■感染拡大ではなく集団免疫
少しずつ、新型コロナの実像を有力な発信者たちが発信し、また政府やシンクタンクなどでも、現在の状況は「感染拡大」ではなく、「無症状+軽症多数の集団免疫が無事進行中で、集団免疫に成功したスウェーデンを後追い中」だということが明らかになってきた。
6月よりこのことに気づいた僕はずっとノーマスクなのだが、この夏に来て東京都知事を中心とした「第二波警戒」の報道が激しく、少し肩身の狭い思いもしていたので、少し安心している。
有力な発信者たちの発信は以下のようなもの。
政府やシンクタンク系発信は以下のようなもの。
まだいくつかあるが、僕が読んで勉強になったものをここにあげた。
民間にしろシンクタンクにしろ政府の委員会にしろ、先端の議論はつまり、「現在起こっていること(陽性者拡大だが重症・死亡は超少数)」は「集団免疫」の渦中にまさにある、ということだ。
それも、5月頃に集団免疫を提唱した方々が恐れていた「高齢者の死亡者の拡大」は起こらず、若年者の陽性者数(無症状・軽症ほとんど)を中心に拡大するという、集団免疫にとってはかなり無難な進行となっている。
結果として、集団免疫に成功したスウェーデンを追うかたちとなっている。
■非国民
が、日本社会では、テレビを中心に「今日も感染者数増加!」と煽り視聴率を稼いでいるため、大多数のリテラシーの「低い」方々(高齢者だけではない)は日々コロナを恐れている。
またコロナを恐れず(というか視界外)マスクもしない僕のようなものを恐怖し憎んでいるようなのだ。
そしてその憎しみは、排除をうみ、なんというか、究極のよそ者、完ぺきな外部、通俗的な表現を用いると、「非国民」的存在として位置付けているようなのだ。
何人かからその恐怖と憎悪を直接僕は聞いたので、「なるほどなあ」と感心しているところだ。そうした感触を僕はTwitterでつぶやいてもみた。
まあ、冒頭に記したように「集団免疫」議論は政府系会議などでもオープンに議論されているから、もう少ししたらこれが政策転換につながることを祈るのみ。
テレビがそれをすぐに報道すれば、非国民チェック体制も緩むと思う(というか祈る)。
僕は現在56才。これまで大病をいくつか乗り越えずっと病院通いでそれほど余命もないのでは、と直感している。父は62才で死に、祖父は64才で死んだ。彼らと僕はほとんど同じ日常生活(食事ですね)を送っている。
そんな、弱っちい僕が、生きている間に今のような「非国民をつくる日本」を体験できて、本当にいい思い出になった。