「陰謀論」が世間に存在し続ける限り、その社会の「言論の自由」は守られている

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ロスチャイルドやロックフェラーやモルガン、19世紀初めのナポレオンのワーテルローでの敗北や20世紀初めのアメリカでのFRBの創設。ロシア革命のボリシェビキ創設の裏話。なによりもロスチャイルド家の紋章の意味や、創設者の子ども男子5人(ほかに5人の女子も)がフランクフルト・ロンドン・パリ・ウィーン・ナポリなどに分散して暴利を追求したこと。


加えて「ユダヤ」というターム。繰り返すが、ロスチャイルドの紋章。それが「盾」か「古銭」かはどうでもよく、そこに香る「陰謀」の匂いがその紋章の価値を際立たせる。


昨年末のアメリカ大統領選ではディープステート/DSという言葉が氾濫し、それは禁句として今年になっていつのまにか封印されつつあるが、要はロックフェラー系(新大陸系)とリベラル系人脈が結びつき、論者によっては「国際金融資本」、論者によってはグローバリスト等、現代世界を裏で統治する言葉として君臨している。


大統領選で敗北したトランプ派は、2ちゃんねるな人たちには正義の味方になっているが、正統的陰謀論(があるとして)からは、大陸系ロスチャイルドの新大陸での粘り、みたいなものとして捉えられる。


まあ、どっちもどっちなのだ。


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僕がつまらないなあと思うのは、上に書いた噂話が現代では陰謀論として簡単に葬られるということだ。


いろいろ読んだところでは、戦前の日本社会では、これら「陰謀論」が楽しい噂話として街中の雑談だったという。陰謀は陰謀としてあやしいかもしれないが、それはそれで真実も幾分含んでいるんだろうから会話として楽しもうよ、みたいな。


それが現代ではタブーになっている。


僕は、この陰謀論はいくぶんかの真実を含んでいると想像している。だから、これを盲信することもせず、陰謀論として最初から否定することもせず、茶飲み話として我々の日常に含ませたほうが健全だと思う。


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新型コロナに関して、それは以下の陰謀論で語られる。


それは、DSの指示のもと、スイスのダボス会議とかほにゃらら会議とか、限られた富裕層の指示と新勢力(C国とか)の混合された思惑のもとに進められている陰謀というか出来事という語り。


実は、僕はわりとこの「陰謀論」を信じる(ピンチョン好きにはたまらない→ロット49とか重力の虹とか)。けれども、多くの人は鼻で笑うだろう。


そう、鼻で笑うことも含め、陰謀論を陰謀論として消滅させないことがこの議論のポイントだ。


逆説的な言い方ではあるが、「陰謀論」が世間に存在し続ける限り、その社会の言論の自由は守られている。あやしい言説が、言論の自由には必要なのだ。


その意味で、今年は言論の自由が危ない。