サバルタン=オンナは、フェミニストのせいで語れない

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僕は日々、このオトコ社会で苦闘する10代女性のカウンセリングを行なっている。


オトコ社会の暴力性は21世紀になってもなんら変化しておらず、特にそのターゲットとされる10代から20代前半の女性は、その被害(心理から身体まで幅広くターゲット化)に日々あっている。


ここで具体的なことは書けないが、その悔しさで、女性達は毎日泣いている。


加害側の男性ジェンダーのほうは、意識的な暴力(心理的・経済・ネグレクト・身体+性等、被害項目は児童虐待と同じ)から、無意識的な暴力(これは主として心理的と経済)まで、80年代と変わらず反復されている。


無意識的な(心理的/言葉の)暴力には、紋切り的な「からかう・皮肉を言う」のほか、男性ジェンダー自身の女性との関係局面での苦労話のかたちをとりつつ女性を侮蔑する、自分(男性)にはとても太刀打ちできないなどと自分を「下」に置きつつ女性をからかう等、高等技術というかひねくれまくったものもある。


また、30代の夫婦のDV被害者には男性のほうが多いという事実(逆DV “アウトレイジ”な妻に泣く30代夫)もある。


自分(男性側)を女性の「下」において皮肉を言いつつ相手を目下すという無意識的な暴力の根拠には、現実に男性が暴力を受けているという事実もある。決して、ルサンチマン的心情だけで男性は皮肉を言っていない場合もある。


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このように、現代の女性差別をめぐる事態は錯綜している。


けれども、冒頭に書いたように、若い女性たちは80年代と同じようにオトコ社会から差別される屈辱を日々味わっている。


だが、そのように差別される女性達は、人類史開始から延々と続く、


①既存の男性権力


に加えて、もう一つの窮屈さに縛られなかなかモノを言えない状況に追いやられている。


それは、


②「プチ権力化したフェミニスト」への世間からの反発


という事態だ。


男女共同参画センターやDV支援など、「女性」関連の予算は8兆円規模ともいわれる(少し古いが→平成30年度における第4次男女共同参画基本計画関係予算について 内閣府男女共同参画局調査課)。


また、上野千鶴子氏をはじめとして物言うフェミニストは国立大学教授等、それなりの社会的ポジションに座り、行政システムの中でも中核に位置する方も多い(その反対に、「政治」は女性議員が圧倒的に少ないが)。


年間8兆円の予算がつき、アカデミズムや行政にはそれなりのポジョンを占める人々が多数存在する「女性」の現状は、


プチ権力


といっても言い過ぎではないと思う。


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この状況(「女性」がプチ権力化している)のおかげで、「現場」で日々差別される主として若い女性達の立場が窮屈になっている。


「オンナのしんどさ」をどれだけ訴えても、権力を有するオンナの現状に敏感な「現場の」オトコたちはそこを突いてくる。


なんやかや言っても、お前たち(オンナたち)は権力とカネを持っているじゃないか、と。


そう言われると、個別に現場で苦闘するオンナたちは沈黙してしまう。


一般論として、「権力とカネを持つオンナ」という様態は事実だからだ。その事実に圧倒され、差別される現場の若いオンナたちは沈黙する。サバルタン=オンナは語れない。


つまり、プチ権力化したフェミニストは、その存在によって、自らサバルタン(語れない現場のオンナたち)を創出している。自らの存在によりサバルタンを生む、典型的権力と暴力がそこにある。