アドボカシーのために、私は「私」を語る


■アドボカシーの厳密な定義

前回のアドボカシーネタの記事で語ったように、帰省先から戻ってきて、久しぶりに書店に行き、アドボカシー関連の本を探そうとした。
だがその前に目に入ってきたのが『世界を変える偉大なNPOの条件』(クラッチフィールド他/ダイヤモンド社)だった。この本、Facebookでずいぶん話題になっていたのだ。

パラパラっと立ち読みすると、2章で大々的にアドボカシーが取り上げられているではないか。迷うことなく即購入、2章はさらっと読み、他の章もパラパラ読んでいる。
同書で取り上げられているアドボカシーは、前回ブログで触れた2つのアドボカシーの意味(権利擁護と政策提言)のうち、政策提言のみに絞り込んでいる。

サービス受給者の「権利擁護」といっても、実際にNPOがそれに向けて動く時、現実には2つの動きが考えられる。
1つは、社会や行政に対しての政策提言(つまりふたつめのアドボカシー)、もう1つは社会に向けての幅広い広報活動だ。

経営系の本では初めて「名著」だと思った。邦題は最悪だが。


だからアドボカシーの意味をより細かく定義すると、まずは「権利擁護=『当事者』の代弁」になる。
その大前提を受けて、「政策提言」や「社会広報活動」があげられるだろう。

辞書風に書くと、アドボカシーとは、→①権利擁護(社会的弱者の主張を第3者が代弁すること)、②その現実化に向けての行動(たとえば、行政に向けての政策提言、広く社会に対しての啓発広報活動等)
となる。

だからアドボカシーをより深く問う時、現実的な②のあり方を検討する(政策提言の仕方や効果的な広報活動のあり方の吟味)よりは、一義的な①に対する問いを行なうことがより問題の核心に迫ることができる。

■当事者は語れない

①に含まれる問題を、前回当ブログでは「ひきこもり」を例にあげて、「当事者」と「経験者」の問題、さらにその周囲にいる第三者、とりわけ「支援者」の問題としてあげた。

語ることができるようになった時点でその人は「当事者」ではなくなり「経験者」になる、ということは「当事者」そのものの問題は基本的には誰も語ることができない。
このことは「経験者」の言論を封殺するものではない。それはただ「経験者の言葉」になるだけだ。

言い換えると、「当事者」は自分の問題を自分で語ることができないということがその定義(だから「サバルタン〈当事者〉」は語ることができない)なのだから、永久にその問題はリアルタイムで現れない。

ということは、道は2つに分かれる。
それは、①「経験者」か「第三者(特に身近にいる支援者)」が代弁(アドボカシーあるいはルプレザンタシオン)するか、②そのまま問題を放置しておくか、だ。

ある程度の福祉制度が整った国家体制になると②はありえない。だから、①の上手な方法を模索していくことになる。
その一つが、「経験者」による広報活動(書籍やメディア出演)であり、もう一つが支援者/支援団体による代弁活動だ。

後者がここでは「アドボカシー」と名付けられ、その実際の行動として、政策アドボカシーや講演/メディア・アドボカシーなどがある。

■欲望を直視するために「語る」

ここでのポイントは、では、なぜ第三者によるアドボカシー活動はある種の「議論」になってしまうのか、ということだ。

ここには深く「倫理的」な問いが含まれると僕は思う。
それを一言でいってしまうと、「その問題が過去の問題になった人〈「経験者」のこと〉や第三者〈「支援者や支援団体〉に、「当事者」の本当の苦しみを語ることはできない、あるいは語ってはいけない、もっというと、当事者に代わって語ることは当事者に失礼なのではないか」ということだ。

このような「倫理的」感覚が的外れであればごめんなさい。僕は別にアンケートを取って調査したわけでもなく、自分の直感だけで書いているだけだから。
けれども倫理的な問いをたてるとき、僕はいつも自分の直感の声を聞くようにしている。これまではだいたいこうした直感は当たってきた。

上の直感が少しでも当たっているとすれば、では我々はどうすればよいのだろうか。
それは僕は、ひとつしかないと思っている。

それは、(これは「経験者」も含めて)なぜ自分が「当事者」の代わりに語りたいか、その「欲望」を直視することだ。
その欲望は人それぞれだろうが、欲望を直視するために、我々はやらなければいけないことがあると僕は思う。

それは、できるだけ自分の言葉で「私」を語ること。
私がなぜその問題に関心をいだき、私がなぜその問題を解決する仕事をし、その問題を解決する団体に所属しているか、そのことをまっすぐに見つめ、そしてこれが重要なことだが、見つめたことを「語る」のだ。

語ることでそれは強固な意味になる。その「意味」が、我々が「当事者」を代弁することを倫理的に許可すると僕は思っている。★


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