幽霊とダンスできるか?

 ■オリエンタリズムとしての「釜ヶ崎」


最近話題になった、若手ライターによる、大阪西成区「釜ヶ崎」への「潜入モノ」記事は、吐き気さえ覚えるほどのひどい差別記事だった。


本当に僕は吐き気がしたので、実は全部読んでいないし、読む価値もないと思った。


最近の僕は、あと数年で60才を迎えることも併せてすっかり好々爺化しているのだが、その記事にだけは我慢ができなかった。


だから詳しく解説できるほどその記事を知らないのだが(こちらの精神衛生上悪いから一生読むことはないだろう)、ざっと目を通しただけでわかることは、それがE.サイードのいう「オリエンタリズム」に満ち満ちていることだ。


僕的にはあまりやらないのだが、オリエンタリズムの説明については、以下のウィキペディアの説明が的を射ているので引用してみよう。


サイードによればオリエンタリズムの根底には、オリエント(東方)とオクシデント(西方)との間に「本質」的な違いが存在するのではないか、という漠然とした見方がある。そうした曖昧な概念が、一定のイメージ図式等によって表現され続けるうちに、あたかもそれが「真実」であるかのように思い込まれ、それが長い間に人間の心理に深く浸透し強化されて、オリエントへの特定の見方や考え方が形成され、次第に独り歩きを始めるに至った。その結果、オリエンタリズムから自由に現実を見ることはできなくなるオリエンタリズム


西洋から見て、実際の東洋のあり方とは別に「イメージ」としてオリエンタリズムが形成される。それは、芸術作品として語られることも多いが、そこにはイメージの中に、西洋とは別の「『本質』的な違い」が含まれる。ウィキさんは「違い」としか述べていないが、この「違い」には差別的意味合いが多く含まれている。


冒頭で示した、「釜ヶ崎」への潜入モノ記事は、その発想自体が上から目線というかオリエンタリズムであり、それは「違い」を述べているようでいて、何か異質のものを自分の凝り固まった価値観から切り取っている。


その切り取り方にはある種の小狡さがあり、言葉としては決して釜ヶ崎の男性をあからさまには差別しない。


あくまでも「違い」として、その差異を語るが、その「違い」の中に明白な断絶感と、怖いもの見たさと、「観察者」である自分はあくまでも外側に立ち、絶対的な外側からその存在(釜ヶ崎の男性)を描写する。


その観察の仕方はあくまで第三者的であり、G.C.スピヴァクが『サバルタンは語ることができるか』冒頭で批判した、フーコーとドゥルーズが立つ客観的観察者の位置付けそのものでもある。


■「百年の街」


その記事で取り上げた大阪の街は、おそらくミドルクラス出身であろうライターさんが数日歩いて出会った体験などではとても語れるものではない。


実は同種の記事はネットには散見され、それらの多くは、大阪の西成や釜ヶ崎をまるで火星に訪れたかのように若手ライターたちが驚きつつ描写する。


それらはすべてオリエンタリズムであり、おいしい「観察者」の位置から手っ取り早く目の前の風景を切り取ったものだ。


当たり前だが、そうした街々は、数日〜数ヶ月いた程度で書ききれるものではない。その街に住みその街を離れた人間たちが100年以上の年月で築いた街の気配と空気と匂いは、「訪ねる」だけでは決して描き切ることはできない性質のものだ。


自分が「訪問者」であり「観察者」としてそこで過ごす間は、街自体に入り込むことができない。物理的にはそこで時間を過ごすことはできるだろうが、街の匂いが自分の肌には決して染み込むことはない。


それは、G.G.マルケスが『百年の孤独』でマコンドという街を描いたように、作家生命を賭けて描き切る覚悟と気迫のようなものが必要になってくる。


あるいはマルケスが幼い頃祖母から聞いたそのマコンドの街そのものが、祖母の声と佇まいを通してマルケスの魂を柊生包み縛り呪ったように、百年の記憶の呪いのようなものと死ぬまで語り合う覚悟が必要になってくる。


あるいは、マコンドに日常的に出没する幽霊とダンスをするポジティブさを持つことも求められる。


こう書いてくると、僕が冒頭のブログライターたちに吐き気がするのは、自分の魂をその街に捧げその街の幽霊たちとダンスする気概を感じられないからだ、と気づいた。


たとえば、僕の友人の、NPO釜ヶ崎支援機構の松本事務局長やNPOココルームの上田代表には、そうした気概と迫力と覚悟を感じる。そして、釜ヶ崎でダンスを楽しむ、ポジティヴィティも感じる。


僕はいまだに、支援機構の松本事務局長が、釜ヶ崎の街の中で、人々に笑いながら話しかけ、からかわれ、からかい、一緒に食事をしたり、一緒に怒ったりしていた風景が忘れられない。


そして、そのやさしい言葉遣いと、いつも浮かべる笑顔と、その低くてどこにも逃げていかない声が忘れられない。


その佇まいには、僕も癒されてしまう。


それらの街は、お金持ちの若者が短期間いて描ける薄い密度では決してない。


松本さんや上田さんに宿命のように張り付いた街と向き合う覚悟を、街自体が歓待Hospitalitéしている。そして、その覚悟と歓待に街に住む人々が巻き込まれ、さらに大きなうねりみたいなものが生じている。


そうなると、誰が当事者で誰が観察者で誰が支援者で誰が研究者なのかもはやわからない。フーコーやドゥルーズや若手ライターたち的観察者・傍観者は、その街の中には居場所がない。


街が観察されることを拒み、街とともにダンスすることを要求している。


そうやって、覚悟をもって飛び込み住み着いた人々を優しく包むのが、「百年の街」たちなんだと僕は思うのだ。