バーンアウトがやってきた

僕は20代は独立系出版社(さいろ社)、30代前半は個人で(不登校)訪問支援、30代半ばに阪大の大学院で臨床哲学を学びつつ、子ども若者支援NPO(淡路プラッツ)で代表を10年務めた。

46才の夏、子ども若者支援に関して、民間支援施設中心で「学会」をつくろうと思いつき、あちこちに声をかけて「これはいける!!」と思い興奮した日の昼、脳出血になってしまった。

幸い、職場の近くに淀川キリスト教病院があり、緊急搬送されて手術、1週間記憶なく過ごし(記憶はないがその1週間の間も病棟で語りまくっていたそうだ)、やがて目覚めた。

そして医師に、
「本当に生かされた命だから、より社会のためにがんばってください」と
いきなり励まされた。

僕なりにその覚醒は奇跡的なことだと自覚していたから、そんな奇跡的覚醒時に「社会のためにがんばれ」と医者から言われるとは思っていなかったが、なぜかその言葉はストンと落ちた。

だからその後、いろいろあったものの、一番「底」の理由では、「生かされた命」を完全燃焼するためにドーナツトークをつくった。
僕はたぶんシャイなので表面的にはいろいろ顰蹙をかったかもしれない独立だろうが、今になってみると、「完全燃焼」の一環だと思う。

それが、予定では5年くらいかかるはずだった「府内の高校に居場所をたくさんつくる」という目標が、独立2年で達成された(20ヶ所)。

それと同時に、なぜか支援者として燃え尽きた感が生じている。僕でなくても、子ども若者支援はできるという、まあいわゆる「バーンアウト」ですね。

さいろ社時代、多くの看護師さんたちにバーンアウトに関するインタビューを行なってきたが、やっぱり自分にも訪れたのだ(つづく)。★