アートの直島〜CSRに潜む幽霊〜

新年度でみなさんお忙しいなか、僕は、ふるさとの香川県にある、最近話題のアートの島・直島に行ってきた。一泊の予定が異常低気圧襲来のため二泊になったものの、非常に楽しめた三日間だった。
個人的にも、以下のような発見があった。

写真①


直島は、ベネッセが一大投資をしてアートを全面に出したCSR活動を展開している島だ。入場料金や宿泊料などは割高なので、正確な意味でのCSRではないだろうが、企業が文化活動を通して社会に貢献するという意味では、立派なCSR活動だと思う。

ただし、同島の広告や雑誌記事等にあるようには全島がアートというわけでは決してないのでご注意を。島の北部には、高度成長期の名残の、また瀬戸内の小島にありがちな産業施設がアート的風景とは無関係に聳えているし、島民のフツーの生活は展開されている。

が、そんなフツーの昭和的瀬戸内の小島の中に、大勢の外国人観光客(フェリー乗り場はまるで国際空港の待合室のようだ)やお忍び芸能人(某大物芸能人家族と僕はホテルがいっしょだった)がうろちょろする光景は、一瞬ここがどこなのかわからなくさせてしまうインパクトをもっている。
前衛的なアート施設だけではなく、大勢の外国人やお忍び芸能人も含んだ風景全体で、「直島」になっている。そんなところに僕は惹かれた。

CSRは企業の社会的責任と普通は訳されるのただろうが、このRはレスポンシビリティのRであって、経営学的には、内部利害関係者(ステークホルダー)への責任という意味で使われることが多いのだそうだ。これとアカウンタビリティ(社外への説明責任)は対になっていて、どちらかというとアカウンタビリティのほうが最近の流行だろう。

が、哲学的には、単なる責任というよりは「応答責任」と訳されることも多い言葉だ。

我々の前には、何をする際にも、我々が「じぶん」である以前に、まずは「他」全般が先にある。「他」全般があって初めて、「じぶん」は現れる。
わかりやすいところでは、たとえば赤ちゃんは、じぶんである前に、まずは周囲の「他」全般を模倣する。その模倣の集積によって徐々に「じぶん」が形成されていく。

この「他」全般(日本語では他者と訳されるが、普通使われる他者よりは人称性がなく、「自分ではない『他』全般」と捉えたほうが西洋語の「他」に近いと思う)がじぶんの存在以前に絶対的に存在するのだから、我々は何をする際にもそうした「他」全般を意識せざるをえない。
このような「他」への意識がレスポンシビリティだと僕は思っていて、ここにコーポレートとソーシャルがくっついたCSRは、考え始めると非常に奥深い概念だと思う。

企業(ここではNPOも含む)が人々の中で存在することそのものに対して、「他」への応答責任が含まれている。英語のCSRには、言葉の裏の裏の裏に、このような微妙なニュアンスが含まれているはずだ。

おもしろいことに直島のアート群の中では、僕は、草間彌生の変なカボチャアート(写真①)にまず惹かれ、島に慣れたあとは、地中美術館でのウォルター・デ・マリア(写真②)やジェームズ・タレル(写真③)の作品、家プロジェクトでのタレルの作品(写真④ ②〜④はホームページよりhttp://www.benesse-artsite.jp/)に吸い寄せられていった。

写真②


写真③


マリアやタレルの作品はエゴを飛び越えたところにある「他」全般に吸収されるような作品だった。
いや、「他」全般というよりも、過去すべてを含めた「他」全般である、いわば「幽霊」のような場所で存在する作品だった。

特に家プロジェクトのタレル作品(写真④)は、真っ暗な場所に5分ほど座っていると徐々に正面と左右に大きな「白い面とふくらみ」が現れてくるというもので、自分の存在以前に何かがあるという、他者性全般について無言ながら雄弁に語っている作品だった。
僕は久しぶりに感動した。

写真④


CSRを展開するベネッセや、同社から依頼されてアート群を構築した専門家集団の意図を飛び越えて、これらの作品はCSRの「R」について静かに訴えているように僕には思えた。

つまり、企業やNPOの社会的応答責任性は、企画者の意図を常に超えて、人々の間に染みこんでいく。そして、企画者の意図(たとえば環境に配慮した設計や顧客受けするモネの作品のようなもの)を超え、企業と人々の垣根そのものを壊す作品(タレル)がある。

そもそも、「企業/NPOと消費者」という垣根は、単に現代社会が創りだした垣根にすぎない。企業は人為的に顧客を想像し、消費者は人為的構造の中に自らを委ねる。そのような「お約束」があって初めて成り立つ関係なのであるが、そのことをふだん我々は忘れている。
マリアやタレルの作品は、CSRという看板にまぎれて、そうしたことを思い出させようと訴えてくる。
皮肉なことに、企業のレスポンシビリティのはずが、「私たち(企業/NPO)とあなたたちを区別するものは実はないんですよ」といったことを告げる。

僕も、弱小NPOの代表としてではあるが、時々「社会貢献」や「社会的責任」といった言葉をこの頃はあまり考えずに口にしてしまう。
その裏に、こうした人為的に作られた「与えるもの/与えられるもの」といった関係があることを忘れてはならない、とタレルの作品によって教えられたのであった。★