「べき」のマーケティング〜べきばっかりでウンザリ

どうも5年くらい前から鼻について仕方ないのだが、あちこちのエッセイや記事のタイトルに「〜すべき◯◯」みたいな感じでさらっと主張しているものが目立つ。

まあそのうちなくなるだろうと流していたのだが、いつまでたってもその手のタイトルは撲滅されず、いろんな単語をくっつけていつまでも残っている。

たとえば今日のFacebookタイムラインで見ただけでも、「プログラミングは小学生からすべき」とか、その他「〜すべき」がたくさん出てくる。
その中身はどうでもいいのだが、「べき」の押し付け感が僕にはうっとおしい。

べきは、言い換えると規範のことで、「学校に行くべき」とか「仕事をすべき」とか、そうした典型的規範を中心として、単なる広告コピーや本のタイトルなんかも含めると、もう我々の社会はそんなのばかりだ。

せめてエッセイとかタイトルくらいはもっと自由な適当なものであってほしいのだが、油断したら「べき」が目に入ってくる。

それどころか、「べきのマーケティング」とでも言っていいほど、「べき」は売れるあるいはヒットするのかもしれない。

べきを何気ないことばにくっつけると、新規な感じになり、人々の注目を集める。
そんな社会の雰囲気になったようだ。

僕自身は、不登校支援やひきこもり支援の中で、登校規範や仕事規範と長年にわたって向き合ってきたので、すっかり脱力してしまう。
「べき」が売れるって、なんだかなあ。★