「汚濁した社会」を新世界リベラル人は嫌う〜平等主義から全体主義へ

■「自由」ではなく「民主」を選択した


いま、限りなく「自由」があぶない。


それは、感染症対策や持続可能性(SDGs)といった一見キレイでポリティカルコレクトネスな側面から攻めてくる。 それらキレイなポレコレは、これまで「リベラル」の担当分野だった。


だからこそ、あぶない。


上を言い換えると、SDGS系のアプローチ(たとえば太陽光パネル設置)と感染症対策はパラレルで、ここに人気者大臣(小泉環境大臣)がいることもポイントだ(「世の中の景色を変えたい」小泉環境大臣、2030年度までに100以上の自治体で脱炭素に意欲)。


人気者大臣は保守だが、日本の感染症対策を見れば明らかな通り、アメリカの保守の共和党ではなく、リベラルの民主党と日本の保守政権の政策は親和性がある。


日本の保守政権は、「自由」よりは「民主」のほうを選択した。


この脱炭素/太陽光発電パネル設置目標年が、「スーパーシティ」目標年と重なるのもポイントとなる(内閣府が語る「スーパーシティ構想」、“現実”の未来都市の姿とは)。ここで巨額の投資資金が動くだろうが、バタバタと潰れる飲食店やその経営者の自殺数の増加にはあまり関心を示さない。


■ 平等主義から全体主義へ


これら「自由」を抑制する動き(具体的にはマスク強制や夜間営業・アルコールの禁止)は、マスコミ権力も含め、すべてが一体となって動いており、インターネットも例外ではない。


そしてそれらのコアにあるのが、「既成リベラル」思想だということだ(ちなみに、「自由」概念を尊重する20以上あるアメリカの共和党州では、個人の自由の尊重という点から基本的にノーマスク)。


ここでポイントなのが、アメリカ民主党の動きを見ていても(日本の保守政権も同)、平等主義であるはずの既成リベラルが全体主義的様相に変化し、同時に既成マイノリティ(黒人や女性)のポリコレ的権力との一体化が起こっているということだ。


従来のリベラルが従来通りに感染症被害を阻止しようとしてその対策に走ると、予想外にその感染症自体が脆弱だったことから(アメリカでは全50州の半分の共和党州がそれに近い認識)、人々の「自由」を抑制してしまっている。


皮肉なことに民主党の牙城であるニューヨークは、日本の緊急事態とは反対の様相を見せ、飲食店の営業を深夜0時まで延長してしまった(飲食店営業深夜12時まで延長 NY州で19日から)。ニューヨークでは人々の自由をポリコレが抑えきれない。


愚鈍な保守政権が運営する日本では、これから2週間強の夜間営業やアルコール禁止を始める。


コアに既存リベラル思想がはびこる日本では、人々の「自由」を抑制してしまう。そうした「人間の自由」を抑制する思想が既成のリベラルだということが2020年台の最大の出来事だと僕は思う。


そのリベラルの変質は、言い換えると、平等主義から全体主義へ、ということになる。


弱いものたちを守るはずのリベラル思想が、タテマエの正義(ポリコレ)の重視を徹底していった結果、人々から自由を奪う。いつも通り既成マイノリティを守ろうとして紋切り的に動いた結果、人々から自由を奪っている。


■ 「汚濁した社会」をそれら新世界リベラル人は嫌う


「全体主義と既成マイノリティの権力化」が、個人の「自由」を抑圧する。


人々が抱く「健康」への欲望がこれを背後で支えてもいる(例えば、感染症検査の「CT値」を41に設定することの怪しさや、直接死亡率約6%の弱毒性という決定的指摘も、その健康への信仰によって簡単にスルーしてしまう)。


人々の病への恐怖(逆説的には「100才への夢」)を利用し、全体主義化し既成マイノリティの利権を取り入れた既成リベラルが「SDGS的新世界」を志向する。


そして、旧世界の、リアルに飲み食いしてライブで酔っ払って恋も生まれて散って、みたいな「汚濁した社会」をそれら新世界リベラル人は嫌う😭