今回は思いつくまま原発のこととメディアについて+おまけ(「サリンジャーと『おとなこども』」)

ここのところ福島原発一号機が実はメルトダウンしていたということがわかり、メディアはあっさり報道しているものの、ネット(ツイッター他)では深刻に議論されており、なんだか妙に心が落ち着かなかったのだが、昨日はこのグーグルの日記機能(blogger)が一日以上長期メンテナンスをしていて、その落ち着きのなさがさらにエスカレートしてしまった。
グーグルはメンテナンスについて何の説明もしないものだから、僕は衝動的にグーグルをやめようかと思ったりした。結局は今朝(5/14)起きてみると何もなかったかのようにこうしてbloggerは機能している。

一昔前までは、サービスを提供する側は(大げさに言うと「権力側」は)、なにかトラブルがあった際、たいした説明もせずに復旧だけしていればよかった。だが現在の世の中は、そして世界は、なにかトラブルがあった時は必ず説明を求められるし、説明したほうがさらなるトラブルを招かなくてすむ。池上彰さんじゃないけど、「わかりやすい説明力」は、サービスや仕事の補完的機能ではなく、サービスや仕事の中核となってしまった。
NPO経営・運営もたぶん同じで、この点を常に意識してサービスに組み込んでいるNPOと、説明力は単なる補完機能程度として軽視しているNPOとで、これからぐいっと差がついてくるだろう。
プラッツはではどうなんだと問われると、残念ながらまだ後者の位置にいる。現在、僕自身の仕事の中身を再構築中なので、この点も十分意識していこう。

さて、今週は「海外旅行」について書こうと思い、ネタも準備していたのだが、ここまでつらつらとエッセイ風に綴ってしまったので、今週はこのノリで続けよう。
今回の病気で連載が中断されたものの、僕は15年くらい『月刊少年育成』というマイナーな業界誌で連載を持っていた。風の噂ではこの春休刊としたと聞く同誌はなかなか良心的な雑誌だっただけに残念だ。そういえばあの15年に渡る連載も、なんらかのかたちでまとめなればいけない。でも、世の中にたくさんある「連載」たちもこんなふうにして右から左へと消えていくんですね。
それはさておき、同誌には2400字くらい毎回書いていたのだが、毎月この日の何時くらいに書こうと、まず日時を決める。僕の場合、文章は朝に書くと決めているから(頭が回転する)、だいたい午前中になる。で、その日の朝、布団の中でゴロゴロしつつああでもないこうでもないと妄想・空想を走らせ、徐々にかたちができあがる。そして、布団からガバっと飛び起き、一気呵成に40分くらいで書き上げる。頭の中で大雑把な構造はできているから、あとは文字にして形態にしていくだけ。プロの書き手の人達がどうしているかは知らないけど、僕の場合、別に資料や取材メモは必要なく現場の出来事を一般化すればいくらでも書くことはあるので、そうやってさらっと15年書いてきた。
つまりは書くことが最初からだいたい決まっているという書き方だ。

だから今回のような、人に読ませるものを思いつくまま書くというのは、90年代後半にまだネットの日記がブログと呼ばれていなかった頃にビールを飲みながらたらたら匿名で綴っていたもの以来か(でもあれは匿名だし)、ほとんど学生時代以来だ。でもこうした「ゆるさ」も今の僕にとっては必要だから(つまり精神的にはリハビリになるから)許してくださいね。グーグルが2日間もメンテしたのと、福島原発が悪いんです。
それにしても、25年前若干マスコミで働きたかったけれども大学的にと成績的に無理だった僕からすれば、あの時はマスコミに行けずに残念だったんだけど結果としてマスコミに就職しなくてよかったと思う。47年生きてきて社会の大雑把な仕組みはわかっているつもりでいても、東京電力の広告費がここまでテレビの報道を左右するのかということ、また本多勝一さんが25年前にあれだけギャーギャー書いていた「記者クラブ」の弊害が全然変わらず残っていること(上杉隆さんお疲れ様!)、これらにあらためて気づかせてくれた事故でもあった、今回のフクシマは。


★(以下、おまけ)


僕たちのドーナツトーク(月刊少年育成2010年5月号より)
サリンジャーと「おとなこども」
田中俊英(NPO法人淡路プラッツ代表)

 少し前、「ライ麦畑でつかまえて」の作者、J.D.サリンジャーが死んだ。たしか僕の記憶では、191911日生まれだったと思うから、90才を超えていたはずだ。
 なぜ誕生日まで記憶しているのか(外れていたらごめんなさい)。それは当然、僕が若い頃、サリンジャーの大ファンだったからだ。
 一般にサリンジャーの代表作は「ライ麦〜」と言われるが、僕は個人的には、「フラニーとゾーイー」のほうが好きだ。社会の「偽善」に疲れきって自宅でひきこもる妹フラニーを、兄ゾーイーが全力で励まし続けるというただそれだけのストーリーは、高校時代の僕をゆさぶった。今僕が青少年支援の仕事についている動機のひとつとして、この作品はたぶん決定的契機になっていると思う。
 サリンジャーのテーマをひとことで表すと、「無垢と汚辱」になるかもしれない。汚辱にまみれた現代社会のどこかに隠され、さまよっている無垢。あるいは、やがて汚辱にさらされることになるだろう無垢の魂」。印象的な主人公たちは、極端に肥大した自意識を持て余しながら、汚辱と無垢の真ん中あたりでさまよっている。そして、その主人公たちを救う無垢の象徴的存在として、幼い子どもたちが登場する。
 国・文化を超えて、このようなテーマにひっかかってしまう青年は世界中にいる。世界中で「ライ麦〜」がいまだに売れ続けていることがその証明だ。日本でも近年、村上春樹訳で話題になった。
 そのサリンジャーがついに死んでしまった。実は、僕はずっとこの日を恐れていた。ご存知のようにサリンジャーは40年以上隠遁生活をしていたものの、自分の青年期にもっとも影響を受けた作家が亡くなると、ジョン・レノンや忌野清志郎が死んだ日もそうだったように、そりなりのショックを受けるのではないだろうかと。
 しかし実際その日がやってきて自分でも驚いたのだが、まったくといっていいほどショックを受けなかった。30年も前に死んだジョン・レノンに対してはいまだに胸がうずく。昨年死んだ清志郎に対しては、恥ずかしながら自宅でひとり泣いてしまった。でもサリンジャーに対しては、失礼な言い方だが、何か「すっ」とした気持ち、もっと失礼な言い方をすると「清々した」気持ちを抱いたのだった。
 僕は今では、ひとの生き方について、「汚辱と無垢」といったサリンジャー的二項対立で語ることはあまりにも単純すぎると考えている。そもそも社会や大人の「汚れ」とは何なのか。そんな単純な捉え方で大人を退けてもいいのか。あるいは汚れそのものが人間であり、単純な二項対立で語れない存在がまさに人間であるからこそ、そこにさまざまな文学があるのではないか、といったような極々当たり前の考え方を僕はするようになっている。
 あるいは、「無垢」とは何なのか。生まれたての乳児でさえ、その表情は(いや、「表情」とはある程度自我に管理されているという意味合いがあるはずなので、自我のない乳児にとってそれは表情ではなく「顔を構成する筋肉の動き」といったほうが正確か)、母親の顔の部分(口や目のまわり等)の筋肉の動きを真似していると言われている。言い換えると、乳児は大人を真似して自我をつくる。乳児の自我形成のその前に、すでに他者である(汚れた?)大人が介入しているのだ。こうした点一つをとっても、純粋な無垢などありえない。
 無垢とはつまり、雑多でとらえどころのない現実社会に向きあうことのできない青年たちの揺らぐ心が一時的に避難してしまう非現実的な場所なのだ。それは、思春期青年期のある局面を文学的に表現した言葉だ。
 大雑把な言い方だが、ジョン・レノンや忌野清志郎は、人がいつの間にかこの社会の成員にさせられてしまうという暴力的な現実を引き受けながら反抗している。世界中に散らばるアーティストたちも、多かれ少なかれ、このようにして現実を「引き受け」、その結果何かを表現する。
 これに対してサリンジャーは、無垢という非現実的な場所に隠遁する。サリンジャーが好きだった若い頃、僕は同じタイプの作家を探し求めていろいろな文学を漁ったものだ。結論として、このタイプのアーティストはサリンジャーしかいなかった。仮にいたとしても、すべてがサリンジャーのあからさまな亜流だろう(ミスチルの歌詞等)。まさに唯一無比。いい意味でも悪い意味でも、それがサリンジャーだ。
 サリンジャーが死んだのに清々した気分になった、このこと自体が今の僕にとってはよろこばしい。一言でいうと、「無垢と汚辱」といった世界の単純な見方からいつのまにか僕は脱していた。もっと一言でいうと、つまり僕はきちんと「大人」になっていた。
 今回の表題の「おとなこども」とは、いつまでもサリンジャー的価値を引きずっている成人を指す(多くの場合彼らはサリンジャーを知らない)。念のために書いておくが、今回の議論はひきこもり問題とは関係ない。「汚辱と無垢」いう世界の区分、その結果としての「本当のじぶん」探しとにとらわれている大人が今の社会には少なからずいる。少子社会の徒花かもしれないが、ひきこもりを許す土壌でもあるような気がする。★