池田信夫さんだったらもっと別のやり方ができるだろうに



今日の午前中は香川県の実家で過ごし、午後から大阪へ移動する。
1年半前の大病(脳出血)をきっかけに、実家での「在宅勤務」(月4日ほど)を4月から取り入れる予定で、いまはその根回し&実験中。いまの僕の立場だと、iPhoneとMacbookairとSkypeがあれば問題なく移行できると思っているのだが、それも4月末になればわかるだろう。

ところで昨日はブログも書かず、下のようなショートエッセイをFacebookに書いてみた。23才でさいろ社(http://www.sairosha.com/index.html)という小出版社を友人の松本君と立ち上げて以来、47才のいま(NPO代表&支援者になってしまったが)にいたるまで、僕は一貫してこんな思いを抱き続けている。


池田信夫さんのブログを見てたら、またこんなある意味「正論」が。
「エネルギー政策を語るビルゲイツ」
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51777428.html
このブログには4,600人が「いいね!」してるが、これを「日本人も変わってきたなあ」とみるか、「なんでこんなにも『議論できる』人がいるというのに、日本は日本のままなのか」と嘆くか。僕は後者。
池田さんは丸山真男の本をしきりに書評していたりして、そうした「タコツボ日本文化/エートス」をことさら意識しているというのに、書くものはいつもこうしてとんがっている。
とんがってる人を支持してるが4,600人もいて「これで日本は変わっていくのかなあ」(脱原発の是非ではなく、「議論の積み重ねで根本的な制度/大システムを変えていくことが我が国では可能か」ということです)と思わせながら、実はたった4,600人だったりする。
だから池田さんみたいな人にはこんな「直球」議論じゃなくて、もっと戦略的に日本を変えていくワザを期待しているんだけど。やっぱ、めんどくさいのかな。★


このように、タコツボ社会/過剰なコンセンサス社会/大きな決定ができない社会の世界代表である日本に対して、「決定できる国にしよう」と言ってきたのが、ここ50年の日本のあり方だった。
論者レベルでは丸山真男から池田信夫まで(というか論者すべて)、経営レベルでは盛田昭夫から柳井正まで(というか日本の先端企業経営者のすべて)、市民レベルではこのようなことに関心がある僕のような末端市民も含むほぼすべてがあちこちで文句を言っている。

僕にとっていちばん身近なところでは、さっき実家の70才の母親と長い朝食を終えたのだが、朝から彼女も「決定できない我が国」を嘆いていた。
僕も一緒になって嘆きまくったので二人とも血圧が上がり(母も6年前に同じ病気で倒れている→これまた奇跡的に後遺症がほとんどない)、これは脳血管的にやばいと思ったので、僕はこうして一人静かにパソコンに向かうことにしたのだった。

このように、至極まっとうなことをあらゆる人々があらゆるレベルで嘆き告発してきたというのに変わらない(黒船と敗戦でしか「大決定」できない)国、それが我が国であって、僕にとってはこれが本当に不思議でならない。
僕が記憶している範囲では、ここ35年でまともに議論して決定できたのは「消費税導入」だけなのではないだろうか(あれもよく考えれば竹下流「根回し」かな)。その他、介護保険にしろPKOにしろ小選挙区制度にしろ、全部、「全体的にそんな雰囲気/空気になってきたので何となくそうしよう/そうなった」システム改革だったような気がする。

これがまさに「空気尊重社会」ということなのだろうが、その割にはいつも「決定できる国にしよう」という反対の提案がなされている。
僕などは、自分が「日本語が異常に上手な外国人」なのだと思って生きているので、今回のようなこともたまには書くものの、基本的には「過剰なコンセンサス社会」ニッポンに対して諦めている。

だから、たとえば、4月末からの月3日の在宅勤務導入でも、いまから地味に根回ししたりする。たぶん、丸山真男も盛田昭夫も小沢一郎も柳井正も(男ばかりだなあ)、僕とは全然規模が違うものの、このように「言うことは言うけど、実際はコンセンサスにも目配りする」みたいに振舞ってきたのではないだろうか。

Facebookにも書いたように、池田信夫さんみたいなある意味「覚悟を決めた人」で同時にすごく頭のいい人は、池田ブログにあるような直球タコツボ社会批判をしてほしくない。
もっと戦略的な、過剰なコンセンサス社会ニッポンを切り崩す見本を見せてほしい。

デリダの「脱構築」ではないが、「(多数派の)相手の懐に飛び込み、相手自身が持つ矛盾のキーワードを探り出し、それを相手の文脈の中で暴いていく」方法みたいなものはないだろうか。

ここまで書いてわかった。あ、そうか、脱構築の手法を使えばいいのか。それだったら僕でもできそう。

いまはたぶん、脱構築に使える象徴的言語/矛盾したキーワードは「ソーシャル」だと思う。★(池田さん写真はブログからhttp://ikedanobuo.livedoor.biz/