投稿

11月, 2015の投稿を表示しています

Facebookの限界とタテマエ

■タテマエとどうつきあうか

僕がFacebookを利用するようになって3年くらいになるのかなあ。
細かい年数はよくわからないが、ドーナツトークを再興した2年半前にホームページをつくったとき、Facebookページをリンクしたことでずいぶん更新が楽になった(HPが動く)ことを覚えているので、やっぱり3年はたっていると思う。

この間、よほどのことがないかぎり毎日Facebookに何かを書いてきたが、この頃、Facebookの効用と限界というものを日々実感するようになった。

そのFacebookの効用と限界、特に「限界」のほうが、僕を20年以上前にタイムスリップさせている。

それは、僕が「さいろ社」という個人出版社のたちあげを手伝った時に、メディアや「表現」全体に関して抱いていた感触を思い出させる。

つまりは、我々が社会問題を論じるときにぶつかる問題、

「我々に刷り込まれているタテマエとどう我々は向き合うのか」

を思い出させてくれているのであった。

■看護師たち、そのホンネ

さいろ社をつくったとき、僕は、メディア(当時は新聞とテレビ)が基調とするタテマエに対して不満だった(おそらく代表の松本くんも)。

メデイア、あるいはジャーナリズムは、「格好」をつける。
あるいは「正論」を投げかける。

が、僕が取材で松本君と日々出会っていたいた看護師さん(当時は看護婦)たちは、そうした正論やタテマエは十分理解しながら、看護職をやめたがり、患者のことを思いやりながらも毛嫌いし、医師のことを尊重しながらも馬鹿にしていた。

延命処置のバカバカしさを嘆きながらも、それを望む家族と患者本人のニーズと看護師さんたちは向き合っていた。

また、重症心身患児病棟で、看護師さんたちは患児の苦しさに向き合いつつ、患児たちに1年以上面会に来ない家族を恨みつつ一方でその気持を理解していた。

また、手術室器具の滅菌作業を日々行なう看護師の滅菌にかける思いを聞きつつも、滅菌の「看護的末端」作業の虚しさについて諦めきっている愚痴をよく聞かされた。

また、地域医療に熱い情熱を捧げる老医師の熱情に圧倒されながらも、まったく中央メディアから見向きもされないことに対するくやしさを日々聞かされた。

■弱者が明確化され、敵が見える

書き出したらキリがない。
が、これら現場の医療者には常に「ホンネとタテマエ」があった。

メディアは、彼女ら彼らのタテマエとしての憤りまでは…