人はまず何よりも願う。

それは、時間を守ること、名前を間違えないこと、ルールを間違えないこと、約束を確認すること等々、その日の仕事において失敗感のないように、段取りどおり完遂することを優先する。

そして、「数字」の細かい合致を優先する。

が、そんなことは僕からすればどうでもいい。
多少遅刻しようが、多少数字がずれようが、多少書類が欠けていようが、どうでもいい。

大切なのは、20年後、その仕事のミッションが完遂されているか、ビジョンに少しでも到達しているか、そこに到達するために策定した3年程度の戦略が戦略通り進んでいるか、なのだ。

その日の会議で、報告数字が10件だろうが3件だろうがどうでもよく、10年後にミッションのイメージが満たされているかが大事だ。

が、ほとんどの日本人は戦略を知らない。またミッションが形骸化している。目の前の出来事に緻密に対応することを優先する。

その結果、それは「現場主義」だったり、「仕事ができる細かさ」などと表現される。

だが、僕からするとそれは、「仕事」の一部でしかない。

だから、日本人が尊重する「現場の精緻さ」を貫徹するあまり、日本人の「仕事」は妙に多い。
ヘタすると、日本人の仕事の7割はカットできるかもしれない。

日本人がイメージする「仕事」の7割は枝葉末節の、あえていうと、どうでもいいことなのだ。
ミッションなき「つぎつぎとなりゆくいきほい」(丸山真男)な日本人は、グローバル化してコモディティ化した世界にとっては、その緻密さがあまり意味を持たなくなってしまった。

それは、有識者のエッセイなどには前提として現れるが、「日本の現場」はその疲労感をまだ意識できていない。
その結果、現場で奮闘する若者たちが鬱に追い込まれる。★





バナナフィッシュとエズミに出会ったのは図書館だった

学期のはじめは、子どもたちの自殺数が増加するらしい。

そのニュースがこのところネット関連では報じられていて、たとえば下記のような記事がFacebookの僕のタイムラインで表示されていた。
学校が死ぬほどつらい子は図書館へ

学期のはじめに図書館に行ったからといって、子どもたちの状況はそれほど変わるはずないだろうと僕は思ったが、その後よ〜く自分の10代を思い出すと、そういえば僕の人生を変えたのは図書館だったことを思い出した。

それは高校2年のいつか、常に自殺を考え、線路とビルに近づくのは避けていた頃、なぜ高校の図書館を訪れたかは忘れてしまったが、ひたすら自分の抱えるテーマと似たような作品群を探して、いや、とにかく「自分にヒットする文字」を探して、図書館の通路を歩いていた。

時間は午後3時頃かなあ。
たまたま目の前にあったアメリカ文学の棚に『ライ麦畑でつかまえて』という本があり、その書名には惹かれたものの天邪鬼な僕はその本を無視し、隣にあった文庫本『ナイン・ストーリーズ』を手にとった。

そして、図書館のうすぼんやりした光に包まれながら、冒頭の1編「バナナフィッシュにうってつけの日」を読了したのだった。

主人公シーモア・グラスが最後に唐突にとる行為に遭遇して僕は、人の人生とはそんなものかなあと思うと同時に、「この人(シーモア)ほど自分は人生を見きっていないや」と思ったのだった。

いや、なにを思ったのかは正確には忘れた。
とにかく、その、図書館の数十分の後に、僕は「自殺」から遠くなり始めた。

学期のはじめに図書館が「効く」のかはさておき、文学は人を変える。
僕の場合は、野崎孝訳『ナイン・ストーリーズ』だった。同書所収「エズミに捧ぐ」も最高。★


平和は、国民的「自己治癒」の一技法

■ルサンチマンかトラウマか

このところ日本社会に深く根付く戦争に関する感情を考えていて、それは一種のトラウマではないかと前回書いてみたのだが(戦争は国民的トラウマ)、それから池田信夫氏がブログで「戦争は日本人にとってルサンチマン」と以下のように記述している(必要なのは戦争の「おわび」ではなく再発防止だ)のを読んで、トラウマかルサンチマンか、どちらの要素が強いのか考えている。



しかし敗戦のルサンチマンと戦後教育によって、平和憲法が(戦前の教育勅語と同じように)道徳律として人々に刷り込まれ、戦争を口にすること自体が罪だと思い込む風潮ができた。安保法案を「戦争法案」と名づけて負のイメージを与えようとする野党には、今もこのルサンチマンが残っている。
論旨は理解できる(池田氏は右というよりは欧米的現実主義なジャーナリストだと僕は解釈している)。 70年前の戦争が、それ以降ルサンチマンになったのかトラウマになったのか(ルサンチマンとは、仕方なく現状肯定するために背景の価値を逆転させること。イソップ童話にある、頭上のブドウまでジャンプしても届かない狐が、そのブドウについて「そもそもまずいものだった」と価値転倒させる例がよくあげられる)。
僕は、池田氏的「ルサンチマン→道徳律化」よりは、「トラウマ→セラピーとしての謝罪と永久9条」のほうがより説得力あると思う。
ポイントは、謝罪と永久9条といった理想的平和主義は「若者」が担当し(シールズ)、その具現化/顕在化を担う「大人」層は、戦争防止のスモールステップである個別的自衛権を言語化して明確に位置づけることだ(現実的平和主義)。
そのために、現在の日米安保を個別的自衛権の範囲内で明確に位置付けるという、めんどくさい作業も求められている。
■理想的平和主義は自己治癒の一技法


ところでこのリンク(「権力者と大人は信用しない」、ジャーナリスト田原総一朗の原点は70年前のあの日にある)は田原総一朗氏インタビューだが、「1945年の8月15日に社会の価値観が完全転換したこと」はルサンチマンというよりも、一つの「傷つき体験=トラウマ」だと捉えればとてもわかりやすいと思う。 このトラウマは世代を超えて引き継がれ、今に至る。
トラウマには、 ①セラピーを求めるトラウマと、 ②心の隅にそっと据え続けておくトラウマ の2種類があり、日本人にとっての戦争(価値観転換以外に、…

戦争は「国民的トラウマ」

■戦争=国民的トラウマ
理想的平和主義の根っこは、やはり日本の人々に深く刻まれたトラウマ(心的外傷)だと思う。
原爆に大空襲に特攻に虐殺に性暴力に南方諸島飢餓と、加害被害合わせてそれらはあまりに悲惨だった。 それらの「応答責任」としての語り継がれは、国民的トラウマを形成したのだと思う。それは「身体レベル」での問いだ。
これに対して、「理性レベル」でいくら集団的自衛権の合理性を説いても、それは身体レベルには届かない。 「戦争」は100年前にフロイトが語ったように、ここでもPTSDの一大原因となっている(他に、性暴力・児童虐待・自然災害がある)。それも、「国民的PTSD」の原因として。
集団的自衛権派が真剣であれば、まずはこの国民的PTSDを「治療」すべきだ。
この70年は、治療に代わる妥協点として、個別的自衛権(そして「 片務条約」あるいは日本が後方支援のみの日米安保条約)が静かに存在した。このままでは時代にそぐわないと真剣に集団的自衛権派が思うのであれば、まずは国民の過半数をセラピーする必要がある。
■『はだしのゲン』体験
そして、当事者責任や応答責任としての語り継ぎは、当事者が生存中は行なわれる。 この再生産は我々に刻み付けられた「国民的トラウマ」(それはトラウマではあるがポジティブ)を常にバージョンアップさせ、その結果として理想的平和主義が発動し続けている。
繰り返しになるが、これに、国際情勢を吟味した上での現実的で保守的な一つの防衛策(集団的自衛権に基づいた平和主義)を提示しても、トラウマレベルには届かない。
トラウマ=心的外傷とは、被爆者が75才になっても5才時のエピソードを生々しく語るように、リアルなフラッシュバックを伴うからだ。
被曝のような直接的フラッシュバックがなくとも、たとえば僕であれば、小学生の頃にリアルタイムで読んだ『はだしのゲン』体験がある。 あの被爆描写と、最終回のゲンの笑顔は一生忘れられない。戦争忌避の深いレベルでの刻みつけ(心的外傷レベルでの)は、各自このような体験として持つ。
保守派はここを押さえないと、永久に議論の平行線が続くだろう。
一方で、理想的平和主義派は、当事者がほぼ全員没する20年後以降の応答責任をどう作っていくか。
当事者の語りが消える20年後に、集団的自衛権は完全発動するという悲観的観測を僕は持っている。その対抗を僕(…

NPOは社会問題を発信しなければいけない

最近僕は忘れがちになっているのだが、日本のNPOはもっと発信しなければいけない。

あるいは、ファンディングやアワード的華やかな場所もいいが、業界自体の「黎明期」ぶりをもっと自覚しなければいけない。

まずは「代表(代表理事)」たちが発信しなければいけない。

自分たちの法人の拡大のみに心血を注ぐのではなく、日本のこれからの(少子高齢)50年を見据えた社会構造変動(人口減少)と社会構造システムの変革のされなさ(年金システム等)に対して、もっともっと提言していく必要がある。

それは「グローバル化」に対してそれぞれの意見を述べることにもなり(移民制度・オリンピック後の債務問題・高騰化する医療費・防衛費よりも生活保護費の重要性を政治は決断できるかどうか等)、それらの一つひとつが日本社会のこれからの構造をつくる一要素となるため、ソーシャルセクター=NPOは、あらたな日本のソーシャルに関してイメージを送り届ける必要がある。

我々は単に目の前で苦しむ人を支援する社会福祉法人ではなく、社会構造変革をお手伝いするソーシャルセクターなのだ。

そこを、どれだけの「代表」たちがわかってるのかなあ。

身も蓋もないが、上のような点をわかっている人は、ソーシャルセクターには入らず(つくらず)、もっと王道の国家公務員や「一流企業」などに所属していると僕は読んでいる。
ほんと、身も蓋もないが、いまのNPOにはそこそこの人材しか入っていない。

また、NPOが掲げるミッションや事業にしても、あまりにニッチであり、ニッチだとしてもそのニッチになる意味を代表たちは隠している(あるいは自覚していない)。

身も蓋もないが、ソーシャルセクターにこそ、国家公務員や「一流企業」に入る人々で構成するべきだと思うのだが、そんな人材は、今のところソーシャルセクターを見向きもしない。★

「思い切り胃を蹴り上げたら 君はどんな顔をするのかと思う」〜思春期とは①

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ついに僕は51才にして(あまりに遅いが)「思春期」が本当に終わり始めた気がしている。
あまりにそれは遅いが、まあ仕方ないなあ。

そんなわけで、久しぶりにフリッパーズ・ギターの「ナイフエッジカレス」を聞いているが、小沢と小山田の歌詞と歌とメロディは今も最強だ。

特に、屈折しながらも怒る「思い切り胃を蹴り上げたら 君はどんな顔をするのかと思う」のフレーズは最強。 そして、「5月の涙を僕らは誇りに思う」も。
高校生居場所カフェを主催していて、その永遠の「マジックエイジ」の魅力にとりつかれるとともに、そこから完全に離れてしまった自分を毎日客観視する。
そして、なんとなんと、これまで自分がお世話になった人々を思い出したりしている。 それへの「恩返し」がこれからのインセンティブになっていくような。
淡路プラッツ蓮井さんへの恩返しは少し前に終わったので、恩返しモードはこれっきりかと思っていたが、それ以外の多くの人への恩返しを意識することが、つまりは思春期の終わりだったんですね。★



偶然のナイフ・エッジ・カレス(Knife Edge Caress)
作詞/作曲:Double Knockout Corporation


通りを抜けて 遠く離れた 憎しみが今僕に急ぐ
唇噛んで 仕方がなくて 軽蔑の言葉を探した
ショールで覆う僕の悲しさを
わけ知り顔 ピントはずれに なぐさめればいい!

間抜けな言葉で 僕を取り囲む
得意げな薄ら笑いに腹が立つのさ
思い切り胃を蹴り上げたら 君はどんな顔をするのかと思う

でたらめばかり 並べてるうち からまった僕らの寝不足
忘れられない 離れやしない 興奮が今僕を襲う
セシル・ビートン気取りの僕なら
退屈も嘘も切り取れるロマンチックに!

偶然に出会う そして僕は見る
震えているのは寒さのせいじゃないのさ
冷やかしや皮肉言えばいい バカさ加減がわかるさ

僕たちは 跳びはねる 空を仰ぐ 手を突き上げて
この気持ち これ以上 何が言える? どう言えるだろう?

遠くまで見える目には流れ出す
5月の涙を僕らは誇りに思う
君に会う頃はスマートに 切りつける言葉僕は吐くだろう!


ジョンの魂

今日、京都精華大学での今期の授業が終わった。

最後は、学生のみなさんから集まった質問に対して一つひとつ答えていったのだが、そのなかのひとつに「先生はこれまでどんな音楽に影響を受けましたか」というものがあった。

僕はずっとロックファンであり、これからも(新作はたぶん聞かないが)ロックファンだ。
生きれば生きるほど、僕にとって最もたいせつだったのは哲学でも文学でもなく、ロックだったと思い始めた。

で今日、学生さんからあらためて質問を受けた時、ぐっと考えて浮かんできたのは、ジョンレノンの「ジョンの魂」だった。

「ジョンの魂」の1曲目、「マザー」を初めて聞いた時の衝撃をいまだに忘れることはできない。
荘厳な鐘の音が何度か繰り返され、イントロも何もないジョンレノンの「マザー」の叫びが届く。

その鐘が終わる瞬間と、ジョンレノンが「マザー」と叫ぶときが重なる瞬間、あまりの衝撃に15才(16才だったかな)の僕は椅子から飛び上がった。

そこから僕の「ロック」が始まったのかな。

その頃の感覚(のすべて)は、大人になれば忘れてしまう。集団内での違和感、まわりの人々の発する言葉と雰囲気への反発、最も気を許す弟にさえ気を許せない寂しさ、誰かを求めながらも誰も求めていない寂寥感、一言でいえば「ひきこもり」感覚なのだが、僕はやはり孤独だった。

その孤独感に寄り添ってくれたのが「マザー」の叫びだった。

精華大学で語ったのは、できるだけ今の気持ちを覚えておこうということであり、その気持を忘れないと「大人」にはなれないといことであり、その両者が共存するのが「変な大人」ということだった。★

ゴダールの犬

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ゴダールの新作(「さらば、愛の言葉よ」)が神戸で上映されると聞いたので、久しぶりに映画を観に行った。
3D映画らしく、僕は始めて3Dメガネをかけて映画を鑑賞した。

ゴダールの映画らしくストーリーはまったくなかったが、一応商業映画なのでそれらしい人物は配置されている。が、ゴダールの前衛ものに入る作品のようで、それら人物や人物たちが話すセリフは無視してもよいと思った。

チラシ等に書いてある通り、主役は犬であり、人間以外の川や花びらや様々な爆音だ。
特に爆音類の爆音ぶりはひどく、映画を観る際の約束事からはるかに逸脱しており、耳がおかしくなりそうだった。

犬から見た川、自然そのものかもしれない爆音、超ローアングルの川、これらは人間が無意識に信じる約束事(世界そのもの)を逸脱する。
時にそれは異常にきらめき、異常に暴力的だ。いずれにしろ人間の許容範囲(言葉の世界)を少しだけ逸脱している。

哲学用語を使えばあっさり説明できる世界を、ゴダールはしらばっくれる。
代わりに、犬の目、その目を通した奇妙な映像類で埋めていく。映画の途中から僕は、人物たちの小難しい会話よりも、水面や犬を待つようになった。
言語の諧謔が背景化するほうが気持ちいいんですね。

あと、子どもたちが走っていく姿も美しい。

映画は最後、赤ちゃんの産声と犬の鳴き声を被らせて終了する。
いずれも「意味」が生じる以前の声だ。たぶん80才を過ぎたゴダールは、言葉による(あるいは既存の映画ルールによる)「世界」の産出に飽き飽きしたんでしょうね。

それでも商業映画を作るのだからスゴイ。★


ゴーストのささやき

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暗黒だった高校時代、僕にはアベくんという友人がいて、彼の家は高校から歩いてすぐだつたので、よく授業をエスケープして彼の部屋に入り浸っていた。
エスケープと言ってもアベくんの部屋でタバコ等の「わるいこと」をしていたわけでもなく、彼のベッドにもたれかかったりしていつの間にか1時間たつなど、いまでいう「居場所」として彼の部屋に僕はいた。
彼も僕もロックファンで、僕は「サウンドストリート」の渋谷陽一ファン、アベくんは誰だったかなあ、ピーター・バラカンかもしれないし中村とうようだったかもしれないが、渋谷陽一ではなかった。
だから同じロックファンでも聞く対象がずいぶん違い、彼はツェッペリンもプリンスも聞かなかった。僕は、ボブ・ディランもローリング・ストーンズも(当時は)聞かなかった。
が、居場所としてのアベくんの部屋に入り浸るにつれ、アベくんの好きな音楽を結構聞くようになった。
その一つに、ボブ・ディランの「欲望」があり、その1曲目の「ハリケーン」がある。
その詞の内容もほとんど覚えていないが、最近Apple Musicを利用するようになり、久しぶりに「ハリケーン」を聞いてみると、あのボブ・ディランの声、あのバイオリンの響き、そしてそれとともによみがえる高校時代、そしてアベくんの細々とした言葉、またあの雰囲気あの空気、あの時代のあり方等、どばどばっとたくさんの記憶が蘇っている。
それにともなう、痛みと喜びも。
そうした「沈殿した記憶」、言い換えると「他者の記憶」は、ながらく忘れ去っていたもので、僕にとってはまさに驚きだ。
フロイトは「ヒステリー研究」のなかで、こんな図を示している。
下は、京都精華大学の授業(こころと思想)で僕が殴り書きしたものだから曖昧この上ないのだが、記憶が沈殿し、それが「他者の声」となり(傷ついた場合はそれはトラウマとなる)、我々のうちに知らず知らず染み透り、そのメカニズム自体が我々を我々とする事態をよく示していると思う(図中一番下が「他者の声」あるいはトラウマあるいは「ゴーストのささやき」)。

アニメ「攻殻機動隊」で、主人公が最後に発する決め台詞「ゴーストのささやき」は、作者としては「魂の声」のような曖昧なものとして提示しているだろうが。僕は、我々一人ひとりが捉えているようで捉えきれず我々に沈殿する「他者の声」として理解している。
アベくんとの33年…

支援者って必要か? 〜支援者モードでなくなると感じる不思議①

ここのところ僕の意識は(支援者バーンアウトを受けて)「支援者」ではないが、行動としては従来通り支援者としてふるまっていると(たぶん支援のレベルは落ちていないはずで、支援という行動をさらに敷衍して観察する「メタモード」になっているという意味)、いろいろ不思議なことがある。


それは、「支援者って本当に必要なのか?」あるいは「支援者が必要な人々って実はかなり少ないんじゃないか」という身も蓋もない問いだ。


ここでいう「支援者」は子ども若者支援者のことで、医療支援者(医師や看護師)のことはあまり指していない。
高齢者医療や福祉の分野では、不要な医療・福祉専門家もいるかもしれないが、それは語り始めると長くなる(20代の頃の医療ジャーナリスト時代はそんなことばかり考えていた)。


だから今の自分の専門分野である「子ども若者」分野に絞りたいが、ひきこもりの高齢化や発達障がいの周知化とともに、「当事者」がもつ「ピア(仲間)」の力を僕は注目し始めた。


外から見れば一見喧嘩しているような発達障がい者同士のコミュニケーションや、外から見ればネガティブなトークが静かに積み重ねられる40才ひきこもりの交流会なども、当事者同士からするとその場はいろいろあるかもしれないものの、結果として仲間同士で支えあっている。


その支え合いの力があれば、「コミュニケーション支援」か「就労支援」かは知らないが、変に専門知識はあるものの規範意識が強くマイノリティへのバイアスも実は強くもつ一部の支援者に比べれば、長い目で見るとはるかに意味があるのでは、ということだ。


若者サポートステーションが全国に160ヶ所にまで広がったり、各自治体でそれぞれの「自立支援」を模索したり、妙にキャリアカウンセラーが量産されたり、キャリアとスキルなくプライドの高い臨床心理士が毎年毎年つくられたりするのを見ていると、もう支援者はいらないのでは、と素朴に思うのだ。


それら未熟な支援者を量産する暇があれば、「ピア」をサポートする環境づくりに予算を使うのもありだと思う。メインスタッフへの人件費とか、オフィスの家賃とか。


そんな補助金事業を企画して、「当事者」の人たちに提案しようかな。
そんなことまで考える今日このごろです。★





支援者、やめます

当連載では何度も書いてしまうが、僕は20代は独立系出版社(さいろ社)を友人と創設し、30代は「支援者」として活動した。
30代半ばで阪大の臨床哲学を学び、40代は大阪の老舗NPOで代表業を10年務めた。


大雑把に言って、編集者として10年、支援者として20年の時間を過ごした。
そして51才になり、また転機を迎えたような気がしている。


20代の10年間は、ある意味「社会」のために生きた。過重労働の看護婦(師)さん、HIVで亡くなっていった人、予防接種の被害者、MRSA(黄色ブドウ球菌)の感染者、脳死臓器移植に巻き込まれた人等、あげはじめたらキリがないが、編集長の松本君とともに、潜在化された医療問題を僕は僕なりに追求した。


自分なりの「理想のジャーナリズム」を追求したいという欲望はあった。つまりは、超「青い」けれども、「理想の社会」を目指していたのだ。


30代から40代の20年間は、20代に広げた大風呂敷とは別に、ミニマムな実践を徹底してきた。また、心理学やソーシャルワークのような王道の「科学」はあえて学ばず、世の中の基本概念を追求する「哲学」をあえて選んだ。
タイムリーに、鷲田先生が現実とコミットする哲学、つまりは「臨床哲学」を創設した時期だった。


ここ20年間の僕は、ある意味「他者」のために生きてきた。


20代は社会のため、30代と40代は他者のために生きてきて、やっと今、50代になって、本当に「自分」のために生きていこうかなと思っている。
そして、他者のために生きる「支援者」はそろそろ卒業してもいいかな、と。

もちろん、マネジメントは行なうけれども(この項つづく。あるいは「無風状態」でも)。★

大学で語るということ

今日(6/24)も京都精華大学で「こころと思想」の授業を行なった。

今日は、「他者の声」をみなさんはどう聞くかというお題を学生さんたちに与え(昨年までと違って夕方に変更した今季は学生の数も少なくなりアットホームで楽しい)、マニアックではあるがフロイト『ヒステリー研究』内に掲載されている知覚図というか認識図のようなものを説明しつつ、「こぼれ落ちる他者の声」を解説した。

こう書くと何のことかわけわからないだろうが、僕としては今持っている知識を総動員しながら、どうしても気になる「他者の声」に言及し続けた。

うれしいもので、全部で30人もいないものの、学生さんは熱心に聞いてくれている。
たぶん、不登校や思春期や『ポーの一族』(萩尾望都のマンガ)や、その他若い人たちが食い付くようなタームを散りばめて語っているためだろうが、基本的に「何かを求めている若者」がそこにいると僕は解釈しており、それに向けて応答しているつもりだ。

今年は去年まで用意していた資料も用意せず、ひたすら僕の語りだけで勝負している。たぶん3年目なので今年がラストなのと、3年目で実験したいため等、さまざまな理由はあるが、非常に刺激的な体験だ。

資料なしで80分ほど連続で語ることができること、そして、その80分のマニアックな語りを一生懸命聞いてくれる学生さんが目の前にいること、これらがたいへん幸福だ。

今年でおそらくラストの講義だろうが(非常勤講師は3年が節目)、今年、こういう形式に至ることができてよかった。何かを求める若者の姿は非常に美しく、そこに少しでも関わることができて、支援者ではない楽しみに目覚めてしまった。
いや、教育者になりたいわけではないが。★

折り合わなくなった

前回の続きでもあるのだが、50才を過ぎて何かを「諦めた」と同時に、何かが吹っ切れてしまったところもある。


これでも僕は、多くのことにずいぶん「折り合い」をつけて生きてきた。たとえば、日常的慣習や規範、仕事における人間関係の調整、原稿仕事におけるテーマの選び方や語り方など。


日常の日本人的慣習・規範・ルールは、そのすべてから自由になることは難しい。が、窮屈で仕方がないものはできるだけ参加しない。それでも、どんなにそこからすり抜けようとしても、それらはついてくる。


仕事における人間関係の調整も、それを行なうと仕事内での不要な行き違いを避けられるため、最低限のことはいまだにしてしまう。
また、原稿仕事(今はネット中心だが)についても、かたちとして後々まで残る分野のため、ギリギリのテーマや表現は避ける。


これら一つひとつが、51才になり、日々バカバカしくなっている。
だからといってすべてを投げ出すわけではないが、そこに囚われている若い人たちや、僕より年上だけれどもきちんと折り合って生きているように見える先輩方が、僕からはどうも「遠い」。


嫌いとかそんなではなく、なんというか、(僕にとっては、です)魅力がない。
やはり魅力があるのは、そのラインを飛び出そうでもがく人たち。
おもしろいことに、そのラインから完全に抜け出た人々は(あまり知らないが)、実際に会った時の素晴らしい印象とは反比例するように、突き抜けすぎて噛み合わないこともある。


そんな、「突き抜けすぎ」に、自分が日々近づいている実感はある。★






50才という節目

このシークレットブログ(アクセス200ほど)をチェックする人のほとんどは僕より年下だと思う。年下ということは40代以下ということであり、「50才の節目」を実感としてわからないということだ。

上から目線の話でもなく、自分が50〜51才になってみて感じることは、何かの節目が訪れたということだ。

これは、46才で脳出血になり生き残ったとか(僕は実際生き残ったのだが)、その手のサバイバーネタではない。

50才は、たぶん「死」への節目だと思う。50才の人々が犯してしまういろいろな犯罪ニュースを見るたびに、高校生の頃の僕は、「なんで50才にもなってこんな犯罪をやるんだろう」と謎だったのだが、今はわかる。

それは、まずは人生に諦めるということだ。

「それ」というのは、50才ということ。50才は我々にとってある種の諦念だ。それはある種の安定や平和や愛に結びつくこともあるし(家族愛等)、なにがしかの犯罪に向かうこともある。

人生のエネルギー切れ寸前ではあるが、人生すべてを諦めきってもいない、そんな微妙なお年ごろということだ。

ネット発信という文明を人間が手に入れたのは最近のこと。これまでは一部の文学者やエッセイストのみが綴っていた「50才の憂鬱」を、多くの人びとが発信するだろう。
もうそれは始まっていると思う。★


バーンアウトがやってきた

僕は20代は独立系出版社(さいろ社)、30代前半は個人で(不登校)訪問支援、30代半ばに阪大の大学院で臨床哲学を学びつつ、子ども若者支援NPO(淡路プラッツ)で代表を10年務めた。

46才の夏、子ども若者支援に関して、民間支援施設中心で「学会」をつくろうと思いつき、あちこちに声をかけて「これはいける!!」と思い興奮した日の昼、脳出血になってしまった。

幸い、職場の近くに淀川キリスト教病院があり、緊急搬送されて手術、1週間記憶なく過ごし(記憶はないがその1週間の間も病棟で語りまくっていたそうだ)、やがて目覚めた。

そして医師に、
「本当に生かされた命だから、より社会のためにがんばってください」と
いきなり励まされた。

僕なりにその覚醒は奇跡的なことだと自覚していたから、そんな奇跡的覚醒時に「社会のためにがんばれ」と医者から言われるとは思っていなかったが、なぜかその言葉はストンと落ちた。

だからその後、いろいろあったものの、一番「底」の理由では、「生かされた命」を完全燃焼するためにドーナツトークをつくった。
僕はたぶんシャイなので表面的にはいろいろ顰蹙をかったかもしれない独立だろうが、今になってみると、「完全燃焼」の一環だと思う。

それが、予定では5年くらいかかるはずだった「府内の高校に居場所をたくさんつくる」という目標が、独立2年で達成された(20ヶ所)。

それと同時に、なぜか支援者として燃え尽きた感が生じている。僕でなくても、子ども若者支援はできるという、まあいわゆる「バーンアウト」ですね。

さいろ社時代、多くの看護師さんたちにバーンアウトに関するインタビューを行なってきたが、やっぱり自分にも訪れたのだ(つづく)。★



ニホン

ニホンと一言でいっても、
①近代ニホンとしての緻密性(時間厳守・職人的厳密さ・現場が強い等)、 ②江戸時代的鷹揚さ(時刻の表示等)と地域=クニ観(中央国家不在)、 ③丸山真男的「古層(つぎつぎとなりゆくいきほい)」
等がミックスされているようだ。
これ以外にも、網野善彦氏的ニホン観、赤松啓介氏的民俗観等、門外漢の僕にとってまだまだ学ぶ必要のある諸分野を合流させる必要がある。 ニホン研究に残りの人生をかけたいほどだ(これで食えないけど)。
年をとればとるほど、それらすべてが現在に脈々とつながっていると確信する。言い換えると、これらすべてが、現代ニホンの「子どもの生きづらさ」ともつながっている。★

「心配事」が「新しい過去」に

僕はこの頃、「自分の気分がどれくらいの時間続くか」を図っている。

気分というか、「とらわれていること」なのだが、それはたとえば数時間前に起こったプチトラブル(人間関係のズレ)だとする。

僕は結構引きずるタイプだったのだが、人間というものは時間の動きや新しい事件の出現によってその少し前のプチトラブルはあっという間に背景化していくと、この計測行為によってあらためて確かめられた。

以前のプチトラブルやお困り事から時間がたち新しい出来事が出現すると、僕は(というか人間は)そちらの出来事にたちまち関心を移してしまう。

その新しい感心事が重ければ重いほど、以前のプチトラブルは背景化する。

が、時々以前のプチトラブルは顔を出して僕の頭にとどまるのではあるが、あらたな出来事に関する心配事があっというまに覆いはじめ、以前の心配事が遠ざかっていく。

これが数日続くと、やがて以前の心配事は「新しい過去」となる。

新しい過去は引き続き時々顔を出す。が、次々と押し寄せる「新しい出来事たち」と、次々に「新しい過去」になっていく以前のプチトラブル以降のお困り事たちが休みなく押し寄せ、新しい過去は徐々に普通の過去になる。

いつまでも気になる出来事は、カウンセラーによってはオブセッションとして位置づけられるのかもしれない。

オブセッション(強迫)の侵入と固定を許してしまうのは、独特の重めの気分状態にある時だということも事実だ。
この独特の重さはまた、独特の軽さと爽快さで振り払うこともできるとこの頃は気づき、オブセッションモードに囚われないために、軽さと爽快さモードに入るよう努力している。

この軽さと爽快さモードを、僕は今のところ「永遠回帰」モードあるいは未来モードと1人で名づけているが、哲学的には捉え方は誤っている気もする。でも、まあそれはどっちでもよくなってきた。★




メンバー・オブ・ザ・パブリック

メンバー・オブ・ザ・パブリック。 事件関係者の実名報道問題は、日本の匿名文化や「しゃしゃりでない美学」とつながる。 対して「メンバー・オブ・ザ・パブリック=公共の一員」文化では「語る責任」とつながる。 できるだけ語らず公式文書を読み上げる文化(日本)と、あらゆることに言葉を尽くす文化(それ以外)。
前者は、しゃしゃり出ず空気を読み余計なことを言わないことが美しい。 後者は全員が公共の一員だから、必要なこと必要でないことすべてを包んで語る責任があることが前提になっている。
日本文化内で後者(メンバー・オブ・ザ・パブリック)を貫くと、必ず浮く。 空気文化(匿名の同調圧力文化)は、ある局面では「おもてなし文化」になり礼賛される。が、多くの局面では、メンバー・オブ・ザ・パブリック文化が支配的な世界文化(このヨーロッパ価値の是非は置いとき、この価値が自然な人が日本では育成されているのも事実)からは浮いてしまう。
この点に気づいた人々は「出る杭」として、空気あるいは匿名あるいは「つぎつぎとなりゆくいきほい」(丸山真男)の中に吸収させられる。51才になった僕の結論は、この独特な文化に個の力だけで立ち向かうと疲れ切るということだ。
が、メンバー・オブ・ザ・パブリックな人は、この空気文化の中ではキャラも立たざるをえないので、一人で疲れ続けざるをえないというメカニズムもある。
今日も僕は疲れきったが、かといって51才になると後戻りはできない。★