家族(ファーストプレイス)の中にサードプレイスをつくる

 家族はファーストプレイス、職場や学校はセカンドプレイスと言われる。そしてサードプレイスは、ヨーロッパではカフェやバール、アメリカでもバーなのかな、日本ではおそらく「銭湯」がそれだった。

けれども、アメリカと日本ではこのサードプレイスが崩壊している。「街の銭湯」は、毎日つぶれている。

僕は、自分の法人の実践の中で、「セカンドプレイスの中にサードプレイスをつくる」ということを追求してきた。

具体的には、高校の中に「居場所カフェ」をつくるということだ。その「第一号店」である大阪府立西成高校「となりカフェ」は、今年で10周年を迎えている。

主に親の貧困によって生きづらさ(虐待・ステップファミリー等)を抱える10代の人々にとって、そのファーストプレイス(家庭・家族)は過酷である。普通考えられているそれとは違い、彼女ら彼らにとって決してくつろげる場所ではない。

けれども、彼女ら彼らにとってのセカンドプレイスである「学校」「授業」も、緊張の連続である。

友達関係に苦しむ。いじめの被害にあう。虐待の影響により、勉強がわからない(理解力が育成されていない)。

緊張の連続である家庭よりはましかもしれないが、学校も別の意味で緊張を強いられる。

現代の、主としてアンダークラス(一部ミドルクラスも)の高校生にとって、家庭も学校も、リラックスできないことが多い。ホンネも弱音もそこでは吐けず、失敗も許されない、ハードな場所だ。

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かといって、部外者が唱える「街のサードプレイス」、たとえば子ども食堂にも行きにくい。子ども食堂でごはんを提供されることは、自分が貧困だとカムアウトすることだからだ。

だから、僕の知る限り、深刻な貧困問題を抱える生徒は子ども食堂を利用しない。そこを利用するのは、地域ネットワークを親が構築できる、コミュニケーション能力に長けたミドルクラスのファミリーたちだ。

だから、アンダークラスの子どもたちは「公園」にたむろするか、友人宅を渡り歩く。だがそれらの場所は危険に満ち溢れている。具体的には、そこは「性」とトレードオフの場所になる。

日本の、生きるのがつらい10代にとって、サードプレイスがない。最もサードプレイスを求める人々に、サードプレイスが遠い。

だから僕は、「となりカフェ」をはじめとして、学校の中にサードプレイスをつくることを模索してきた。

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だが問題は「家族」である。ネグレクトや心理的(怒鳴る)虐待を中心に、日本の家庭には暴力が渦巻く。ちなみに虐待の最大の加害者は「実母」なので、そこにジェンダー問題は実はそれほど重要ではなく、親の子に対する支配/所有の問題のほうが大きいだろう。

子を支配し所有する親にとって、家の中に、「子ども専用のサードプレイス」をつくることなど論外だろう。

けれども、どんなかたちでもいいので、家の中にサードプレイスを構築できれば、子どもたちは短時間でも楽になれる。

それはさまざまな変則的スタイルで実現すればいいと僕は思っている。たとえば、

①スマホとイヤホンで音楽を聴いたり動画を見る

②iPadとイヤホンでゲームをする

③スマホやタブレットで友達とLINEをする

などだ。

「攻殻機動隊」ではないが、「ネットの世界は広大」だ。ある程度の制限を設けながら、ネット空間を使うことは、「サードプレイス」と接触することと同義になる。

またネットに疲れた時、音楽を聴いたり動画(映画等のコンテンツ含む)を視聴することも、サードプレイスを呼び込むことになる。

1人でイヤホンで音楽を聴く。その曲は最初は友達の影響下にあるものだろうが、10代によってはそこから逸脱する。もちろん、逸脱しない10代がほとんどだろうが、中には逸脱する人もいる。

それらの10代は、逸脱のしかたによっては、オザケンに流れ流線形に流れビョークに到達し、やがてクラッシュとベルベッドアンダーグラウンドとニコに流れ、ストーンズとビートルズと出会うだろう。

そうした王道でもなく、マイケルジャクソンやスティービーワンダーやダイアナロスと出会う若者もいるだろう。

そことは別の、矢野顕子やYMOやはっぴぃえんどと出会う10代もいるだろう。

映画であれば、スターウォーズの全作品に始まり、ルーカスの学生時代の実験作品に行く10代もいるかもしれない。

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つまり、家の中のサードプレイスとは、「文化」そのものだ。

まあ、上に書いた諸作品は、僕が高校生の頃、自分のファーストプレイス(家)の中で出会った諸作品だけれども、現代の10代は、ゲーム作品を中心にさまざまなサードプレイスと出会っていると思う。

その生活自体は「ひきこもり」そのものかもしれないが、親の知らないところでサードプレイスに出会う、それがその10代を強くしている。

そして、そのサードプレイスとの出会いを応援する、リアルな「サードプレイス大人」の存在も必要だろう。

そのサードプレイス大人は、言い換えると「変な大人」のことであり、具体的には僕(田中)だったりする。

その変な大人は、リアルなベルベッドアンダーグラウンドであり、THX1138(ルーカス作品の主人公)なのだが、1138が自由を得ようともがいたように、現実世界で「自由」を夢見る。

そんな感じで、プライベート領域(家庭)に、文化と自由を変則的に導入することが、「サードプレイス」の現実的提案ということになる。