グルメシリーズもなんか狙い過ぎな気がしたので、もっと手軽な「印象的な街」シリーズを今週はやってみる。
僕は24〜5才あたりに、京都は左京区の真如堂の近くに住んでいた。
その少し前に始めた「さいろ社」(独立系出版社)の編集仕事はやりがいはあったが、このままで自分はいいのか、本当に医療や教育の社会問題を取材・ルポして一生食べていくのか(その頃やっと食べていけるようになっていた)、ずっと悩んでいた。
さいろ社の仕事は続けつつ、なんとなく自分を見つめるために(あるいは逃避するために)、京都の真如堂近く(京大の裏です)に、木造2階建ての2階すべて(3部屋あった)を借りて、さいろ社の松本君に大迷惑をかけながら自分を見つめ続けた。
近くに京都らしい銭湯があった。
高校の時の友人のアベくんが3ヶ月くらい転がり込み、その後インドに旅立っていった。
僕はそれでも、イマイチ自分のやりたいことがわからなかった。
空いた時間は、近くの真如堂をはじめとして、哲学の道や銀閣寺などをいつも歩きまわった。
さいろ社で取材した長野県の看護師さんたちを、哲学の道に案内したのもよい思い出。
そんなのを積み重ね、やがては茨木市にさいろ社は移転し、その後ぼちぼちと不登校の子どもたちへの訪問支援活動を始めたのだった。★
僕は24〜5才あたりに、京都は左京区の真如堂の近くに住んでいた。
その少し前に始めた「さいろ社」(独立系出版社)の編集仕事はやりがいはあったが、このままで自分はいいのか、本当に医療や教育の社会問題を取材・ルポして一生食べていくのか(その頃やっと食べていけるようになっていた)、ずっと悩んでいた。
さいろ社の仕事は続けつつ、なんとなく自分を見つめるために(あるいは逃避するために)、京都の真如堂近く(京大の裏です)に、木造2階建ての2階すべて(3部屋あった)を借りて、さいろ社の松本君に大迷惑をかけながら自分を見つめ続けた。
近くに京都らしい銭湯があった。
高校の時の友人のアベくんが3ヶ月くらい転がり込み、その後インドに旅立っていった。
僕はそれでも、イマイチ自分のやりたいことがわからなかった。
空いた時間は、近くの真如堂をはじめとして、哲学の道や銀閣寺などをいつも歩きまわった。
さいろ社で取材した長野県の看護師さんたちを、哲学の道に案内したのもよい思い出。
そんなのを積み重ね、やがては茨木市にさいろ社は移転し、その後ぼちぼちと不登校の子どもたちへの訪問支援活動を始めたのだった。★
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哲学の道の猫https://retrip.jp/articles/7098/より |