■「となりカフェ」総括シンポジウム
昨日3月23日、府立西成高校を中心に展開してきた「となりカフェ」事業の今年度まとめのミニシンポジウムが、午前中の早い時間にもかかわらず満員御礼で開かれた。これは、大阪府の高校中退フォローアップ事業でもある。
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大急ぎでつくったチラシ。 インパクトはある。 |
二人の発表後、参加者のみなさんに感想や問いをカードに書いていただき、ホワイトボードに書きだした「子どもと『ホーム』」「家庭環境と貧困」等のカテゴリーに、参加者全員が自分のカードをぺたぺたと貼り付けた。
このカードを元に、後半は参加者も積極的に参加するかたちで議論した。
参加者は、学校の教員や行政(府や基礎自治体)関係者、子ども若者支援NPOやシングルマザーグループ等のソーシャルセクター関係者、また府会議員や教育委員も来られるなど、この事業への関心の高さを示すように、多彩な顔ぶれとなった。
■「先端」と「マイノリティ」
高校中退に追い込まれてしまう生徒たちの困難さは、当たり前だがその生徒一人ひとりの個人的資質の問題だけではまったくない。
保護者の状態(経済状況・精神状態等)、そうした経済状態に追い込まれてしまった背景にある社会環境、そうした社会環境を形成してしまったマクロな経済状況や政治等、問題の切り取りをどこで留めるのか、また留めてもいいものなのか、この問題を考えるすべての者に問いかけてくる。
またこれは、決して「西成区」だけの問題だけではない、「西成」の抱える困難さが全国区的に有名なあまり、この困難さは西成固有の問題だと片付けられてしまいがちだが、これは決してマイナーな問題ではなく、格差社会での「先端」の問題だというほうが近いだろう。
マイナーと先端の優劣を述べているのではなく、高校中退問題として表象される一連の問題は、大きな意味では、格差社会の中の歪みの「先端」だということだ。
問題の性質としては、「象徴・先端」としてのひとつが「高校中退」であり、その結果生じるさまざまな困難さが「マイノリティ」的カテゴリーの問題へと追いやる。高校中退は先端的問題であるが、結果として中退関係者をマイナーへと押しやっていく。
■大学中退予防との比較
大学予防と比較していうと、いまFD(ファカルティ・ディベロップメント〜大学教員の能力開発)といった流行概念のもとに、教員(個人・システム)の質の向上が大学中退予防を促進するという流れがあるようだ。
これは、少子化時代になぜか大学が増加し、子どもの2人に1人が大学生になる今、各大学の生き残り策としては非常に意味のある流れだとは思う。
だが、FD自体は、大学中退予防というよりは大学倒産予防といったほうが近い称号だと僕は思っている。
誰もが大学に行く現在、各大学は他大学より魅力的なものとなり、学生をつなぎとめておく必要がある。そのための「QCサークル」的取り組み(比喩的に言ってます)がFDであり、これは、大学生一人ひとりの立場に立ったものというよりは、あくまでも「大学側の論理」に立ったものだ。
僕は、大学中退予防の最大の謎解きは、つまりは「大学の半分が倒産すること」だと思っている。子どもの数が減ったのだから、それに合わせて大学も減るしかない。
今の日本は、子どもの数が減りつつ格差社会になっているというたいへんな社会なのだが、格差社会のなかでの平等な教育機会と、少子社会の中での一部リソースの偏りは区別して考える必要がある。
つまり、「平等な教育機会の提供」が、「大学の増加・維持」にはつながらないと僕は思う。教育は、大学という(学歴的に)偏ったリソースのみを増加させるのではなく、個人のニーズに応じた多彩なリソースを用意すべきだ。
現在行なわれている大学中退予防は、大学倒産予防のための大学生つなぎとめである。そもそもの、「そんなに誰もが大学生になるものなのか、人の進路は大学が完成形なのか」という議論がなされていない。根本議論ができない日本の特徴がここにも現れている。
■ターゲット化の困難さ
僕も司会していて当日会場内の写真を撮る時間がなかった。 ドーンセンター5Fセミナー室2が会場。 |
高校中退予防は大学中退予防と違って、高校を半減させればいいという問題でもないだろう。高校の「半義務教育化(教育水準の向上)」は、国民全体のコンセンサスだと僕は思っている。
大学は10代後半の「選択肢の一つ」で構わないだろうが、高校は「国民の重要な権利のひとつ」にまで高まった、と僕は解釈する。
そして、全日制高校中退→しばしひきこもり→通信制高校入学・退学→本格的ひきこもり→日本社会の中の「潜在的存在」へと潜り込み、という少子高齢社会の最大のウラ問題の温床であると、僕が思っている問題だ。
大学中退も「潜在層」へと変質していく温床ではあるのだが、よりディープな潜在層(アウトリーチがより困難な潜在層)こそが「高校中退」だと僕は思っている。
また、「ターゲット化」がより困難な層も高校中退だ。
その現実化の可能性はさておき、半減化をとりあえず提唱できる大学中退予謀と違い(FDにしても考え方はシンプルだ)、高校中退予防は、どこまでターゲット化すればわからないほど問題の射程は広い。
つまり、本人の資質・保護者の資質・家庭環境・友だちの環境・学校の取り組み・進路後の就労環境・地域の福祉環境・都道府県の教育的福祉的取り組み・国の教育的福祉的取り組み・グローバリゼーションの問題……。
きりがない。ターゲット化自体、広がった先には、肥下先生の反貧困学習の取り組みにあったように、究極のところでは「バングラデシュの子どもたちが抱える困難さ」とつながってしまう。
そして、そのターゲット化の困難さは、まじめにやればやるほど(つまり問題をグローバルに拡大していくほど)当事者・関係者の無力さにもつながる。
ここを無力にならないようにするためには、問題の絞り込みを常に行ない続けていかなければいけない。
そのためにも、「となりカフェ」は何らかのかたちで(「新しい公共」財源のため今年度で財源が尽きる)続ける必要がある。
これからの数ヶ月、事業延長のために僕は全力を尽くします。★