「ガラガラポン」〜原発と日本人

4月になり、身体はだいぶ回復したというものの、仕事のほうは、貧乏NPOの宿命で毎日忙しくなってきた。

気がつけば前の直島ルポから10日もたっているではないか!! この間、たくさんのことはあったが、ギトギトしていてブログ向きのネタでないことばかり。
身体も回復したついでに、ブログの内容も今年度からはもうちょっと自由にテーマを選ぶつもりだ。

というわけで、原発問題について書いてみる。

いまのこの時期は、なんですか、関西電力管内の大飯原発を再稼働するかどうかでもめているとのこと。
僕は今年で48才で、ということは、学生時代から20代前半の熱い時代、例の広瀬隆氏の反原発著書群に影響された世代でもある。
だから基本的には反原発ということで洗脳されてしまっている。最近微妙に敬愛する(と書くと嫌いな人が多いので複雑なのだが実際この人のイノベーション論は好き)池田信夫さんが、具体的データから原発の危険性を過度に心配することを批判しようが、20代前半に洗脳されてしまった反原発メンタリティはなかなか崩れない。

でも、いつの頃からだろうか、原発に対して僕はすっかり諦めてしまっている。

広瀬隆氏ほどではないにしろ、(安定した大陸にある)フランスの50基と、世界一不安定な土地にある日本の50基は、後者がヤバいことは誰が考えたってわかる。
けれども、原発はにょきにょき建設され、去年まで超深刻な事故はなかった。いつのまにか総電力の3割が原発になり、世界最高水準の生活がそれにより保証されていた。

90年頃から、世の中から「反原発」はなくなっていった。大地の不安定さ、電力会社を中心とした利権構造等が指摘されようが、我々は我々日本人らしく、「なんとなく」今の生活に馴染んできたのだ。

昨年、不幸なことに大震災が起こり、深刻な原発事故が生じた。だから我々日本人は何とかそれに対処しようとしている。与党は多くの支持団体からの声を受けて再稼働に走り、関西の自治体の首長は迫りくる総選挙を睨んで原発反対を訴えている。
その他、再稼働に関する、さまざまな動きがこれからも生じていくだろう。

が、たぶんそれらの動きも数年単位の一過性のものとして忘れ去られていく。
僕はこの頃思うのだが、我々日本人はこんな不安定な土地の上で2000年以上生息してきたため、どうも長期的な視点を持てない民族になってしまったのではないだろうか。

70〜100年単位で、国内のどこかで深刻な大地震(最近の150年でも、安政の大地震〜1850年代に複数回〜、関東大震災〜1923年〜、そして阪神と東日本)が起き、それは時期によっては連続して起きたりする(たぶん今がその時期だろう)から、我々は、70〜100年ですべてを「ガラガラポン」する癖というか国民性を持ってしまっているのではないだろうか。

そこから関連して、目の前の細かい問題の解決やものづくりは得意だが長期的視点にたった国や組織づくりができず、異常なほど「決定」できず、異常なほどコンセンサスを重視し、異常なほど「出る杭」を叩く。
これら日本人の特性は、大地震が70〜100年ごとに国内のどこかで必ず襲来する、この日本列島の自然の特徴が原因するのではないだろうか(どうせ自然がガラガラポンしてくれるのだから、すべてを「なんとなく」流していこう)。

そう考えると、細かい職人技や「現場力」には世界一長けているものの、その一方で、出る杭を叩き何も決定できず異常なほどコンセンサスを重視する我々の社会の特徴——つまりは僕が48年間苦しんできたこの社会の特徴——の原因と意味がわかる。

ちょっと荒っぽいけれども、この頃僕はすごくすっきりしている。と、同時に、原発に対してすっかり諦めていた僕自身、典型的日本人なのだなあと、ちょっと虚しくなっている。★