バナナフィッシュとエズミに出会ったのは図書館だった

学期のはじめは、子どもたちの自殺数が増加するらしい。

そのニュースがこのところネット関連では報じられていて、たとえば下記のような記事がFacebookの僕のタイムラインで表示されていた。
学校が死ぬほどつらい子は図書館へ

学期のはじめに図書館に行ったからといって、子どもたちの状況はそれほど変わるはずないだろうと僕は思ったが、その後よ〜く自分の10代を思い出すと、そういえば僕の人生を変えたのは図書館だったことを思い出した。

それは高校2年のいつか、常に自殺を考え、線路とビルに近づくのは避けていた頃、なぜ高校の図書館を訪れたかは忘れてしまったが、ひたすら自分の抱えるテーマと似たような作品群を探して、いや、とにかく「自分にヒットする文字」を探して、図書館の通路を歩いていた。

時間は午後3時頃かなあ。
たまたま目の前にあったアメリカ文学の棚に『ライ麦畑でつかまえて』という本があり、その書名には惹かれたものの天邪鬼な僕はその本を無視し、隣にあった文庫本『ナイン・ストーリーズ』を手にとった。

そして、図書館のうすぼんやりした光に包まれながら、冒頭の1編「バナナフィッシュにうってつけの日」を読了したのだった。

主人公シーモア・グラスが最後に唐突にとる行為に遭遇して僕は、人の人生とはそんなものかなあと思うと同時に、「この人(シーモア)ほど自分は人生を見きっていないや」と思ったのだった。

いや、なにを思ったのかは正確には忘れた。
とにかく、その、図書館の数十分の後に、僕は「自殺」から遠くなり始めた。

学期のはじめに図書館が「効く」のかはさておき、文学は人を変える。
僕の場合は、野崎孝訳『ナイン・ストーリーズ』だった。同書所収「エズミに捧ぐ」も最高。★