「ポストトウキョウ」NPO戦略と、大阪ダブル選挙

結局、橋下徹・大阪府知事は大阪市長選にトライすることになり、11/27は市長・知事のダブル選挙になった。僕は早起きだが朝から読書する気にもなれずぼんやり早朝テレビを見続けるのが日課となっているが、早朝の関西ローカル番組では、トップにこの話題が続いている。
結局読売テレビの辛抱さんは知事選には出馬せず池田市・市長が出ることになったとか、その池田市・市長は平松さんとタッグを組むことは微妙に拒否しており、平松さんかわいそうとか、まあワイドショー感覚で毎日盛り上がっています。

思い起こせば25年前、友人の松本君とさいろ社という出版社を創設したとき、彼との合言葉は「東京に勝つ!」あるいは「東京には行かない!」だった。いつもながらの関西人の「勝手に東京ライバル視」現象のひとつなのだが、そうしたスピリットは今の僕にも恥ずかしながら残っている。

47才の今にいたるまで、「東京」は僕を誘惑し続けている。何しろそこには、すべてがある。政治・経済・文化だけにとどまらず、公園や緑の豊富さにおいても、意外と東京は充実している。関西にあるのはヨシモトと臨床哲学だけだ、といっても過言ではない(鷲田先生にヨイショ!)。
結局僕は、関西に踏みとどまったまま地味〜に活動するというショボい人生になっているわけだが、人との出会いと一連の流れの中で淡路プラッツの代表を引き受け、いつのまにか10年が過ぎ、僕も脳出血という大病を潜りぬけ、そしてプラッツはいつのまにかは関西でも老舗の青少年支援NPOになってしまっている。

こういう状況の今、25年前に標榜した「脱東京」を再び意識するようになった。
東京一極集中は25年経っても一向に変化していない。それは、「天皇」とともに、「黒船」と「敗戦」の洗礼を浴びたのに変化していない日本の二大特徴と言ってもいいかもしれない。
変化しないどころか、それは洗練されてますます際立っている。その洗練さの具体例を一つひとつ挙げはしないけれども、日本では唯一、東京だけがスマートであり続けている、と言っても誰も反論しないような気がする。

そんななか、大阪では知事と市長のダブル選挙が行なわれる。大阪の地盤沈下は激しく、今回の選挙を「ポスト東京」とは誰も位置づけはしない。東京vs大阪という文脈が語られたのはおそらくバブル経済まで、それ以降は、さいろ社が東京の出版社を意識したように、まるでドン・キホーテ(大阪)と風車(東京)のような関係に二つの都市はある。

だがこういう時だからこそ、新たな「ポストトウキョウ」戦略は有効なのではないかと僕は思い始めた。特に、地域に根ざした活動を基本的には求められるNPOには有効な「ポストトウキョウ」戦略を持つべきだと考える。現在、各地方に見受けられる「ミニトウキョウ」戦略ではなく、やはり「ポストトウキョウ」戦略。
橋下さんの発想は、おそらくブレーンからのアドバイスに基づいていると思うが、何となくポストトウキョウっぽい匂いがする。従来の「反東京」ではない、ポストトウキョウ。

つまりは、ポストトウキョウには、「新世紀における新たなローカルシティ」の構築といった意味が含まれる。反東京は近代の価値観の中での反中央という意味合いだが、ポストトウキョウはベースに脱近代を置き、そのうえで展開される人の集まり方の新展開のことを指す。

これはでも、今のところ誰もとりかかってはいない。僕は、直感的ではあるが、今の大阪にはその萌芽があるような気もしている。その一端としての橋下現象であり、いまだ人気が続いていることも考えると、地下水脈レベルではポストトウキョウは始まっているのかもしれない。

そんな手始めとして、ポストトウキョウ時代における、「プレスリリース」の手法を明文化したいと思う。メディアが集中する東京ではプレスリリースは当たり前でありその定式があるが、東京以外の地域にはそもそも「プレスリリース」という発想そのものがない。
今までは僕も、大阪でプレスリリースなんかしても意味がないと思っていたものの、よく考えてみれば、先の辛抱さんに代表されるように、大阪には他の地方にはないメディアの「強さ」のようなものはある。メディアだけではなく一般大企業でも、大阪は東京本社へ出世するための保守本流的通過点だ。つまり大阪には人材が揃っている。

知人の何人かの青少年支援者にこっそり聞いても、大阪ならではのプレスリリースの定式はいまだないようだ。
地道にチラシを印刷するのも当然必要だし、ホームページの広報もなくてはならないものだし、シンポジウムの開催もこれまでどおり行なっていきたいが、それなりの器をもつメディアに乗るいうプレスリリースの方法を開発する下地は大阪には十分あると僕は思う。
そのことが、脱近代のひとつのあり方である「ポストトウキョウ」時代へとつながっていくのではないか。超少子高齢化社会問題の中核に位置するニート/ひきこもり問題を扱う青少年支援団体こそ、その手法を開発すべきだと僕は思うのだ。★