メンバー・オブ・ザ・パブリック

メンバー・オブ・ザ・パブリック。
事件関係者の実名報道問題は、日本の匿名文化や「しゃしゃりでない美学」とつながる。
対して「メンバー・オブ・ザ・パブリック=公共の一員」文化では「語る責任」とつながる。
できるだけ語らず公式文書を読み上げる文化(日本)と、あらゆることに言葉を尽くす文化(それ以外)。

前者は、しゃしゃり出ず空気を読み余計なことを言わないことが美しい。
後者は全員が公共の一員だから、必要なこと必要でないことすべてを包んで語る責任があることが前提になっている。

日本文化内で後者(メンバー・オブ・ザ・パブリック)を貫くと、必ず浮く。
空気文化(匿名の同調圧力文化)は、ある局面では「おもてなし文化」になり礼賛される。が、多くの局面では、メンバー・オブ・ザ・パブリック文化が支配的な世界文化(このヨーロッパ価値の是非は置いとき、この価値が自然な人が日本では育成されているのも事実)からは浮いてしまう。

この点に気づいた人々は「出る杭」として、空気あるいは匿名あるいは「つぎつぎとなりゆくいきほい」(丸山真男)の中に吸収させられる。51才になった僕の結論は、この独特な文化に個の力だけで立ち向かうと疲れ切るということだ。

が、メンバー・オブ・ザ・パブリックな人は、この空気文化の中ではキャラも立たざるをえないので、一人で疲れ続けざるをえないというメカニズムもある。

今日も僕は疲れきったが、かといって51才になると後戻りはできない。★