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NPOはなぜ走る?〜「読書会で寄付」があってもいい

僕はいまだにわからないのだが、青少年支援NPO関係者はよくマラソンする。そのことがチャリティーや寄付につながり、大阪マラソンでも大々的な宣伝されている(第7回大阪マラソン チャリティ寄付先団体公募のお知らせ)。

こう大々的に宣伝されると、マラソンと寄付は何か歴史的文脈でもあるのだろうかと説得されそうになるのだが、僕の不勉強のせいかこの2つの要素になかなかつながりを見いだせない。

が、大阪マラソンの宣伝では、この「長距離を走ること」と「社会貢献すること」が自然に結びつくように語られ、読むほうもそんなものかなあと納得しそうになる。

が、これは別にマラソンの必要はない。
たとえば、ロックイベントでもいいし、秋の収穫祭でもいいし、日本各地であるお祭りでもいい。
とにかく、何か賑やかそうなことと、「社会貢献」は無理するとお互いの文脈をつなげることはできる。

あるいは、「読書会」みたいな文系のイベントでもいいし、何かのお芝居でもいいし映画の上映会でもいい。
人が集まり、何かを真面目に追求する時、そこに「ソーシャル」性が生じると思う。

むしろ「マラソン」は、そのストイックな面から真面目すぎて気持ち悪い。

もっと、たとえば漫才とかコントとかいったお笑いイベントの中にソーシャル性を含ませたほうが、ある種の皮肉も効いていて健全だと思う。

せめて、もう少し文系的イベントで寄付や社会貢献できないものか。

あ、じゃあ僕、何かの読書会で「ソーシャル」してみようかな。
たとえば、村上春樹の『1Q84』の一シーン(「教祖」が死ぬシーンとか)とか。
マラソンは、何か健全すぎて気持ち悪いのだ。★

11/26(土)15:00〜17:00、 「ソーシャルDJ②NPOはなぜ走る?」をFacebook公開ライブ動画でお送りします。詳しくは下記Facebookイベントページ参照。みなさま、どうぞよろしくお願いします。
https://www.facebook.com/events/1104953649570883/








「べき」のマーケティング〜べきばっかりでウンザリ

どうも5年くらい前から鼻について仕方ないのだが、あちこちのエッセイや記事のタイトルに「〜すべき◯◯」みたいな感じでさらっと主張しているものが目立つ。

まあそのうちなくなるだろうと流していたのだが、いつまでたってもその手のタイトルは撲滅されず、いろんな単語をくっつけていつまでも残っている。

たとえば今日のFacebookタイムラインで見ただけでも、「プログラミングは小学生からすべき」とか、その他「〜すべき」がたくさん出てくる。
その中身はどうでもいいのだが、「べき」の押し付け感が僕にはうっとおしい。

べきは、言い換えると規範のことで、「学校に行くべき」とか「仕事をすべき」とか、そうした典型的規範を中心として、単なる広告コピーや本のタイトルなんかも含めると、もう我々の社会はそんなのばかりだ。

せめてエッセイとかタイトルくらいはもっと自由な適当なものであってほしいのだが、油断したら「べき」が目に入ってくる。

それどころか、「べきのマーケティング」とでも言っていいほど、「べき」は売れるあるいはヒットするのかもしれない。

べきを何気ないことばにくっつけると、新規な感じになり、人々の注目を集める。
そんな社会の雰囲気になったようだ。

僕自身は、不登校支援やひきこもり支援の中で、登校規範や仕事規範と長年にわたって向き合ってきたので、すっかり脱力してしまう。
「べき」が売れるって、なんだかなあ。★

A little voices urging me My Ghost.

■最終的には直感で決める

50才を過ぎてどんどんすべてが楽になってきているこの頃、「ゴーストという他者からの呼び声に突き動かされる」という、哲学者やアニメ監督のメッセージが素直にわかるようになってきた。

僕は、何かを「決定」する際、何かを始めるとき、最終的には直感で決めている。
その直感は、自分の内面から湧き出ているようでいて外から入り込んでくるようにも思え、哲学や精神分析で「他者」とか「不気味なもの」ととりあえず名付けられているものに近いんだろうな、と思っている。

『攻殻機動隊』の決めゼリフ「ゴーストのささやき」も同じようなもので、あれは最初は、主人公の草薙素子が広大なネット世界を通して伝わってくるさまざまなメッセージから感じ取るものの総称だったはずだが、それは同時に「決定」時の神秘的なメカニズムの要因とも受け取れる場面で現れた。

■プラスαなもの

A little voices urging me My Ghost.

ゴーストが私にささやくを英語にするとこんな感じになるらしいが、このゴーストは、「魂」でもあるし他者からの呼び声でもある。
魂の入っていない存在(アンドロイド)を攻殻機動隊では「ゴーストのない」などと表現され、ゴーストが入った状態がヒトになる。

攻殻機動隊ではネット世界に草薙素子は存在しており、そこから現実の「義体」に草薙素子の「データ体」のようなものが入り込むと、その義体は草薙素子のものとして動き始める。

それはデータ体と書くと何かが違ってくる。データの集積が草薙素子ではないし、かといって物理的身体は義体だからデータ体が入り込むまでは黙って座り込んでいる。

データの集積と、草薙素子という人格の区別は、「ゴースト=魂」としか表現できないプラスαなものがあるかどうか、のようだ。

この、魂と身体を明確に区別する発想も古いが(魂は皮膚のすべてに、身体のあらゆる場面に宿り、それら身体中に散らばる魂こそがその人そのものである、というのが哲学の最近の常識だと思う)、妙に説得力があるのもこの「ゴースト」ということばがもつ響きと意味だ。

■時空を超えて

ゴーストは他者の総称でもある。他者は、時間や空間に縛られず、生身の肉体を有する人間存在だけを意味しもしない。

石ころのような無機物も他者であり、韓国や日本の言い伝えにもあるように、石にも何かが宿っている。

また石…

50才の世界①

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前回の「なぜ太るか」は1回で終了、今回から50才の世界シリーズに変化させてみた。

というのも、食にしろ回想モードにしろ、どうにも最近の僕は「峠を超えてしまった」感があり、それは言い換えると「現役ではなくなった」ということだ。

僕は小さな小さな法人の代表だから仕事的にはまだまだ現役ではあるのだが、世間の50代は管理職を外されたりしてのんびり会社員を満喫している人も多い。

この人たちはスペシャリストとしてその分野で現役感はあるのだろう。
けど彼らの話をよく聞いていくと、もう迷いもなくなり、同時に仕事についての目標も現場的なものだけになってしまい、ヒリヒリ感がすっかりとれてしまっていたりする。

組織の真ん中に残っている50代はさすがに現役だが、多くの周縁50代はこんな感じで、のんびり過ごす。

僕は、法人が食べていかなければいけないので微妙にヒリヒリ感は残っているものの、なんというか、だいたい「1周した」感があり、あと体力が著しく落ちたこともあって、たとえば本や映画やアニメやもろもろ、僕を僕として成り立たせていた文化系作品ともすっかり遠くなっている。

哲学はいまだにこだわっているが、哲学本は一生もつから別にあわてて買う必要もない。たとえば『ミル・プラトー』(ドゥルーズとガタリ)1冊あれば、一生読むものに困らないくらい、哲学的名著は難解だ。

文章一つ書くのも、別に調べたりせずとも今はネットで簡単に必要事項は見つかるし、これまで読んできた知見の中でだいたい書ける。

要は、物事に対する問題意識だけ枯らさずになんとか生きていれば、支援もマネジメントも執筆も、だいたいは前線に立てる。
こんなのを含めて、なんというか、「50才の世界」というものが広がっており、僕はこれまでたくさん読書をしてきたが、こんなこと誰も書いてなかった。

そうだよなあ、文学も哲学もアートも、みんなある意味「思春期」を生きている。当然、ロックも。そんなのばかりに接してきたから、僕は知らないのは当たり前。
こんなのだったら、『美味しんぼ』海原雄山モデルの北大路魯山人とか、もっと読んでたらよかった。★


なぜ太ってしまうのか①50才

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50才を過ぎ、結局「運動しないことには痩せることは無理だな」という結論にたどり着きある。

これまでは、食事制限で余裕で体重は減ってきた。
が、ここ2年ほどはよほどの食事制限をしないことには、体重は減らない。

結論はこのブログでも言及するように、糖質(炭水化物)制限ダイエットなのだが、それもやりすぎると某政治家のように命をおとす。

ごはん・パン・麺類・粉モンを完ぺきに抑制する糖質制限は、逆に身体に悪い。
が、それらを少しでもとると、体重は余裕で1キロ程度は増えてしまう。

つまりは、食事の多少の上限によって、体重の大きな増減につながってしまう。
これが40才代であれば、もっと食事制限で体重コントロールが容易だった。が、50才を超えると、そんな数学的には体重は管理できない。

身体はもっともろく、単純なことで単純に変動してしまう。

大きな視点でみると、たぶん、ヒトは50才程度が「寿命」なんだと思う。それ以上バランスよく生きるのであれば、よほどバランスをとらなければいけない。

たとえばアルコールを制限する、タバコは吸わない、運動は毎日する、たっぷり睡眠時間をとる等、平均的ヒトであれば平均的生き方かもしれないが、僕のような適当な人であれば、かなりの「ムリ」の生じる生き方だ、それは。

だから、中上健次とか、ムリしない人々は早死していった。これは、50才くらいで君たちは死んでいいんだよという、大きな大きな存在からのシークレットメッセージかもしれないなんて、微妙な感慨に浸るこの頃。★




どんな「間食」か③

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どうも頭髪問題に引っ張られて「間食」の重要性を忘れがちになるが、1日1食ダイエットの最大のポイントは1日1食ではなく、「1食以外は間食」ということだ。

1日1食はいまやタモリもタケシも実践する食生活のようだが、じっくりそれらのインタビューを読むと誰も1日を1食のみで、つまりは食べ過ぎても1食1,000キロカロリー程度ですませているわけではなく、それ以外でも結構食べている。

食べているといっても、ケーキとか激甘カフェオレばかりではなく、バナナとかヨーグルトとか、それなりに栄養バランスを考えながらの間食だったりする。

つまりは、「主食」=炭水化物を極力廃した食生活が「栄養バランス」であり、1日の総摂取カロリーと糖分とカロリーと塩分を常に配慮するのが「1日1食」ダイエットということになる。

痩せたいということではなく、「これ以上肥満になりたくない」という欲望が1日1食という旗印におびき寄せられている。

僕が不思議なのは、貧困世帯にあるハイティーンでも、これらのバランスが狂うと肥満になるということだ。
ダイエットを常に気にしていたとしても、摂取カロリーの不思議さはアンダークラスの人々を翻弄する。★


どんな間食か②ビタミンCと頭髪問題

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僕の父親は62才で飲み過ぎで死んでしまったが、50才頃にはすっかり頭髪が少なくなっていた。
だから遺伝的影響を確信していた僕は、52才になる今頃は父親と同じようにすっかりツルッツルだと予想していた。

だが予想は外れ、髪は残っている。
それはそれでまあよかったのだが、遺伝とは別に、加齢に伴う薄毛がこの頃は目立つようになってきた。

年相応なのでそれはそれで諦めているものの、この頃よく聞くのは「ビタミンC」効果だ。

ビタミンCが、薄毛を止めるらしい。あるいは育毛効果があるらしいということが最近はよく言われており、僕もいくつかのネット情報を熟読してみたところ、なんとなく本当のような気がしている。

ただしビタミンCを飲んだり食べたりしても効果は少なく、頭に直接散布する必要があるんだそうだ。
その散布剤みたいなのが6000円くらいで宣伝されており、またぞろ出てきた育毛剤、とは思いつつも、長年頭髪問題を研究してきた僕としてはやはり気になる。

以前、発売直後のリアップに飛びつき、「高血圧の方は避けてください」の注意書きを守らず大量散布したところフラフラになったという前科があるにもかかわらず、ビタミンC育毛剤にクラクラして憧れる毎日です。

あ、「間食」からズレてしまった。★




どんな「間食」にするか①グミ

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油断するとこのドーナツぶらぶら息抜き日記を忘れてしまう。
気が付くと、前回からもう一週間くらいたっている。

今週は(といっても木曜になったが)、「間食」を考えてみる。

僕は1日1食ダイエットを追求するうちに、「1日オール間食ダイエット」に行き着いた。

毎回200〜400キロカロリー程度のものを2時間おきくらいに食べ続けると、19時くらいになると2000キロカロリーあたりに到達する。
ここにアルコール400キロカロリー程度が加わると2500キロカロリー程度になり、ちょうどよくなる。

お休みの日や保育園のお迎え担当の日はアルコールは摂らずにコメを食べる。
これは最近流行りの糖質制限ダイエットでもあるのだが、コメ・パン・粉モン・麺類を避け続けると、多少暴飲暴食になったとしても、かなりの体重安全圏にとどまることはできる。

ただ、間食の1回あたりの量が油断すると多くなり、1日の摂取カロリーが知らず知らずのうちに多くなっていたりする。

食事を考えることは、人間の欲望の拡大の実態と向き合うことになりそれなりに楽しいが、量は自然に増えることはあっても減ることはない。不思議です。

あ、グミのことを書くのを忘れた。「ビタミンCと頭髪問題」にも僕は関心があり、それとグミは大きく関係するので、明日につづく。★




印象的だった街③阪急・石橋

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僕が阪大の臨床哲学をきちんと学んだのが35才前後で、ラッキーにも阪大豊中キャンパスは自宅から阪急電車ですぐだった。

当時はまだ鷲田清一先生が「教授」で、これまたラッキーにも毎週先生のナマ講義を聞くことができた。

また社会人もたくさん参加していた金曜日6限(18:00〜)の臨床哲学の授業が終わったあと、最寄り駅の石橋までみんなでぞろぞろ降りてきて、もう店の名前は忘れてしまったが、馴染みの居酒屋で「議論」できて、すごくタメになった。

それ以外にも、大学院終了時に、鷲田先生・中岡先生・本間先生の三巨頭に招待されて、これまた石橋の超庶民的居酒屋で美味しい料理を食べたこともいい思い出だ。

また本間先生を中心に、よく石橋付近のカラオケに行き、僕はよくフリッパーズ・ギターを歌ったなあ。
それもいい思い出。

予定では大学院のあと博士課程も行こうと思っていたのだが、修士論文にあまりに入れ込んでしまい、博士課程入学願書を提出忘れたのもいい思い出。
それのおかげで今のドーナツトークを始めることができたし、終わりよければすべてよしですね。

阪大の大学院は本当に行ってよかった。みなさんも、社会人になってからの大学院はおすすめです。★




印象的だったあの街②大阪府池田市「五月山の大文字焼き」

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僕は最初の「ドーナツトーク社」(90年代後半)の事務所を茨木市に借りたが、すぐに池田市に引っ越した。

茨木市時代は昔からの友人に手伝ってもらったのだが、池田市に変わってからはほとんど自分1人で運営した。

池田は五月山や猪名川を抱える非常に古風な街で、引っ越して僕はすぐに気に入ってしまった。
それは最初の結婚が終わる寸前だったのでなお印象的だ。

まあそれはさておき、五月山には「大文字焼き」というものがあり、毎年8月の後半になると、五月山の2ヶ所で大文字焼きが行なわれた。

僕はそれを初めて猪名川の河川敷から眺めた時には妙に感動してしまい、遅くまでずっとその火を見つめていたものだ、
それは男性ジェンダー特有のロマンティシズムだろうが、ま、それもいいか。

昨日書いた真如堂そばの借家から見た本家・大文字焼きよりも、僕にとっては五月山の大文字焼きのほうがなんとなく異世界気分だった。★


印象的だったあの街①京都・真如堂あたり

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グルメシリーズもなんか狙い過ぎな気がしたので、もっと手軽な「印象的な街」シリーズを今週はやってみる。

僕は24〜5才あたりに、京都は左京区の真如堂の近くに住んでいた。
その少し前に始めた「さいろ社」(独立系出版社)の編集仕事はやりがいはあったが、このままで自分はいいのか、本当に医療や教育の社会問題を取材・ルポして一生食べていくのか(その頃やっと食べていけるようになっていた)、ずっと悩んでいた。

さいろ社の仕事は続けつつ、なんとなく自分を見つめるために(あるいは逃避するために)、京都の真如堂近く(京大の裏です)に、木造2階建ての2階すべて(3部屋あった)を借りて、さいろ社の松本君に大迷惑をかけながら自分を見つめ続けた。

近くに京都らしい銭湯があった。

高校の時の友人のアベくんが3ヶ月くらい転がり込み、その後インドに旅立っていった。

僕はそれでも、イマイチ自分のやりたいことがわからなかった。

空いた時間は、近くの真如堂をはじめとして、哲学の道や銀閣寺などをいつも歩きまわった。
さいろ社で取材した長野県の看護師さんたちを、哲学の道に案内したのもよい思い出。

そんなのを積み重ね、やがては茨木市にさいろ社は移転し、その後ぼちぼちと不登校の子どもたちへの訪問支援活動を始めたのだった。★











パリのバゲットサンド〜うまかったシリーズ④

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僕は2003年に飼猫の下半身不随猫トロオちゃんを亡くし、そのこと自体は悲しかったものの、トロオちゃんのケアのために旅行できない(トロオちゃんは自力で排尿排便できなかったので僕がお腹を押して介助していた)という生活から解放された。

その反動からか、阪大臨床哲学時代の恩師・本間先生がパリに留学したことを頼って、1人でパリに旅行してみた。
2週間強パリの本間先生宅にいたのだが、昼間は好き勝手に1人でブラブラしていた。

パリには何でもあるが、すべてが微妙にお高く、ランチのたびにレストランに入る経済的余裕は僕にはなかった。
だから、街のあちこちで気軽に買えるバケットサンドを毎日食べていた。

主にトルコ人らしい人々が経営する、日本の駄菓子屋みたいな佇まいの店(1畳くらいのスペースにごちゃごちゃモノを陳列している)で、300円くらいのバゲットサンドを買っては歩きながら食べた。

なんといってもパン自体がおいしい。おそらく寒くて乾いた気候が発酵させる生地自体がすごいんだろう、どこで買ってもパンはおいしかった。同じ味は、日本では出会わない。

もちろん日本のようにマヨネーズもつかっておらず、オリーブオイルすら使ってないものもあったが(要するに挟んで胡椒とバジルだけ)、それでもおいしかった。

パンと生ハムとチーズは、どこで食べてもおいしかった。それは値段ではない、気候がつくりだすもので、たとえば日本の味噌とか醤油とかうどんなんかも、日本の気候がなければ同じものはつくれないんだと思う。★










宇治の天下一品

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昨日、王将のことを書いていて思い出したのだが、僕は宇治のスケート場で大学時代アルバイトをしていて(チケット切りから靴だしまで何でもした)、その帰りにいつも「天下一品」のラーメンを食べていた。

当時は天一も今ほどの全国展開ではなく、京都に10数店あった程度だったと思う。
本店は北大路にあったが、各店微妙に味が異なり、今の天一よりもスープの味がだいぶ薄かった。

ネギがてんこ盛りなのは今と同じだが、「トンコツ」の意味を周知したのは天一だったと思う。
繰り返すが、あの頃のスープはもっと白く、もっと九州ラーメンに近かった。

つまりは美味しかった。

あの原体験が僕には残っており、現在のコモディティ化した天一の味にはなじめず、何年か前に訪れた博多で食べたラーメンのほうを当時の山科の天一と重ねあわせたものだった。

博多のトンコツラーメンと違うところは、博多が生姜でアクセントをつけるのに対し、天一はにんにくがポイントだった。味としてはやはり博多の屋台ラーメンが美味だが、80年代の天一も訴求力はあったなあ。★




山科の王将のニラレバは美味かった〜美味かったシリーズ②

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僕は学生時代、まわりの喧騒から離れたくて、しばらく山科の小野というところで住んでいた。

近所に橘女子大はあったがまったくの田舎で、原チャリで少し走るとやっと王将にぶつかるという、郊外の郊外の郊外、みたいなところだった、当時の山科は(今は地下鉄まで走っている)。

その、小野の王将でよくニラレバ炒めと餃子を食べたのだが、高校までは王将のない四国の田舎町で過ごしたため、その見事な王将ぶりに僕はやられてしまった。

週2ペースで通っていたと思う。当時は近くに「天下一品」もあって、天一週2、王将週2で食べても全然ウェッとならなかったし、太りもしなかった。やはり20才あたりの代謝量はすさまじいものがある。

もやしとニラがぱっと炒められ、そこに素揚げしたレバーが入る。僕は高校まで瀬戸内海の魚をほぼ週5で食べる生活だったので、そのレバーは美味しかった。もちろん瀬戸内の魚も美味いのだが、あの大雑把感が19歳あたりの僕にはマッチしていた。

大学の文芸部で接する人間関係、日々読む純文学類、いやいや読む経済学の専門書、大友克洋や大島弓子などのマンガ、それらといっしょになって、王将のニラレバは僕の20才手前の生活に色付けしています。★


「宮崎県の鰻」は美味かった

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先週は「魅力」シリーズで1日の気分転換をはかったので、今週は「美味かった」シリーズをやってみたい。

あれはもう25年くらい前になるか、九州旅行マニアの弟が運転する車に乗って、九州(大分〜宮崎〜鹿児島〜熊本)2泊3日強行突破旅行にでかけた。

その際、宮崎県の国道10号線沿いだっただろうか、そのあたりで食べた鰻屋の味がいまだに忘れられない。

関西風に焼く鰻重は、より焼き方と素材の自然さが徹底していて、旅先のあらゆるところで食べた鰻の中で、宮崎県の鰻が僕の口には最も合っていた(2番は高知・四万十川の鰻)。

僕の鰻の原点は、60才で過労死と飲み過ぎで死んでしまった父が、休日に時々炭火で焼いてくれた子どもの頃のあの味だったと思う。
あれも、四国の天然鰻+炭火+自家製タレの完ぺきな組み合わせだった。

カリカリな歯ごたえに、まったく臭みのない鰻、そこに少量のタレと山椒で包み込まれる。
父の鰻も、宮崎の鰻も、すごかった。

高価なわりには臭みが強いここ15年ばかりの鰻は、僕は食べる気がしない。また、若い頃のように、完ぺきな鰻を求めてあちこちさまよう気力もなくなってしまった。
その結果、「宮崎の鰻」が神格化されている。でも、あれは本当に完ぺきだったなあ。★



ヴィスコンティの魅力

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ほとんど「魅力」シリーズ化してきたが、この「魅力探し」は自分のルーツ探索にもつながるとこの頃は感じ始めた。

50才になって長い時間の映画を見る体力がまったくなくなってしまい、映画そのものが本当に遠くなった。30分のアニメさえほとんどがしんどく、最近見ることができたドラマは、例の「とっとテレビ」くらいかな。

とはいえ、10代20代の頃は僕は映画マニアで、いまのようなミニシアター系の佳作がたくさん上映される時代とは違い、テレビで名作を見ることができた。

ヴィスコンティの『山猫』も『地獄に堕ちた勇者ども』も『ベニスに死す』も僕はテレビで見た。
その勢いで、『ルードヴィッヒ』を映画館に観に行き、お尻が痛いなか3時間も座って凝視した。

ホンネではまったく感動しなかったのだが、なんというか、あの世界観をつくりきる情念というか、美意識というか、欲望というか、どの作品にもそうした念のようなものが宿り尽くしており、あれらを20代前半までに見きっていて、本当によかったと思う。

ラジオで淀川長治さんが、熱く熱くヴィスコンティを語るのもよかった。そういえば、ヴィスコンティというよりも、ヨドチョーさんの紹介のほうが好きだったかもしれない。キューブリックの『2001年宇宙の旅』の魅力(冒頭の類人猿シーンをヨドチョーさんは10分以上に渡って語り尽くした)も、僕はヨドチョーさんに教えてもらった。★


ピョートル・ヴェルホーベンスキーと首猛夫〜『悪霊』の魅力

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今日スタッフと話していて、
「なぜ田中さんはそんな感じなんですか」
という質問があった。

そんな感じとは、僕の日々の振る舞いがドライというか割り切っているというか人間関係を大切にしていなというか「悪魔的」というか、そういうスタイルでなぜ日々をやりくりできるのかということなんだと思う。

文章でしか僕を知らない人は、文章と現実のギャップに驚く人が多く、
「現実の田中さんに会わなければよかった」
と言われたことも何回かある。

それだけ、僕はどうも何か「変」らしい。

意図して割り切っているわけではないのだが、どうも 根本的「信頼」のようなものが、「土台」として僕にはないのだそうだ。

その原点を考えると、やはり、ドストエフスキー『悪霊』に出てくるピョートル・ヴェルホーベンスキーと、埴谷雄高『死霊』に出てくる首猛夫に行き着く。

この両書を読んだことがある人はもはや少ないだろうが、僕は高3(悪霊)と大学1年(死霊)で読み、決定的に影響を受けた。

革命がテーマである両書の、最大のキーパーソンである2人は、社会や集団を徹底的に撹乱して最後は敗北していく。
そのあり方が、10代後半の僕にとってはものすごくカッコよかった。

それこそ「ロック」だった。
もはや誰もわからないかもしれないが、僕の原点の一つなのです、サリンジャーのシーモア・グラスとともに(シーモアはまったく違うタイプ)★


オフコースの魅力

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こんなことを今さら言われても「はぁ?」の世界だろうが、1980年前後のオフコースは魅力があった。

添付動画の「哀しいくらい」以外にも、たくさんの魅力的な歌はあり、いまの小田和正もすごいのかもしれないが、あの数年間は何かに乗り移られるようにして魅力的な曲をこれでもかというほどつくっていた。

生粋のロックファンの僕がこんなことを書くのは恥ずかしいのだが、和製スティーリー・ダンといっていいほど、オフコースはすごかった。

というのも、実は僕は当時大学生で、同居している友人K君がいつもオフコースを聞いていた。
特にこの曲や、ラーラーラーのあの曲や、緑の日々なあの曲など、うっとおしいいなあと思うくらい、毎日オフコース漬けなのであった。

そんなK君が数年後、突然逝ってしまった(どんな逝き方かはここでは勘弁)。そういう、思春期の苦さ難しさ唐突さが僕にはその時突き刺さり、いまだにオフコースを聴いた時、支援者を志したいくつかの原点を思い出すのでした。★

アップルウォッチはデザイン

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アップルウォッチはこの秋ようやくOSが3.0にアップデートされ、アプリの起動が早くなったりするらしいのだが、この製品に関するレビューを読んでいると、人々がアップルに寄せる期待と、アップルが新ジャンルとして時計を定義したい狙いが見事にずれていることがわかっておもしろい。

腕時計は高価なものを例にあげなくても、時計の機能性よりはオシャレグッズとして普通位置づけられている。オシャレグッズの延長線上にブランド戦略があり、そうでなければ100万円の腕時計などありえない。

ブランド+オシャレ製品だからこそ、ダイヤが散りばめられゴールドがキラキラしている。持っている人も、これみよがしに見せつける。

アップルも、アップルウォッチをオシャレ製品にするつもりだと思う。が、アップルファンは、これまでのアップル製品を見るようにしてアップルウォッチを批評する。アプリの起動が遅いとかOSがアップデートされるとか。

僕はそんのはどうでもよくて、ステンレス・アップルウォッチの美しさにいまだに惹かれている。生粋のアップルマニアである僕ではあるが、アップルウォッチ・アルミから、アップルウォッチ・ステンレスになぜ変えたかというと、あのステンレスの輝きがその動機だ。

アップルウォッチは、機能性ではなくまずはその美しさから語ってあげればいいのになあと、OS3.0の記事などを読みながら思ってます。★





日刊ドーナツトーク/「炭水化物」ダイエットあるいは「1日1食ダイエット」

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炭水化物、特にお米を食べなければ痩せることができる。

その延長として「1日1食ダイエット」があり、数年前は提唱者の医師の本で注目されるだけだったが、いまや有名タレント(タモリやたけし)がこぞって推奨することから、僕が血迷って提唱しているという印象だけは免れるようになってきた。

1日1食というのは誤解があり、ジュースだけを何種類も飲む人もいれば、1回200kclのものを2時間ごとに食べる「間食」系もある。

共通しているのは、夕食だけは思う存分とるということだ。

ここでいう「食」は、言い換えると、どうやら「主食」、つまりは「コメ」をきちんと摂るかどうかということにつながるようで、炭水化物をできるだけ少なく摂る、ということになる。

1日1食の1食は、「シメ」をとるかどうかにも関わり、シメずに軽くおかずだけは、どうやら「間食」のほうになるようだ。

確かに、米をとらなければ体重が増えることはまずはない。
が、最近は炭水化物をとらない危険性も指摘されるようになっており(事実性はあやしいが某政治家の死因など)、極端な炭水化物制限はマズイ方向になってきた。

でも、50代になると、どんなものを食べても基本的にすぐに体重は増える。だからみんなウォーキングする(運動する)んだと、やっとわかってきた今日このごろです。★



日刊ショートコラムをやってみます。

今朝もFacebookで時事問題をついつい取り上げているわけですが、僕の興味が拡散しているのか世界がグローバル化し尽くしたのか、取り上げても取り上げても題材は尽きません。そんなわけで6年前から地味に続けてきたGoogleブログ(my donuts)で、毎日1本ショートコラムを書いていこうと思います。

分量的には1200字程度を予定。内容は、子ども若者問題だけではなく(それはYahoo!ニュース個人で書きます)、イギリスEU離脱からゲキ渋飲み屋(というか食べ物)紹介、そして僕らしい本や音楽やアニメ等の紹介まで自由にやってみます。

また、ネットでのニュースやブログ記事の批評もやってみます。というのも、日本のネットニュースはYahoo!が一人勝ちであり、Yahoo!にしてもオリジナル記事はほぼないという、まだまだ黎明期だからです。クオリティペーパーの日経ニュースなどはしっかり有料化されていますから、4割のアンダークラスの人々は読みようもない。

ただ、 無料コラムに関しても、さらなるメタレベル的批評があると、リテラシー育成にもつながるような。たとえば、下記リンク記事(イギリスEU離脱解説記事)などは秀逸ですが、その秀逸さにも解説があるとさらに理解がますように思えます。


https://blog.ladolcevita.jp/2016/06/25/pandoras_box_called_brexit/
とにかく気楽に。今日はコラムの予告とリンクだけです。いつまで続くかなあ。⭐️

日刊ショートコラムをやってみます。

今朝もFacebookで時事問題をついつい取り上げているわけですが、僕の興味が拡散しているのか世界がグローバル化し尽くしたのか、取り上げても取り上げても題材は尽きません。そんなわけで6年前から地味に続けてきたGoogleブログ(my donuts)で、毎日1本ショートコラムを書いていこうと思います。

分量的には1200字程度を予定。内容は、子ども若者問題だけではなく(それはYahoo!ニュース個人で書きます)、イギリスEU離脱からゲキ渋飲み屋(というか食べ物)紹介、そして僕らしい本や音楽やアニメ等の紹介まで自由にやってみます。

また、ネットでのニュースやブログ記事の批評もやってみます。というのも、日本のネットニュースはYahoo!が一人勝ちであり、Yahoo!にしてもオリジナル記事はほぼないという、まだまだ黎明期だからです。クオリティペーパーの日経ニュースなどはしっかり有料化されていますから、4割のアンダークラスの人々は読みようもない。

ただ、 無料コラムに関しても、さらなるメタレベル的批評があると、リテラシー育成にもつながるような。たとえば、下記リンク記事などは秀逸ですが、その秀逸さにも解説があるとさらに理解がますように思えます。

https://blog.ladolcevita.jp/2016/06/25/pandoras_box_called_brexit/

とにかく気楽に。今日はコラムの予告とリンクだけです。いつまで続くかなあ。⭐️

なぜ「こだま」に乗るのか〜石垣出張と新幹線

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■車ではなく乗りテツ

実は乗りテツな僕にとって、クルマは案外不便で(事故可能性高い+飲んだら乗れない等)、頼まれない限り運転しない。クルマのない不便さこそに「自由」がある気もするが、地方インフラの縮小から、地方こそクルマなんだよなあ。と、来年四国に戻る予定の僕はブツブツ。

で、「乗り物と時間に」ついて考えているうち、以前石垣出張の際に書いた私的記事が目に止まったので、短縮してお届けしてみる。

■石垣に行ってきた!!
2月14日〜15日、バレンタインデーなどすっかり忘れたまま、沖縄県・石垣市に一泊出張に行ってきた。 去年(2013年)後半から始まった、内閣府の仕事(「困難を有する子ども・若者及び家族への支援に対する支援の在り方に関する調査研究企画分析会議」委員)の一環で、石垣市でのユースアドバイザー養成講座等の講師として伺った。
まあそうした委員・講師仕事のあり方については、より一般化・抽象化していずれ考えていきたいのだが、ここでは、「石垣一泊二日」という時間の過ごし方について綴ってみたい。
■20年ぶり
僕にてとっては20年ぶりの石垣だった。あの頃は直行便も格安チケットもなく、ずいぶん時間とお金をかけて辿り着いたという記憶があった。 20年前もすべて飛行機で行ったものの、那覇で南西空港に乗り換える必要があり、何よりもかなりのお金が必要だった。
が、今は格安だ。 格安チケットであるスカイマークの飛行機は、神戸空港から7:30に出発する。ということは、逆算していくと、6:00頃には自宅を出なければいけない。ということは5:00起きだ。
僕は朝早いのはなんの苦痛でもなくいつも目覚めているし飼い猫のマーちゃんに毎日5:30に朝ごはんを出しているから、まったく問題ではない。 当日、実際は4:00に起きて淡々と準備をして淡々と出かけた。心配していた雪の影響もなく、神戸空港に着き、飛行機に乗った。
■はやすぎる〜
スカイマークは、行きは神戸からだと2時間20分くらいかかる(帰りは2時間切る)。それなりの長時間移動なのだが、飛行機2時間なんて、実はあっという間。ゴゴゴーッと飛んで、時々揺れて、何か耳が変で座席も狭く、トイレもめんどくさく、といった機内では、人の身体はかなり緊張しているかもしれないせいか、なんとなく時間が早い。
だからあっという間に石垣に着いた。で、20年ぶりにこんな光景と再開した。

日本人の「決定」〜反原発主義は背景化する

■「日本」らしい

福島県の放射線問題は、原発事故の被害問題を考えるときに非常に「日本らしい」問題を含んでいると、この頃感じ始めた。

それは、「日本」からは誰も逃れられないということであり、放射線の問題にナイーブになればなればなるほど、今現在福島県に住んでいる200万人の人々の生活のあり方はとりあえず置いておかれる問題だ。

具体的には、どれだけ数値的には安全なものだと行政や医療機関が報告しようが、放射線の長期的影響は現時点では厳密には予測できないことから、それら報告の信ぴょう性を疑う人々がいる。

またここに、長年の「反原発主義」と原子力行政への疑いが重なり、すべてのことにおいて慎重になる人々がいる。

その気持ちは僕もわかる。わかるから、そうした潔癖主義には同調していきたいところだ。
が一方で、今日も福島の人々や福島の子どもたちは生活している。

僕は大阪で生きており、福島第一原発からは遠く、原発事故が引き起こした「汚染エリア」からも遠いところで生活している。

そうした立場では何でも好きなことが言えるが、言わないように僕は倫理的に自分を警戒している。
その「警戒」のひとつとして、福島県のすべての状況は「あぶない」などと言うことが含まれる。

■「日本」の倫理

ガンは長期的に発症し、原因が特定しにくいため(甲状腺ガンすら生存可能性が心配されるほど拡大するまでの発症期間がつかめていないという)、福島第一原発の事故が巻き起こした放射線がどれだけ数十年後のガンの原因になるのかは、いまの時点ではわからないようだ。

スクリーニングよる「発見」の多さは原発事故と直接はつながりにくい、原発事故が原因による発症は今のところはつかみにくい等、多くは否定的論証として(〜ではないから危険だとは言えない)言うしかない。

それが、科学というものであり、特に誠実な科学(誠実な医学や誠実な社会学)であろうとすると、そのような「否定神学的」実証しか難しいと思う。

一方で、福島では200万人の人達が生活している。その中には子どもも含まれるし、避難所で今なお生活する人々も含まれる。

当然、そのような方々の生活も射程に入れなければ、「誠実」な福島原発に関する議論とは言えない。
要するに、福島県で生活する人々のガンへの罹患性も視野に入れて、「反原発主義者」は、原発の危険性や子どもたちの健康について議論する必要が…

福島県浜通り、「幽霊」のいないゴーストエリア

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■父のゴースト

僕はたくさんネット記事を書いているからここで書いたかどうか忘れてしまったけれども、僕にとって「幽霊」とはポジティブな響きをもっている。

幽霊という他者は、我々が生きている間、常にあちこちに偏在している。

それは、過去にも未来にも偏在する。
また地理的にも、それはロシアにもソマリアにもコロンビアにもメキシコにも、当然香川県◯◯市(僕のふるさと)にも大阪市西成区にも偏在する。
また、ネット上のFacebookページにもTwitterにも偏在する。

幽霊はあらゆるところに偏在し、いまある我々になんらかの影響を与えている。

その声は、我々の記憶のどこかにとどまっており、それはたとえば僕の父親が病気で死ぬ1ヶ月前に発した声として僕に痕跡として残っている。

「俊英、わしはもうダメかもしれん」

と、死ぬ寸前の父は浮腫で腫れ上がった顔を歪ませながら笑い、僕を見上げたものだ。

その表情に対して僕はさすがに過去の恨みつらみを言う欲望には襲われなかった。
その浮腫の笑みはいまだに僕を「ゴースト」としてつかみ、そのゴースト=幽霊の声に応えるべく(差別主義者の父ではあったが、倫理的には高く、その倫理基準を僕に伝えてくれたことには感謝している)、僕の日常はある。

■パリのゴースト

たとえば、亡き父というゴーストひとつとっても、それはいまだに僕を捉えて離さない。

肉親の父にしてこうだから、あらゆる幽霊の声が日々の僕を「痕跡」として捉える。

有名人では、最後の授業にパリにまで僕は潜り込みに行ったもののその前に死んでしまったデリダの声、70代で自殺した今世紀最大の肯定主義者ドゥルーズ、HIVで亡くなってしまた本物の知識人フーコーらをはじめとして、これでもかというほど、それら幽霊はポジティブな存在として僕を包む。

だから僕には、現実の他者は基本的にそれほど必要ない。
パリの墓地にも、香川県◯◯町の墓地にも、そうしたゴーストであり幽霊であり他者である存在は僕を包み込んでいる。

ある意味、「ソーシャル・インクルージョン」とは、僕にとってはまずは他者=幽霊かもしれない。

■ゴーストを消す「出来事」

が、今日、福島県浜通りを貫く国道6号線を北上して感じたのは、本当に「ゴースト=他者=幽霊のいないゴーストエリア」という領域があるかもしれない、ということだ。

厳密に言えば、そこには2,000年…

壁を壊すために変われ〜デビッド・ボウイの規範

■意外に世界中が悲しむ

デビッド・ボウイが癌で死んでから、意外に世界中の人々が悲しんでいる。

意外に、というのは、ボウイは僕にとってはマニアックなスターだったからだ。
追悼欄などでは、ボウイは日本では「戦場のメリークリスマス」で日本に受け入れられたとあるが、まさにその通りで、大島渚監督がくどいて日本映画に出演させるまでは、ボウイは日本ではマニアックなロックスターだったと思う。

ボウイは地球に堕ちてきた男で、スペース・オディティなジギー・スターダストで、時にダイヤモンドなヤング・アメリカンとなり、 イーノという超インテリと出会ってからベルリン3部作を作ったもののそこから離れてレッツ・ダンスした。

僕がボウイをリアルタイムで追っていたのはレッツ・ダンスまでだったけれども(そんな人は多いのでは?)この10年間(70年代全般から80年代前半)の変容だけでもたいしたものだ。

まさにボウイは、「変わること」こそが“善”であり、変わることこそが「自由」であると教えてくれた。
彼にとっての唯一の規範が「変わること」だったのではと思われ、僕は聴きこんではいないものの遺作の『★』は最新ジャズをベースにしている。

■なぜか名曲ではなく新作に向かってしまう

ジョン・レノンが死んだ時は僕は高校2年生で、しばらくは何もできなかった。「マザー」と「ゴッド」と「ワーキング・クラス・ヒーロー」と「インスタント・カーマ」と「パワー・トゥ・ザ・ピープル」ばかり繰り返して聞いた記憶がある。

僕はいま51才なので そんなこともなく、昨日家族から「デビッド・ボウイという人が死んだらしいよ」と聞かされたときは一瞬「え?」となったものの、その後は動揺なく過ごせた。

が、一晩寝ていまは1月12日の午後だが、妙に重く深く一瞬一瞬に「効いて」いる。まるでボディブローのように、うぐっ! みたいな感じでダメージとなっている。
で、これを書きながら聞いているのが新作の『★』なのだ。「ジギー・スターダスト」でもなく「スペース・オディティ」でもなく「アッシェズ・トゥ・アッシェズ」でもなく、かなり聞きにくく重い『★』。

新作批評はここでは控えるけれども、亡くなった時に「最も『今』のボウイが聞きたい」と思ってしまうのが、ボウイなのかもしれない。
一番新しい「変容」のかたちが知りたくなる、それがボウイだ。

■Thank you for helping to br…

誰が「ことば」を豊かにする?

■そんなシンプルな価値でいいのか?

アンダークラスの親の「文化」を相対化するには何が一番有効だろうか。
貧困家庭に生まれ、日々アンダークラスの親が使う「庶民的なことば」のシャワーに包まれて育つとき、その「ことばが構築する世界」そのものが、子どもが抱く価値となる。

僕はアンダークラス高校生と仕事で接することが多いが、彼女ら彼らが用いるフランクで庶民的なことばに癒やされることも多い。
だから一概に「庶民的なことば」のすべてが悪いとは言えない。

が、それらのことばは、「ざらついた」感じも僕に与える。あるいは、何かをすっ飛ばしたような、荒っぽい感じもする。
そして、丁寧に(あるいは粘着質的に)語る僕のような言葉づかいが嫌悪あるいはあからさまに距離をとられる時、「そんなシンプルな価値でいいのか?」と思ってしまう。

■学校内文化にも限界がある

そのシンプルさ(あるいは紋切り型ことば)の行間から滲み出てくる、ハイティーンらしい「外の世界」への憧れのようなものがあり、ハイティーンらしくそれは屈折してはいるものの、総合的に解釈すると、僕が使うことばとそれと同時に現れる価値観が魅力的に映るようだ。

だから僕は何とかハイティーンと「居場所」で過ごすことができるのだが、そんな彼女ら彼らに「文化資本」を伝えるにはどうしたらいいんだろうと常に悩んでいる。

文化資本には3種類ある(P.ブルデュー『ディスタンクシオン』)。
ひとつは「学歴」、ひとつは「習慣」、ひとつは「日常に使うモノ」だ。
このなかでは学歴は親の経済力が最も反映するから、ハイティーンからの取り返しは難しい。ハイティーンからフォローできるものとしては、習慣(ハビトゥス)や日常使うモノ(オブジェ)のほうがまだ可能性はある。

だからofficeドーナツトークでは、高校内居場所(「となりカフェ」や「ほとりカフェ」や「なかカフェ」や「わたしカフェ」)において「文化」を伝達することに力を注いできた。

が、学校内での「文化」にも限界はある。

■親に期待できない

だから、できれば家庭内で文化教育をしてほしい。たとえ親御さんが経済的に苦労していても、習慣や文化的モノにくふうし、子どもたちの価値を広くしてほしい。

と考えるのは、部外者の支援者だから。
虐待などが多く絡む貧困家庭においては、親御さん(といっても40才にすらなっていないある意味「若者」だ)に文化資本のフォローを期待しても…