Facebookは仕事ツール SNS①

マーク・ザッカーバーグ
ソーシャルっぽくない笑顔 Wikipediaより



■社会的“顔”があってこそ

この前ツイッターでつぶやいたのだけど、チュニジアやエジプト革命で大活躍だったFacebookは、実にSNSらしいSNSで、原則実名顔写真公開というルールのために、日本ではたぶんミクシィのような流行り方はしないだろうとした。

おもしろいことに、実名顔写真オープンだからこそ、少なくとも我が国では、自分の「秘密」はそこでは扱えない。
ある程度「社会的“顔”」を元に、そこでは関係性が成り立つだろう(日本では)。よほどガードを固くするとプライバシーが守られるだろうが、そんなプライバシーは、わざわざFacebookを使わなくても数人単位のメールで十分だ。

となると、公的な個人情報が中心となるメディアになるだろう。公的な個人情報とはつまり、「仕事の自分」あるいは「(サークル等個人的活動を除いた)学生としての自分」ということだ。
だからFacebookは学歴欄があるのか、と思う。創設者のハーバードの天才はたぶんハーバードしか自分の「社会」がなかったのだろうが、彼がひきこもりの天才だったらFacebookのような媒体は生まれなかったのかもしれない。
創設者が大学生だった(つまり大学人という社会的属性を持つ)からこそ、生まれたのがFacebookだったのだと思う。

■社会訓練としてのFacebook

僕はツイッターでは、ひきこもりの人はあまりFacebookを使わず、今まで通り2ちゃんねるを愛用するのでは、と書いた。
「社会の中の自分」がなければ、Facebookは有効活用できない。

僕はこれを逆手にとって、たとえば若者就労支援のプログラムの中にFacebook登録を含めてもいいのではないかと思う。
Facebookに登録することは、社会に属するということだ。当然、そこではある程度のコミュニケーションスキルを求められる。
2ちゃんねるのような荒れ放題のコミュニケーションは通常の「社会」とは言えない。社会人が属する「社会」とは、たとえば、挨拶、メモ、スケジュール管理、ホウレンソウなどが当たり前のようにある社会のことを指す。

それらが当たり前のようにある「社会」の中で、たとえば中小企業への就職活動の情報交換などをしてはどうだろうか。ブラック企業を恐れるあまり、普通の中小企業までも若者たちが敬遠し、その結果何十社も大企業を落ち続けるという現象が全国的に蔓延しており、これが現代の就職難の一因だとも聞く。
中小企業も、こうした若者に対して、積極的に情報を流していく。まあ現実にそうしたことが機能するためには、両者のあいだに立つNPOのような存在が必要なんだろうが。

パブリックな自分を出す場なので、そこは愚痴や悪口を言う場ではない。それは2ちゃんねるを十分使えばよい。
まあこのような試みはすでにあちこちであるのかも。僕が言いたいのは、顔写真・実名というFacebookのしばりを逆にとって、顔写真・実名を社会はどうすれば受け入れてくれるか、ということを学ぶ場所にできないか、ということだ。脱ひきこもりの実践的訓練かな。

■ソーシャルスキルが必要なSNS

僕としては、支援者のソーシャルネットワークを構築する上で、このFacebookはかなり使えると思っている。ここでも、実名・顔写真というしばりは有効に作用すると思う(発言に責任が伴う)。

まあどう使うとしても、Facebookの中の議論自体はそれほど刺激的ではないだろう(刺激的なことを書く人は日本では敬遠されると思う。実名・顔写真だと)。
ひとことで言うと無難なメディア。でも、無難というのはかなりのスキルが必要なのだ。ツイッターでもその土壌は形成されていたが、Facebookの登場によって、いよいよネットは「裏」のものではなくなってきた。

いや、裏が好きな人は今まで通り2ちゃんねるに住めばいいが、ネット上でも「本当の社会」デビューできる時期が来たといったほうがいいか。ただし、そのためにはそれなりのスキルが必要だ。それを教えるというのも仕事になるかもしれない。★