日本の「自虐性」が「子どもの連れ去り」をつくったのか


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■相変わらずの上野千鶴子

 

相変わらず売れっ子言論人の上野千鶴子氏がこんな対談を行なっている。

 

ここで上野氏はこのように述べる。

 

上野:私は“許せない”なんて恐ろしいことは言えませんが、子供を持つことに“耐えられない”と表現した方がよいかもしれません(笑い)。

 

 記事内容はいつもの上野節で、両親への嫌悪他がいつも通り述べられる。それは僕が以前「昭和フェミニズム/私怨フェミニズム」と称した、この40年続いてきた思春期と怨恨に包まれた語りそのものだ。

 

■オンナの味方ではなく異星人

 

その「私怨」そのものには僕は興味がなくなったのでどうでもいいが、問題は、いまだに上野氏がメディアに持て囃されているという点である。

 

上野氏の語りは一部に熱烈な支持層を持つが、その「思春期性」「ルサンチマン性」により、広がりを持たない。

 

「女」のつらさは、上野氏的「紋切り・思春期ルサンチマン」では括れない複雑さを持つ。

 

そもそも、「子どもを持つことに耐えられない」と語る70代の老いた女性フェミニストの語りは、子どもを持つことに憧れながら不妊等で持てなかった女性、子どもを持つことはできたものの児童虐待を繰り返した女性、「離婚後強制単独親権」の現状のシステム下において子どもを「拉致」された女性等、現代日本社会に生活するさまざまな「オンナ」たちの苦しみをまったく包摂しない。

 

言い換えると、そうした苦しみの中(子どもを持てなかった/虐待してしまった/子どもを拉致された)オンナたちからすると、70代になり自分は都心のタワマンに優雅に過ごしメディアにも度々登場するくせに自分たちの苦しみを理解せず思春期の女子的語りを延々繰り返す上野氏は、オンナの味方どころか、M78星雲級に遠いところに住む異星人だ。

 

■オトコたちの自死

 

けれども日本社会(メディア)は上野氏を支持し続ける。40年間、その昭和フェミニズム/私怨フェミニズムを拡散し続ける。

 

言い換えると、上野氏が中学生の女子のようにピュアに訴え続ける「オトコ社会のダメさ」を愚直に受け止め、その指摘に対して反省し続ける。

 

そう、その「反省」は、事実を大きく超えて過剰なのだ。

 

もちろん日本社会はいまだにオジサン社会であり、オトコ社会ではある。だがその一方で、オトコたちは自死も選んでいる。

https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R03/R02_jisatuno_joukyou.pdf

 

○令和2年の自殺者数は21,081人となり、対前年比912人(約4.5%)増。
○男女別にみると、男性は11年連続の減少、女性は2年ぶりの増加となっている。また、男性の自殺者数は、女性の約2.0倍となっ ている。

 

男性の自死数は減少しているものの、いまだに女性の2倍自殺している。上野氏の昭和/思春期/ルサンチマン/私怨フェミニズムが単純に指摘するような権力構造でもない。

 

事実として、日本のオトコたちの日常はつらく、女たちの倍、自死を選択している。

 

■最大の当事者である「子ども」が潜在化させられる

 

令和の社会は、昭和フェミニズムが指弾するような「男性=加害、女性=被害」のような単純な構図ではなくなった。

 

そうした複雑な構図を指摘してこそのアカデミズムなのだが、昭和フェミニズムは上野氏のように事態を簡略化する。

 

その結果、夫婦関係のトラブルはDVに簡略化され、夫婦間の複雑なコミュニケーションの悪化から始まる不仲は看過される。最近の法務省調査でもそれは明らかになっいる(下ツイートのリンク先を参照)。

 

 

事実としては、夫婦間のトラブルは複雑であり、その結果、最大の当事者である「子ども」が潜在化させられている。

 

そうした事実に反して、上野氏的簡略された指弾/糾弾がいまだにメインストリームにある。

 

■弱い生真面目さは「自虐性」

 

この原因を僕は、我々日本社会に潜む生真面目さ、言い換えると指弾を受けて単純に自己反省してしまうメンタリティにあると思い始めた。

 

そのメンタリティは、生真面目で神経質な社会にしか生じないのかもしれないが、「罪を指摘されるととにかく真面目に反省する」我が国民性に起因すると思う。

 

罪を指摘されると、とにかく生真面目に受け止める。そのメンタリティは、弱い。

 

その弱い生真面目さは、いわゆる、

 

「自虐性」

 

と言い換えてもいいのかもしれない。

 

近代史でよく指摘される日本の「自虐性」は、何も戦後75年の歴史観だけにとどまらず、当たり前だが社会全般に蔓延している。その蔓延さこそが、その社会の特徴だとも言える。

 

オトコがとにかく悪い。その、悪いオトコはオトコ全員がオンナを差別しているという昭和ルサンチマンの指摘に対して、従順になる。

 

社会がもつ自虐性(自身の加害性に対する指摘に従順)が、社会そのものの複雑性(不妊児童虐待・実子拉致等の理不尽さ)を看過する。

 

また、上野氏的思春期フェミニズムの思春期らしい理不尽な指摘も生真面目に受け止める。その昭和フェミニズムの指摘に従順になるあまり、昭和フェミニズムが支持する「単独親権」「実子拉致」「(虚偽)DV支援措置」などの実態を許してしまった。

 

たぶん我々の社会は生真面目すぎて、単純な批判や糾弾にあまりに弱いのだ。