暗い話題に隠れた話題 〈支援システム〉1

入院以来、普通の本が「重くて」読めなくなってしまった代わりに、新聞ばかり読んでいる。記事量の多さからやはり朝日新聞を買ってしまうのだが、月曜の付録版の日経っぽい朝日らしくない記事がある一方で、相変わらずの朝日節みたいな記事もある。
まあそれも許してしまうのが最近の僕で、今週の朝日は「孤族の国」と題して、中年男性の悲劇的な人生をとりあげている。今日は、非正規雇用39才男性が、借金に苦しんだ末餓死したエピソード。
この、餓死と非正規雇用という話題は、ひきこもりやニート支援をしている者にとってかなり親和的だ。餓死の危機を主張するひきこもり当事者も時々いらっしゃるからだ。
だから、このような記事や話題、または同種の本を、これまで僕はわりと積極的に読んできた。そして、記者と一緒になって、餓死を生まない社会システムを構築しなければいけないと心のなかで考えてきた。
でも、考えはいつもそのあたりで止まってしまう。餓死を生んでしまう社会はダメだし、そうでないようにするために、我々は社会を変えていく必要がある。そのために政治が必要であれば、徹底的に利用すべきだし、政治家になれと言われれば、政治家になってやろうと、病気の前の僕は真剣に考えていた。

まあその熱さが淡路プラッツというムーブメントを押している部分もあるだろうし、そうした熱さこそが関西の団体っぽくって好きなことは好きだ。
好きなんだけれども、あんまり熱くなってしまうと、また血圧が上昇してしまって、病気が再発してしまっては元も子もない。
このような煩悶を抱えながら僕は病気後も過ごしてきたわけだが、この頃、自分の血圧上昇の心配とは別の部分で、このような「餓死を生んでしまう社会」という切り取り方自体に、少し疑問を感じ始めてきた。
高齢化や中高年男性の孤独死が急進行するとメディアが毎日伝えているこの日本では、もしかすると、同時に、意外と素敵な社会変革も急進行しているかもしれない、とこの頃僕は直感的に思うようになった。
それは、なんのことはない、世界でも珍しい超ホスピタリティ国家というか、超おもてなし国家というか、超くつろぎ国家という側面も日本にはあるのではないか、ということだ。
国内をあちこち旅行している人はもしかして気づいているのではないだろうか。「ここまでやるか」と思わず微笑んでしまうようなサービスや商品が日本中にごろごろしている。
たとえば、僕は最近毎朝ヨーグルトを食べているのだが、それにかけるハチミツひとつとっても、意外とたくさんの味の商品が出ている。ブルーベリー、ラズベリー、マンゴー等、これでもかというほどたくさんの商品が発売されているのだ。ハチミツというと僕は、健康にいいけれども冬は固まるし味はなんかイマイチだしっていう印象があったのだが、最近のハチミツ研究でまったくそうした印象が変わってしまった。

ハチミツ以外にもたくさんそうした商品はあるだろうし、そんなひとつの商品だけに限らず、たとえばコンビニの接客サービスひとつとっても海外の高級ホテル並みの水準だ。これからこのコーナーでも取り上げたいと思っているが、たとえばトイレの「ウォシュレット」ひとつとっても、ここはどれだけの星がついたホテルなんだというトイレが、普通の公民館にあったりする。
僕はこれまでこのようなサービスたちを過剰だと思っていた。だがしかし、考えようによっては、こうした日本人ならではの細かい配慮がきいたサービスや商品は、十分商品となる。ただ今は、暗い話題に押されてか、識者が新しい価値観を提供できていないのかわからないが、とにかく国民が気づいていないだけだ。
そして、商品に気づき、それが産業となってしまえば、たとえば僕が支援する若者たちにとって、こうした産業を支えることはそれほど苦ではないと思う。彼らが苦手なサービス業につくということではなく、こうした超おもてなし商品に気がまわる細やかな気遣いができる若者たちこそがひきこもりやニートには多いと僕は思うのだ。商品作りしていく過程の中で彼らの配慮はきっとどこかに生かされるだろう。そして、そのような商品をたくさん作ることはそれほど彼らには苦ではないはずだ。
今はまだ、そのような産業が体系化されていないだけで、少し識者や企業、役所が努力すれば体系化は可能だと思う。暗い話の流れと同時に、ポジティブな流れはいつの時代もどんな状況でもある。


※当連載は、「支援の現場」や「支援システムのシステム」といったいくつかのサブタイトルをつけながら、毎週いったりきたりします。