「人と鬼の魂の遍歴」が大阪市を分割させなかった〜新自由主義からの転換点

 

煉獄さんの魂は合理性では説明できない〜『鬼滅の刃』8巻より


よかった! 今回の大阪市「都構想(4分割)」の是非を問う2回目の住民投票も、「新自由主義」的合理化を目指す分割案に対して、市民が拒否することができた。

この新聞記事(1万7千票差、再びNO 松井氏「私の力不足」)の図によると、僕が最も「大阪」らしいと思う、阿倍野、住吉、西成、天王寺、生野、大正、平野などの諸区は(この内のほとんどでドーナツトークは仕事をしてきた)すべて反対している。

これは「アンチ新自由主義」のかたちとして、これからの日本の100年に大きな意味を持つかもしれない。


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僕は、上町台地中心に細かく分断される大阪市は、善悪や便利不便を超えて、「これぞ人間の都市」という醍醐味があると思っている。めっちゃ不便なんだけど、住めば住むほど、この不便さにいつも歴史と愛着を感じる。


たとえば夜、動物園前(西成区)の「NPO法人ココルーム」(周辺はザッツ昭和な大歓楽街)から、20分かけてドーナツトーク事務所(阿倍野区)に歩いて帰る時、左側(西側)の上町台地を見上げ感じながら歩く。


そこには大きな墓地(阿倍野霊園/市設南霊園、墓地自体は明治に周辺墓地を統合して新設されたがそこには江戸からの墓石がいくつも建つ)が広がっており、夜の魂たちの息遣いが台地下にも伝わってくるようだ。


その墓地の少し南には、あの安倍晴明の名を持つ阿倍晴明神社がある。


たとえば、大阪府立病院(いまは現代的な名前に変わっている)から、路面電車駅の帝塚山4丁目駅に歩く時、たった10分ではあるが、マンガ「ジョジョ」に出てくるあの「杜王町」みたいな時間のズレを感じることがある。


たとえば、天王寺区役所から上町台地を下がってJR桃谷駅まで歩く時、西側の台地の峻厳さと異なり、ダラダラと次の町(桃谷以東の生野区)」へと下り町をつなげる東側の「台地の境界」が、これまた「経度」と時を飛び越えた感を抱かせる。


これらは、新自由主義に代表される「合理性」以前の世界であり、その世界のあり方を人々は愛しているんだなあと僕は想像する。


ごった煮のモツ鍋というか、ニューオーリンズのガンボ料理大阪バージョンが、人間の身体の細胞を作り維持しているのだと思う。これは合理性では説明がつかない。


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「大阪」はやっぱり、日本ではそれを典型的に示してくれる絶対無比の街だ。今回の住民投票では、住民がというよりは、「土地や歴史」が人々を合理性と新自由主義から忌避させた。


新自由主義の台頭も合わせて(維新のrise and fall も合わせて)、それを教えてくれる街。今回の結果で、新自由主義へのカウンターが見えてきた。


住民投票前に積極的に反対意見の発信をしていた京大教授の藤井聡氏は、反対可決後、ツイッターで以下のようにつぶやいた。


大阪市廃止の住民投票、お疲れ様でした。仮に否決になったとすれば、またぞろ「シルバーデモクラシー」と言って結果否定の動きが出てくると思いますが、そうした見解は間違い。 下記NHKデータによれば10/20代は高齢者の意見に近いのです。若者は決して、大阪市廃止を強烈に望んでなどいないのです。


僕はそれに対して、


現役世代は合理主義/新自由主義に流れ、合理性では物足りない50代以上と最近では若者世代が「土地と歴史と魂」を重視するんだと思います。魂の遍歴の物語である『鬼滅』を若者が幅広く支持するのと重なりますね。


とリツイートしてみた。

この『鬼滅』とは『鬼滅の刃』のことで、お若い方々を中心として空前のヒットとなっている鬼滅と今回の大阪市民の決定はリンクしていると僕は思う。

現役世代は合理主義/新自由主義に流れるが、合理性では物足りない50代以上と最近では若者世代が、「土地と歴史と魂」の物語に自分を重ねている。

新自由主義下での大阪市の4分割という合理性は、社会の中心にいる現役世代や大阪市のビジネスの中心地である中央区や梅田あたりでは受け入れられる。

けれども、その周辺(若者・高齢者や)やその歴史的コアの部分(住吉・西成・阿倍野等)には受け入れることはできない。その合理性では、人の魂や涙や歴史や死や喜び等を決して語ることができないからだ。

またおもしろいことに、そうした人間と鬼の魂の遍歴の物語である『鬼滅の刃』が現在大ヒットしており、それを若者が幅広く支持している。

その鬼滅への支持(人々の魂の遍歴への関心の強さ)にみられる合理性/新自由主義の否定と、今回の大阪市4分割否定の住民の意思は見事にリンクしていると思う。

今回の住民投票による否決は、新自由主義からの大きな転換点になる可能性も秘めていると思う。



阿倍野霊園