苦役でもなく、ゴーギャンでもなく、はてさて…… 〈病のあとで〉2

ゴーギャンの遺作『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこに行くのか』という絵そのものではなく、僕は、そのタイトルに長く惹かれてきた。この「我々」を「僕」に置き換え、僕はいったい何者でこれからどうなるんだろうと、小学生の頃から延々考えてきた。ゴーギャンの絵を知ったのは大学生の頃だろうか、その絵そのものよりも、そのタイトルが僕を捉えて離さなかった。僕はどこから来て、何者で、そしてどうなるんだろう、と。
でもこの頃、このタイトルの意味は、そんな「僕」だけに収まるものでもないんだろうなあと思い始めている。「僕」のような個人的なものではなく、まさに「我々」といったほうがふさわしい、もっと大きいもの。我々家族でも、我々日本人でも、我々近代人でもなく、もっと大きくてあいまいなもの。でも、なんとなく「我々」と言われてしっくりくるような範囲の、「我々」。

そういえば、今回の芥川賞にはなぜか関心があり、特に西村賢太さんの『苦役列車』はおもしろく読むことができた。僕は大学時代、地味〜な文芸部というサークルに属していて、そこでものすごく楽しんだ経験を持つ。だから毎回芥川賞には注目してきたのだけれども、そういえばこの10年は仕事ばかりしていて芥川賞の存在さえ忘れていた。それが今回の病気ですっぽり時間ができ、本屋にいくと月刊文藝春秋が芥川賞特集をしていたのでふらふらっと買ってみた。
西村さんの作品は、亡き中上健次作品に似ているようで似ていない。中上作品は笑えるようでまったく笑えないが、西村作品は毎ページごとに笑ってしまった。出版社としては、昨今の格差社会やニート世代やそういうものを意識して賞を与えたのだろう。僕も実は、仕事のリサーチとして読んでみた。中身は見事なフリーター小説だった。それも、全然格好をつけていない、そのまんまの肉体労働小説。
タイトルは「苦役」となっているが、そこからはなぜか肯定性を感じてしまう。ものすごく僻んでいるしスケベだしアンラッキーな人物なんだけれども、読者としては癒される。なぜなんだろう、この癒しは。

「我々」は「苦役」としてのひきこもり・ニートを支援している、という態勢はもう古いのかもしれない。古いというか、それは我々という人間の、ほんの一面しか見ていないのかもしれない。

そういえば僕は数年前より、ひきこもりのスモールステップ支援を提唱しているが、その第一段階として、「親子の会話」を推奨している。そのために“地雷”(本人の仕事や親の健康の話題)は踏まないようにしましょう、と続くのだが、まあそうした技術的なことはさておき、この頃、この「親子の会話」は本当に大切だなあと思うようになってきた。
親子とは、一般的には「若い親と幼児」、「中年親と思春期の子ども」等を思い浮かべるが、これからの日本では、そうした一般的親子イメージよりも、「老人親と老人予備軍の子ども」という組み合わせのほうが圧倒的に数も多くなるし期間も長くなる。
まさに僕自身がその組み合わせなのだが、お互いがその立場になって初めてできる会話もあるんだなあとこの頃はよく思う。
これからは、なかなかひきこもりからは脱出できないものの、なんとかニートにはなり(就労支援施設等には行けるようになり)そこで立ち止まってしまう30代の子どもと、その子どもを見守る60代の親という組み合わせが珍しくはなくなるだろう。そのとき、ふたりは(あるいは母父子3人は)どんな会話をしているのか。
子どもの仕事の困難さのようなハードな話題はすぐに尽きてしまい、親の子どもへの愚痴も(地雷なので)それほど言えない。そうなれば、話題は雑談の他には、食事やお互いの健康の話が多くなるだろう。親戚や近所の無難な範囲での話や、父や母が毎日行なっている趣味や習い事(あるいは親のアルバイトやボランティアの話)もあるだろう。子どもがまだ長期の仕事に就いていない場合、子どものほうが聞き役になる。
こうした親子関係を、支援者サイドから見ると、単に「30〜40代ニート子どもと60〜70代の親」というふうに括ってしまいがちだが、そこには意外と豊かな話題と関係性があるかもしれない。支援という視点だけでは、たくさんのことを見落としてしまう。

紋切り的な個人としての苦しみを越え、その都度の時代がつくる大きな枠組みの中で僕はゆらいでいきたい。そのゆらぎの中に「支援」があるのであれば、そして僕がそれを仕事にしているのであれば、当事者や親の迷惑にならない範囲で支援していきたい。我々とは同時代の我々すべてを指し、苦役は我々の生活の一部でしかない。★

※田中の近況
先週は、3日プラッツ1日診察という、わりとハードな1週間でした。自分ではこのくらいはオッケーだろうと思っていたのですが、日々の疲労度を考えると、今のところはこれが限度のようです。とはいえ、4月まであと1ヶ月。あまり気合いを入れてもいけませんが、スローペース過ぎるのもよくはない。
そんなわけで今日は、入院時のような気合の入った軍隊カットにしようと美容室に行ってきましたが、担当の店長さんが気を効かせてくれて何となく80年代のようなサラサラヘアーになってしまいました。気合いとは程遠い〜。