西成区長に説明した〜「となりカフェ」事業と政策アドボカシー〜


■「高校中退」予防事業

のんびりした盆休みが終わっていきなり忙しくなり、残暑の厳しいなか、外に出歩くことが妙に多い一週間だった。
そのなかでも、8/24(金)に、大阪市西成区の臣永(とみなが)区長に当法人の事業を説明する機会を得たので、その内容と意味について報告しておこう。

もう少しするとホームページにもきちんとアップする予定だが(ホームページ自体も、そろそろプロにデザインしてもらおうとも思っています……)、淡路プラッツでは「となりカフェ」という事業をこの夏から始める。
同事業の正式名は「高校中退・不登校フォローアップ事業」といい、その事業名通り、日本の青少年問題の中でもその潜在的重要性においては最大の問題だと僕が思っている「高校中退」の防止について、真正面から取り組む事業だ。
いわゆる「新しい公共支援」事業の枠組みの中で、大阪府(青少年課)と組んで応募したものがこの夏採用された。

事業規模は残念ながら小さいものの、大阪府立西成高校という公立高校の生徒さんを中心とした高校生のみなさんに対して、「高校中退防止」を表看板にして支援できるというのは、僕にとって非常に感慨深い。
というのも、20代や30代になったひきこもりの青年たちの中には、高校中退以降、長期間に渡ってひきもってしまったという人たちが少なくはないからだ。

小・中学生の不登校に対する支援策は我が国でもかなりシステム化され(それでも不登校数は一向に減らないが)、淡路プラッツでも大阪市の「サテライト事業」を10年近くお手伝いしている(淡路プラッツの不登校支援)
が、高校生に関しては、今のところ地域若者サポートステーションによる「就労」の角度からの支援しかないようだ。

高校生の半分は大学に行く時代、専門学校を含めると「就労」に向かう生徒のほうが少数派となる時代、いかにサポステががんばっても「就労」の切り口から高校中退を防止することは限界がある。
そして、高校中退のほとんどは、「高校1年生」時に引き起こってしまうという事実があり、高校1年の生徒に「就労」を(いかにおもろしくいかに「使えるもの」として)語っても自ずと限界がある。
家具には力が入ってる。全体としては庶民的でかわいい空間、となりカフェ。

■となりカフェ

高校中退の予防は、「就労」という面はあくまで補助線だ(我が国のユース対策として「就労」がなぜ最初に出たのかという点については日本の青少年支援の歴史が背景にあるのだが、長くなるのでまた別の機会に)。
高校中退予防は、「就労」の前に、「高校生活の充実」という線で真正面から取り組む必要がある。そのためには「居場所」がキーとなる。
その居場所の名前が「となりカフェ」というわけだ。

事業の中身はこれから当ブログでも追々報告していくとして、以上のようなことを、西成高校がある、大阪市西成区の臣永(とみなが)区長に説明することができた。
臣永区長は、例の「橋下改革」(区長の公募)で区長になった方で、元フリーライター&徳島県那賀川町で町長をされていたという、メディアでも話題の方だ。
加えて西成区は、橋下市長の「西成特区」構想もあって、現在非常に注目されているエリアだ。

僕も一時期フリーライターだったので微妙に親近感を抱きながら面会したのであるが、確かに非常に柔和で親しみやすい方だった。
注目区長らしく、面会当日は民放のニュース番組も我々の様子を大きなカメラで取材していた。
そんな雰囲気もあり、僕は2年前の病気以来まったく緊張しないとはいうものの、周囲は若干緊張していたと思う。
だがそんな緊張感も心地よく、上に書いたような「となりカフェ」事業の意義を、大阪府の方や我がスタッフとともに熱く僕は語ってきた。

事業の成果が出るのは年度が終わってからになるが、区長への説明会自体、なかなかよい時間を持てたと思う(写真を取るのを忘れていた!!)。

■アドボカシーとレスポンシビリティ

当ブログではこの頃「アドボカシー」が流行っているが、今回の西成区長への事業説明も、すでに取得した事業とはいえ、広くアドボカシーの一環といってもいいだろう。
事業実施地区の自治体区長へ、事業の意義と具体的展開を説明し、来年度へ向けての(今回の事業は残念ながら単年度事業)提言活動をすることは、NPOのアドボカシー活動に含まれると僕は思う。

話題の公募区長、いろいろな意味で注目される西成区、そして橋下市長といった華やかな単語に惑わされてはいけない。
そうした社会の動きに時宜をみて乗ることも重要ではあるが、より重要なのは、行政(この場合大阪市独特の事情はあるとはいえ一応「区」)のトップに一NPOの活動を1時間に渡って公的に(メディアが入っている空間で)説明できたということだ。

そしてこうした活動を「アドボカシー」の一環として位置づけ、こうして団体の公式ブログで公表していき、経過を伝えることも、広い意味でNPOの説明/応答責任(レスポンシビリティ)に含まれると思う。

それにしても前回・前々回のブログに書いたように、アドボカシーはルプレザンタシオン(「代表」と「表象」の2つの意味がある)と言い換えることは可能だし、レスポンシビリティ(またはアカウンタビリティ)もこうした動きを報告する文章に差し挟むこともできるなど、これまで僕の「昼間」の仕事(NPO)と直接関係なかった「哲学」の言葉が、普通に使えるのは非常にうれしい。
それだけ時代が本当に変革期になっているということなのだと思う。時代が揺れているとき、哲学の言葉は強いんだなあ。★