これは「社会的エコロジー」か? 〜「予防」ではなく 〈支援システム〉2

もうこれ(淡路プラッツのグランドデザイン)を書いてから一年半たったみたいだ。ここでは、淡路プラッツ(というか全国にたくさんある青少年自立支援施設すべてに共有できるだろう)のこれまで/これからの取り組みとして、「早期対応」「自立支援」「予防」の3つがあり、「予防」が課題であると簡単にまとめている。
詳しくは同原稿を参照していただきたいが、早期対応は不登校支援に代表される「問題が起きてからいかに迅速に対応するか」ということを示す。プラッツの支援内容で示すと、大阪市の委託事業である「大阪市不登校児童通所事業」の一部がこれに対応する。不登校支援は子どもの学校からの「卒業」という時間との競争でもあるので、早期対応次第で深刻なひきこもりになることを避けることができる。
自立支援は「生活」と「就労」の2つの自立に分けることができる。プラッツのメニューであれば、フリースペースに定期的に通えたり、そこで料理したり、メンバーたちと出かけたりすることが、「生活」に該当する。その段階を終え、「社会」が射程に入ってきたとき、「トライアルジョブ」といった独自メニューや、大阪府の委託事業である「ニートによるひきこもり雇用支援事業」へと誘う。また、大阪府内に5つもある地域若者サポートステーションに接続していくこともある。この段階が「就労」に該当する。
「早期対応」と「就労」はまだまだ課題はあるものの、なんとか形になっている。だから、その形を微調整していけば、これからもこの2つはなんとかなるだろう。

問題は「予防」だ。この原稿を書いた当時、この予防という言葉というか概念が非常に伝わりにくかったことを鮮明に記憶している。いろいろ誤解も与えたみたいで、その点はすごく反省している。だが当時は、この言葉しか僕には思いつかなかった。
予防という言葉を聞いて、主にふたつの反応があった。ひとつは、同調というか賞賛の言葉だった。それは主として支援者からいただいた。長くひきこもり支援をしている人からは、おそらく長期化するひきこもり支援に疲れたという意味も込めながら「これからは予防だよ!」と言っていただいたし、直接ひきこもりの支援をしていない支援者からも、幼児期・小児期・初期思春期の各段階でいろいろな予防法を考える必要があるということには概ね賛同いただいた。
しかし、予想していたことではあるが、保護者からの反応はよくなかった。長期化したひきこもりの子を持つ親が「自分には関係ない」と言って悲しげな表情を浮かべることもあれば、支援団体が取り組むことではないと厳しく指摘される方もいらっしゃった。いずれもおっしゃるとおりであり、僕としては反省するしかなかったが、たぶん僕は、この「予防」という言葉にもう少し幅広い意味を付け加えたかったのではないか、そんなことをこの頃よく考える。

予防というよりは「教育」といったほうが正しかったのだろうか。ひきこもりにならないよう予防する、というよりは、ひきこもりという自分だけの殻に閉じこもらず、いろいろな年代において広くいろいろな人々と接していく育ち方を僕は提示したかったのだと思う。
たとえば僕の個人的な話で恐縮だが、この年になってついに自分の子どもをもっていもいいかなと思うようになっている。普通の人からすると、46才で子どもをつくってもその子が20才になる頃には父親はすでに老人であり下手すると死んでいるとなるだろう。大病後の僕は66才で死にたくはないが、人生何が起こるかはわからない。それでも、父親になってもいい(なりたい、とならないところが僕の弱いところ)。子どもが15才の時にその父は61才であっても、その子のまわりにさまざまな人がいれば、その子は強くなれる、と僕は考える。
父母だけで子どもを育てるのではなく、さまざまな人々をその子の生活に絡ませていく。さまざまな人にいろいろ迷惑をかけながら(ときには感動も与えるだろうが)、子どもは成長していく。これがここでいう「教育」の意味だ。
祖父祖母や叔父叔母や両親の友人といった古典的「大人」だけではなく、たとえばそこに元ひきこもり青年がからむのもありかな、とこの頃は思う。ひきこもりの大ピークがロストジェネレーションだけで終わるのか、今年の大就職難が第二次ロストジェネレーションを生むのかはわからないが、この日本には、生涯正規雇用できずいろいろ不器用な点は持っているものの、暖かくやさしい青年たちが数百万人規模で数十年は存在し続けるかもしれない。それらの「静かでやさしいパワー」を、子どもの「教育」に役立たせることはできないだろうか。
少子化おおいに結構。そこで培われている人々の成熟した社会観、そして「弱いものが弱いものを育む」という意味での社会的エコロジー。以前使った「予防」という言葉に僕は、このような意味も大いに含ませていたということを最近気づいた。★


※当連載は、「支援の現場」や「支援の対象」や「支援の環境」といったいくつかのサブタイトルをつけながら、毎週いったりきたりします。

※田中の近況
僕の病気については、右欄をご参照ください。
今月末の引越しまでもう10日もない。10年住んだ借家ともお別れだが、そんな甘いことも言ってられない。10年分の荷物(というか本の山)はものすごい! 古本屋に持って行ってもほとんど売れないものばかりなので、この機会に思い切って処分することにした。した、のだが……、ダンボール箱に入れても入れても本がなくならない〜。あまり作業すると血圧にも悪いし、終りのない作業に明け暮れている。



※田中俊英 たなかとしひで
編集者、不登校児へのボランティア活動をへて、 96年より不登校の子どもへの訪問支援を始める。00年淡路プラッツスタッフ、02年同施設がNPO法人取得に伴い、代表に就任。03年、大阪大学大学院文学研究科博士前期課程(臨床哲学)修了。著書に『「ひきこもり」から家族を考える』(岩波ブックレット739)、主な共著に『「待つ」をやめるとき〜「社会的ひきこもり」への視線』(さいろ社、05年)、主な論文に「青少年支援のベースステーション」(『いまを読む』人文書院、07年)等。