ろくでなし子さんは誠実で自由な「新世代フェミニスト」

 いろいろその活動が話題を呼ぶろくでなし子さんは誠実な新世代フェミニストだと思う。

それを、彼女の最新ブログ記事多様性や反差別を呪文のように唱えながら、単一で全体主義的な社会を望み、違う考えの人を排斥する人達に思うこと。を読んでさらに確信した。


彼女は、今回のアメリカ大統領選やアメリカでのBLM運動を題材としつつ、一定の主義や思想やイデオロギー(たとえばトランプ否定やBLM)の共有を強要する「リベラル」「左翼」「フェミニズム」に対して、窮屈さや拒否感を表明している。


それはブログタイトルにも顕著で、一定の思想(フェミニズム等)を硬直的に支持すると同時に「違う考えの人を排斥する」ことになるそのメカニズムについて、警戒し否定している。

その硬直した思想の一つが「フェミニズム」なのだが(それを僕は「昭和フェミニズム」と呼んでいる〜「DV冤罪」昭和フェミニズムの罪等参照)ろくでなし子さんは以前からそれでも「自分はフェミニストだ」と称している。


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それは今回のブログ記事の以下でも明らかだ。

【ですが、女性の体をワイセツとされてムカついて国とケンカしたわたしが、フェミニストではないなら、一体何なのか。わたしのような異端のフェミニストがいたっていいじゃないか。むしろ、不寛容で全体主義なフェミニストばかりではない、わたしの様なフェミニストだっているんですよ、と示す為にも、フェミニストである事を言い続けるしかないのです】(多様性や反差別を呪文のように唱えながら、単一で全体主義的な社会を望み、違う考えの人を排斥する人達に思うこと。

(昭和)フェミニズムは、自己の硬直的な思想を貫徹するために、「DV支援」にのみ傾注し、そのことで生じる「虚偽/えん罪DV」や離婚時の子どもの拉致などは無視する。

(昭和)フェミニズムは、ろくでなし子さんのように、彼女の存在という、世界で唯一の単独性から生まれた素朴な疑問を言葉にして行動するそのあり方を、傍流に置く。

だがろくでなし子さんは、それがアンチリベラルやアンチBLMやアンチ左翼やアンチフェミニズムなどと呼ばれようがスルーする。

そして彼女は、自らの身体と言葉が自らが生きている社会とズレている違和感を抱いた時、

ノン

と言う。


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「イズム」がつく諸思想(ex.フェミニズム)は、つまりは最初から不寛容である。

ろくでなし子さんはいつも「イズム」から脱却しつつ自由を求めるフェミニストだ。

昭和フェミニズムでも全体主義的フェミニズムでもない、それは、

誠実で自由な新世代フェミニスト。


ろくでなし子さん