ネットワークと競争 大阪府民間支援機関会議に参加して

今月から傷病手当が終わって通常の週5勤務になっているから、先月までは今日の木曜なんかは憩いのウィークデーで、3階自宅マンションから箕面・五月山を眺めながらのんびりブログを書いていた。
だが、今月から木曜もおしごと。というわけで、今朝はプラッツにひとり早く来てブログを書いている。早く出勤して残業せず夕方までには帰るということで(僕は早起きなのでこのほうがありがたい)、通常勤務のお許しをスタッフからいただいた。

今週は先週と違ってややのんびりモード。そのなかでも、大阪府の某課において、大阪の民間支援機関(主としてNPO)が約20団体集まり、某会議があった。その成果は来年以降徐々に出てくるような気がするので、ここではそれだけの数のNPOが一同に介した光景を目にしての感想を書いておこう。

長いことこうした仕事をしていると、日常生活ではなかなかお会いできないが、そうした会議でのみお会いし、挨拶を交わし、そこそこ無難なトークを行なうという関係がいくつも生じる。今回も久しぶりにあった人、一年ぶりくらいに顔を合わせた人、そして先週も別の会議で挨拶した人など、さまざまな方がいらっしゃった。
ブログやツイッターやFacebookが当たり前となった現在、日常的にそれらの方の活動を追えている場合もあるし、本当に何年ぶりに顔を見た方もいる。

東京と違って関西の青少年NPOの活動は少し弱いかなあと最近は思っているのだが、それだけの数が一堂に会すると、それぞれの熱気を肌で感じ、僕の「関西の弱さ」への印象は誤りであったことを認識する。
だが、団体の活動規模でいうと、関西はそれぞれが若干小さいことは事実だろう。また、大阪・京都・兵庫の諸団体がわりとネットワークできていないことも事実だ。
問題(ひきこもり・ニート)そのものがマイノリティ支援の枠組みを超えて社会問題の中核となりつつあるわりには、関西は少し前の「ひきこもり支援」というマイナーなジャンルの香りを少し残している。
東京はやはり中央と直結しているため、そのあたり(ひきこもり/ニート問題が、マイノリティ支援から社会全体を支えるための中核問題へと移行した)のことを、民間行政ともよくわかっているのだろう。

いや、関西がわかっていないというのではなく、なんとなくのんびりしているなあという印象をもったということだ。少し前、そう、90年代は、ひきこもり問題をリードしていたのは明らかに関西であるという印象があった。
当時僕は一介の編集者だったが、まだ存命だった故・蓮井学プラッツ塾長を中心とした淡路プラッツでの議論は、明らかに日本のひきこもり支援をリードしていたと思う(あの斎藤環さんだって関西発行の雑誌『少年育成』でコツコツ原稿を書いておられた)。
その議論の一つを、『待つをやめるとき』という小冊子にまとめたのであるが、これは当時、いろいろなところで話題になったものだ。
それがいつのまにか(おそらくニート問題として多額の予算が下りるようになった頃から)、議論の中心は東京へと移動していった。東京(関東)の動きは僕が研究する範囲では、その思想は基本的には変わらない。つまり、ネットワークはバラバラで、それぞれが各々の活動をしているように見える。
それは変わらないのだが、なぜかパワーがある。それぞれがバラバラなんだけれども、いつのまにかそこに、熱さとパワーが出てきたような気がする。

その熱さとパワーの源はたぶん、繰り返しになるが、「問題」の的確な把握と、行政予算の額だろう。ひきこもり/ニート問題を解決することが超少子高齢化社会の問題解決へと直結している。だから行政予算がつく。その動きが結局、我が国を「問題を解決する先進国」第一号へと導いていく。
こうしたことを、おそらく直感的に関係者は感じとっている、東京(関東)は。

その点、関西はなぜかのんびりしている。90年代は明らかに尖っていた。だが10年代はのんびりしている。
これはたぶん、「情報(ネットワーク)と金(予算)」が大々的に下りる前は、関西は強いということなのだろうと思う。つまり、金はないけど、問題を嗅ぎとる直感が関西にはあるけれども、問題が表に出てしまうと、なぜか落ち着いてのんびりしてしまう。
いずれも、関西の良い点であり、悪い点だ。

ここは、規模が小さい分得意なネットワーク力を活かしつつ、のんびりしてしまったムードを跳ね飛ばす競争力がほしいところだ。いずれにしろ、我々は超少子高齢化社会という同じ船に乗ってしまっている者同士。同時代の中での、ネットワークと競争が、問題そのものを前に動かすと僕は思う。
関西のみなさん、互いにがんばりましょう!★