『もしドラ』は決断主義を超えるか

前回書いたように、病気後僕は新聞ばかり読んでいるのだが、ここにきて普通の本が読めるようになってきた。だが以前のように哲学書のみという偏向な読書傾向ではなく、どちらかというと軽くて読みやすいものばかりを買っている。
どうせならいつものアニメチェックと同じように、売れている本チェックもしてやれ、ということで、この頃はベストセラーものにも手を出している。その流れの中で、『もしドラ』を買った。そう、あの、『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』、だ。
『もしドラ』はアニメや映画(主演は前田あっちゃん!——しかしどこにでもAKBは出てくる。そして、現代の若者問題をそれなりに扱おうとしているこのブログにも頻出するということは、AKBは若者問題研究の必須テーマでは、なんて真面目に思ってきた)になっているとのことで、いわば時代の象徴的作品なのかもしれない。
この本を書店で見たのは碓か数年前だから、ぼちぼちと、ロングテールに、しぶとく売れ始め、いつの間にか時代の象徴的作品になってしまった。
僕はあのあざとい表紙をずっと心のなかで小馬鹿にしながら、告白すると、ずっと気になっていた。「ドラッカー」も「マネジメント」も単語としては知っていたが、これも告白してしまうと、「経営学」を僕はちょっとナメていたところがあって、25年前の大学時代からそれは変わらなかった。
経済学のほう、ケインズとかマルクスとかはわりと若い頃から読んではいた(なかなか理解できなかったが)。でも、経営学は、入門書をちょっと手にとっただけでも、エセ心理学みたいな、顧客と労働者をナメているみたいな、変なアルファベット略語だらけ(PEST,BRIO,KFS等、わけわからん)みたいな、とにかく、「本物志向」で青臭かった当時の僕(こんな学生、当時は珍しくなかった)からすると、どうも取っ付きやすすぎて逆に怪しい学問の代表、それが経営学だったのだ。

いまから思うと、当時はまだマルクスの影響が大学にも出版界にもぷんぷん残っていた頃。当時流行の柄谷行人にしろ浅田彰にしろ、マルクスを読んでなければ話にならなかった。経営学なんて、あとまわしのあとまわしだったのだ。
で、『もしドラ』だが、そのエッセンスをひとことで言ってしまうと(ストーリーは省く)、やはり、「人をいかす!」ということにつきるのではないだろうか。そのために、人に責任を与え、人の意欲を尊重し、人や組織を競争させる、このあたりが『もしドラ』の核にあたるのでは、と思ったのだが、いかが。ドラッカーの『マネジメント』が各所で引用されているが、わりと難しい文章で、その大著を完読するのはたいへんだろう。その真髄は『マネジメント』そのものにあるにしても、もしかして僕は、みなみちゃん(『もしドラ』主人公)だけで終わるかもしれない。
で、これではいけない、こんなことではまた哲学書に戻ってしまうぞと思い、次に、『9割がバイトでも最高のスタッフに育つディズニーの教え方』という話題の本を買った。50万部くらい売れているらしいから、これもまた「いま」を象徴するといってもいいだろう。
こちらは『もしドラ』よりもうちょっと実践的だが、『もしドラ』と同じく、ある程度小規模の組織(ピラミッド組織でいうと「支店」や「営業所」単位)をどうすればうまく運営できるかということがテーマなのは同じだ。
まず「ミッション」(たとえば「客の幸福」)をたて、その次に「行動指針」(たとえば「安全性」「効率性」等)を考える。そうした理念体系を整えた組織のもと、「声かけ」「笑顔」「誇り」など、スタッフ間のコミュニケーションのコツを伝授するのはいつものビジネス本どおり。なるほどなあと読み終えたものの、この本もまたそれだけで終わってしまった!

で、より本格的な経営戦略の本みたいなものを最近は研究している。まあそれはそれでおもしろいものの、25年前に抱いた「あやしさ」を脱却させてくれるものには出会っていない。出会うまで、自分の健康に注意しながらも努力することにしよう。
それとは別に、この頃僕は、もしかしてこれはある種の「新しい潮流」では、とも思うようになった。ある種の、というよりは、「10年代の」といってもいいのかもしれない。
思想好きの方であれば、「セカイ系から決断主義へ」というテーゼがあることはご存知だろう。エヴァンゲリオンに代表される「世界の危機に一人で立ち向かう90年代的私(そしてひきこもってしまう私)」から、バトルロワイヤルに代表される「そこから逃げようのない状況の中で決断していく00年代的私(決断・直面した結果ひきこもってしまう私)」へ、この20年間で若者をとりまく状況は変わってきたと言われる。
正直言っていまの僕には、本当の若者の現実を知らない絵空事っぽい話だなあとも思えるのだが、その思想を代表する本(宇野常寛氏等)を読むと、なるほどなあとも思わされる。まあ、「セカイ系から決断主義へ」というテーゼは、その世界ではプチ流行になったことは事実だ。
で、僕が病気療養しているあいだに2011年となり、本屋のベストセラー棚に行くと、『もしドラ』のみなみちゃんの表紙と『マネジメント』のドラッカーの恐い顔の表紙がずらりと並んでいる。
漫画コーナーに行くと「決断主義」の代表的なマンガ『ガンツ』は相変わらずずらっと並んではいる。その両者(『もしドラ』と『ガンツ』)の間には、深くて黒い溝はあるものの、決断主義で行き詰まった若者世界を突破するものとして、もしかして『もしドラ』のみなみちゃんは生まれたのかもしれない、とも思う。みなさんはどう思う? 決断主義から経営学的割り切り主義あるいは経営学的マニュアル主義へ、社会は思考を止めたまま(思考し続けるのは結構しんどいから)進むのか。このブログでも考え続けていこう。★