「思春期」を整理整頓してみると 〈支援の最前線〉1

もはやすっかり文化人となってしまった精神科医の斎藤環さんが、たしか「思春期は終わらない」と題して『月刊少年育成』に寄稿したのは何年前だったか。僕が同誌に連載する前だから、10年以上前になるだろう。
斎藤さんは、当時社会問題化しつつあったひきこもり現象を例にとりつつ、思春期は10代で終わりという時代は過ぎましたよ、これからは20代あるいは30代前半も思春期に含まれますよと警鐘を鳴らしたのであるが、時代は10年経って見事にそのとおりになってしまった。それどころか、40才前後でも気分はまだ思春期という人は珍しくない(ひきこもりに限らない)。
これは日本人全体が高齢化していることと関係していると思うが、ここではそこまで話は広げない。ここでは、年初ということもあって、現代の「思春期」の支援状況をさらっと整理する。
僕は、思春期をL(Low)・M(Middle)・H(high)の3段階に分ける。Lは10代前半、Mは10代後半から20才頃まで、Hは20才頃以上を指す(この区分が常識化しているのであれば、ごめんなさい)。
思春期とは、自我と社会的位置の不安定さのど真ん中にいること、とここではシンプルに定義しよう。従来は、「思春期」と「若者」をイコールでつなぐのはやや無理があったが(「若者」は、自我と社会的不安定さの出口にいることも多いから)、現在は、思春期と若者はかなりリンクする。そして、支援の必要な若い人達は、すべて何らかの意味で「思春期」に属すると言っても過言ではない。
だから、思春期の視点で若者を捉えると、支援する際にも大いに役立つ。

L思春期が直面する現象的課題は、なんといっても不登校だ。不登校は単なる現象にしかすぎないから、その裏には、いじめ・虐待・非行等がある。当事者の状態によって、支援内容は細かく決定される。
H思春期が直面する課題は、社会的自立の問題、言い換えると「就労」の問題がある(大学生の不登校も問題だが、この場合の不登校の課題は、L思春期の不登校と違って、直近に控える就労を見据えて、ということになる)。ここから、ニートやひきこもりの問題が派生する。
M思春期の課題も不登校ということになるが、実は、この層が現在支援システムから最も縁遠い。きつい言葉を用いると、「放置」されている。支援の現場や行政からすると、LとHで手一杯だから、そこまで手がまわらないというのが本音だろう。
また、M思春期で問題を起こしたとしても、何年かたつとすぐにH段階となることから、「20才になってから本気で考えよう」と本人も親も考えがちになる。だが僕の実感では、こうした問題は、「支援システム」として早めに支援していくと(つまりは家庭教師等の個人システムに頼らずに)、数年で何とかなる。何とかなるとは、問題が深刻化する前に方向性が見えるということだ。これがたとえば発達障害であったとしても、早めにわかったほうが、30才でわかるよりは解決(というか、対処)が早い。対処方法が早めにわかれば、腰をすえて物事に対応することができる。

淡路プラッツでは、たくさんの支援の仕事をしている。ひきこもりの青年たちを支援する本体事業とはほかに、行政の委託事業として、ニート支援(大阪府・ニートによるひきこもり雇用支援事業)や不登校支援(大阪市・不登校児童通所事業)も重点的に執り行っている。財政的な規模で言っても、これらはたとえば若者サポートステーションとあまり変りないことから、そこそこ大きい事業ではあるだろう。
しかしこれらについて、運営している者であったとしても、時に位置づけに戸惑うことがある。ニートはニート、不登校は不登校としてあまりに問題が深いものだから、各事業がバラバラに見えてくるのだ。
しかし、問題を「思春期支援」として大きく括ると、クリアになる。プラッツでは、LとHの思春期に対しては、そこそこの支援システムができあがっている。しかし、M思春期にはまだまだ手探りの状態だ。ここをなんらかの支援のかたちにしていくことが今年から来年にかけてのミッションとなる。
すると、LMHがスムーズに繋がり、我々支援者・スタッフの意識がより統一される。プラッツの事業全体も、被支援者の全体的位置づけも、両方整理整頓することができる。

※当連載は、「支援の現場」や「支援の対象」や「支援システムのシステム」といったいくつかのサブタイトルをつけながら、毎週いったりきたりします。



※田中の近況
僕の病気については、昨年12/16の日記をご参照ください。
年明けても週1〜2回のペースで主にスタッフとのミーティングに顔を出している。退院直後は記憶の健忘が気になっていたのだが、この頃は、意識の集中時におそらく血圧の上昇から来るであろう「脳の疲労」のようなものが気になっている。まだ手術を受けてから半年もたっていない。自分で言うのも何だが、生来の「働き者気質」に悩まされている。ここはやはり、気合を入れて(いや、気合いを入れてはいけない、いけない)、割りきって、ゆっくりのんびりを心がけることだ。



※田中俊英 たなかとしひで
編集者、不登校児へのボランティア活動をへて、 96年より不登校の子どもへの訪問支援を始める。00年淡路プラッツスタッフ、02年同施設がNPO法人取得に伴い、代表に就任。03年、大阪大学大学院文学研究科博士前期課程(臨床哲学)修了。著書に『「ひきこもり」から家族を考える』(岩波ブックレット739)、主な共著に『「待つ」をやめるとき〜「社会的ひきこもり」への視線』(さいろ社、05年)、主な論文に「青少年支援のベースステーション」(『いまを読む』人文書院、07年)等。