壁を壊すために変われ〜デビッド・ボウイの規範

■意外に世界中が悲しむ

デビッド・ボウイが癌で死んでから、意外に世界中の人々が悲しんでいる。

意外に、というのは、ボウイは僕にとってはマニアックなスターだったからだ。
追悼欄などでは、ボウイは日本では「戦場のメリークリスマス」で日本に受け入れられたとあるが、まさにその通りで、大島渚監督がくどいて日本映画に出演させるまでは、ボウイは日本ではマニアックなロックスターだったと思う。

ボウイは地球に堕ちてきた男で、スペース・オディティなジギー・スターダストで、時にダイヤモンドなヤング・アメリカンとなり、 イーノという超インテリと出会ってからベルリン3部作を作ったもののそこから離れてレッツ・ダンスした。

僕がボウイをリアルタイムで追っていたのはレッツ・ダンスまでだったけれども(そんな人は多いのでは?)この10年間(70年代全般から80年代前半)の変容だけでもたいしたものだ。

まさにボウイは、「変わること」こそが“善”であり、変わることこそが「自由」であると教えてくれた。
彼にとっての唯一の規範が「変わること」だったのではと思われ、僕は聴きこんではいないものの遺作の『★』は最新ジャズをベースにしている。

■なぜか名曲ではなく新作に向かってしまう

ジョン・レノンが死んだ時は僕は高校2年生で、しばらくは何もできなかった。「マザー」と「ゴッド」と「ワーキング・クラス・ヒーロー」と「インスタント・カーマ」と「パワー・トゥ・ザ・ピープル」ばかり繰り返して聞いた記憶がある。

僕はいま51才なので そんなこともなく、昨日家族から「デビッド・ボウイという人が死んだらしいよ」と聞かされたときは一瞬「え?」となったものの、その後は動揺なく過ごせた。

が、一晩寝ていまは1月12日の午後だが、妙に重く深く一瞬一瞬に「効いて」いる。まるでボディブローのように、うぐっ! みたいな感じでダメージとなっている。
で、これを書きながら聞いているのが新作の『★』なのだ。「ジギー・スターダスト」でもなく「スペース・オディティ」でもなく「アッシェズ・トゥ・アッシェズ」でもなく、かなり聞きにくく重い『★』。

新作批評はここでは控えるけれども、亡くなった時に「最も『今』のボウイが聞きたい」と思ってしまうのが、ボウイなのかもしれない。
一番新しい「変容」のかたちが知りたくなる、それがボウイだ。

Thank you for helping to bring down the .

驚いたのは、ドイツ外務省がボウイの死に際して下のようにツィートしていたこと。

Good-bye, David Bowie. You are now among . Thank you for helping to bring down the .
(ベルリンの)壁を壊すことを手伝ってもらって感謝します。
ドイツといういまだ世界で影響力のある国の外務省が特定の個人に対して追悼だけではなく謝意を示している。

ボウイは確かに『ロウ』や『ヒーローズ』で、ドイツ分断と冷戦を嘆いた。が、その数年後はレッツ・ダンスしている。
ボウイとしてはその時(70年代後半)当たり前のようにドイツに行き、そこでロウとヒーローズした。ウィ・キャン・ビー・ヒーローズと叫んだものの、そのWeはベルリンの壁近くで寄り添う恋人たちのことであり、政治的な民主主義者たちのことではない。

自らの規範かもしれない(それも唯一の規範かもしれない)「変わり続けること」に忠実であり続けた結果70年代後半にベルリンに行きヒーローズした。そのことが結果として、ベルリンの壁の崩壊を願う全世界の人々の総体的エネルギーの核となっていった。

個人的な変わることが、世界の変容に結びつき、今はドイツの国家権力がそのことを感謝する。権力と最も遠いはずの「自由」が、社会を実際に変えてしまった。

■君は変わるべきだ

言い換えると、変わることはボウイにとっては規範かもしれないが、同時に「自由という文化」でもある。

変わってもいいんだよ、いや、むしろ君は「変わるべき」だろうと、ボウイの作品はいつも問いかけてくる。
チェチェチェチェンジズ〜(「チェンジズ」)と歌う時もあれば、ジギー・プレイ・ザ・ギターと語る時もあり、インストルメンタルのアルバムB面(『ロウ』)で問いかけてくることもある。

よく考えれば僕は、この「変わること=善」という一風変わった規範にずいぶん助けられてきた。その規範は、「自由」だった。
悲しんでいる人が世界にこんなに多いということは、今は「自由」がだいぶ不自由になっている時代なのかな。★

「文化ドーナツ」より