すでに我々は「入り口」でさえ完全に管理されている

 毎週末僕はいろいろな事情があって大阪を出るのだが、今日、その手土産にデパ地下でお菓子でも買おうと思い、大阪でも有数のデパ地下に入ろうとした。


すると、警備のおじさんが僕を呼び止め、「お客様、ここは『出口』なので、隣の入り口から入ってください」と執拗に注意された。


基本的に僕は自分の行動は制限されたくないので無視してその出口から入ったが、今にも警備のおじさんの舌打ちが聞こえてきそうなくらいの注意っぷりだった。


デパ地下に入り、関西では有名なアンリシャルパルティエでクッキーを買ったのだが、お金を払う段になって何とかカードとか何とか特典とか、マスク越しによく聞こえない声で 店員からいろいろ話しかけられた。


レジのお姉さんがだいぶ熱く語っていたことから想像すると、そのカードと特典を逃すともったいないらしい。その熱さに悪いなあと思いながら、僕はデパ地下を出た。


そのあと歩道エスカレーター(動く歩道みたいなやつ)が目の前にあったのでそれに乗ろうとしたらめちゃくちゃ混んでおり、横の普通の歩道を歩こうと思ったのだけれども列から出れずその動く歩道で移動した。


行き先も行く順番もすべて決められているのであった。


その後iPadを見ていたら、今日(12/11)の夜に懐かしやクラッシュのビデオクリップが無料配信されるということだった(ザ・クラッシュ「The Magnificent Seven」の新しいミュージックビデオが12月11日深夜26時公開)。





70年代後半のパンクバンドのクラッシュのリーダー、ジョー・ストラマーが名曲「7人の偉人」を歌っている。ストラマー独特の入り組んだ表現を駆使して、当時の人々の生きづらさを描ききっている。


これを聞いた時、僕は高校3年生で、ストラマーが怒る「搾取」等の意味を必死になってその後学習していった。


でもどうだろう? ストラマーが怒っていた中米等での搾取状況と、現在の先進国中心に進められる「監視社会」のありようを比べると、どちらが生きづらいだろうか。


動く歩道に誘われるまま行き先にたどり着いた時、我々は開放された気分になるだろうか。


お菓子を買ったレジで店員に求められるままさまざまなカードを提示し、「ポイント」を日々獲得していく日常(自分がどんな商品を好んで買うか把握される日常)が自由なのだろうか。


デパ地下に入る時、いちいち入り口を指図される社会が自由か?


僕が今日思ったのは、コロナだろうがワクチンだろうがビル・ゲイツ財団だろうがそんなことよりももっと手前に、すでに我々は「入り口」さえ完全に管理されているということだった。


ストラマーはいい時に死んだと、同時に思った。