癒しのパンダ~究極の「変な大人」


■なぜか「パンダ!」

きっかけは、この夏琵琶湖湖畔で行なった淡路プラッツスタッフ研修での気づきだった。それは、阪大臨床哲学/カフェフィロ講師の本間直樹さんと菊地建至さん運営による「コミュニティーボール」を使ったワークの中での出来事だった。

コミュニティーボールを投げ合いながら(スタッフ・サマー研修~変な大人は複数になる参照)、確か本間さんが、参加者の気になる動物あるいはお気に入りの動物はなんですか、という問いを投げかけた。参加者はそれぞれのお気に入りの動物を答えていき、僕の順番になった時、なぜか衝動的に「パンダ」と答えてしまった。

白浜の宿から3G回線でアップしたため画像が少し荒い。
が、その「変な大人/他者」(ここでは「変な子ども」も前にいますが)パワーの徹底的な癒しぶりには圧倒されます。パンダは基本的に動かないけど。

参加者や先生方にとっては僕特有のそれはジョークだととられたかもしれないが、僕は至って真面目で、だいぶ前に行った、白浜アドベンチャーワールドでの、5頭くらいのパンダを思い浮かべながら、あの特に抱いた独特の「変な感じ」が、衝動的に現れたのであった。
その衝動的現れとはつまり、ミョーに白浜のパンダたちに癒され和ませてもらった、あの感覚なのであった。
で、そのこと(本間さんの問い→僕の衝動的「パンダ」発言)をあらためて確かめるために、年末の極寒の白浜を久方ぶりに訪れたのであった。

■寒いのに、癒す……

前に見たパンダたちは子どもばかりだったのであるが、久しぶりの彼ら彼女らは、1頭を除いてすべて大人だった。「レンタル移籍の」彼ら彼女らはどうやら、繁殖等の理由から中国との間を行ったり来たりしているらしい。
僕にとっては、一頭一頭の名前はどうでもよく、なぜあの不可思議で超おとなしいけれどもそれなりにガタイがあって意外に迫力もある動物が、なぜ人をこれほど癒すのか、その一点のみに興味があり、激高3800円の入場料を再び支払ったのであった。

結論は……やはり、彼ら彼女らは僕を癒す。
たとえばこのポーズでいきなりお迎えだった。

ちょっと遠いが、寒いのにこれほどぼぉーっとしている。

起きているときは基本的にこのポーズ。


■高いモラルとスキルを求められる「変な大人」職人

そういえば冬休み直前、東京より某N村総研や某内閣府や某大学の方々がプラッツに大勢ヒアリングに来られ、子ども若者支援の内容についていろいろインタビューされたのだが、印象的だったのが、僕のいう「変な大人」について質問されたことだった。

なぜ「変な大人」は子どもや若者を癒すのか。そして、そのことがなぜたくさんの人の関心をよんでしまうのか(変な大人については以下の記事等を参照 「変な大人が子どもを癒す」①http://toroo4ever.blogspot.jp/2012/05/blog-post_27.html)。

それが、白浜のパンダと再会して少し整理された気がしたので、以下に箇条書してみよう。

※「変な大人」はなぜ子ども・若者を癒すのか
1.現代日本の子ども・若者は、現代社会の規範(「学校にいく」「仕事に行く」「家庭を築く」等々)を内面化しながらも、そこから結果的に逸脱してしまった自分を責めている。
2.規範から逸脱した子ども・若者は、癒しを求めている。
3.彼ら彼女らを癒すことができるのは、社会規範から逸脱した存在(=変な大人・自由な大人等々で僕は呼んでいる)である。
4.変な大人/自由な大人は、無計画的にNPOに潜んでいる(たとえば僕)。
5.が、当然の話だが、変な大人/自由な大人は、NPO以外にもたくさんいる。その一例が、さいろ社の松本君(松本康治さんインタビュー「大事なものは何もなかった」)である。
6.変な大人/自由な大人は、何も人間に限定されていない。微妙に人間的ふるまいをみせながらも、だらっと座りながら延々笹を食べるか、ぐーぐー寝ているパンダは、その代表だ。松本君やパンダは、完璧な規範からの外れ方と同時にミョーに人間っぽいところ(まあ松本君は一応人間ですが)が、我々規範に縛られている人間を脱力させ、現代社会のとりきめから別の場所に我々を誘う。
7.しかし、変な大人/自由な大人の癒しはあくまで一時的なものであり、傷ついた子ども若者や動物園に来た普通の大人は、また普通の規範まみれの世界に戻っていく。なぜなら、彼ら(癒されたほう)は、元々そこ(普通の規範社会)に戻りたいからだ。
8.いわゆる支援の専門職(PSW・臨床心理士等)の役割が有効性を持つのは、子ども・若者が普通の規範社会に主体的に戻ってきたあと、になる。
9.その頃、変な大人は次の傷ついた子ども・若者を癒している。

このように、「変な大人」がより理論化されていけば、一部の真性「変な大人」だけではなく、変な大人を「スキル」として体得していくちょっとだけ変な大人(であり専門職)の出現が許される。
だが、「変な大人」は、変な言い方だが、高いモラルとスキルが要求されると思う。それはたぶん「職人」的な領域だろう。来年はこれをより理論化していきたい。

みなさま、今年もお世話になりました。僕の身体はたぶんほとんど元に戻ったと思います。ハワイの「渚」的感覚も忘れず(「死と生命の渚~はじめてのハワイ~」参照http://toroo4ever.blogspot.jp/2012/11/blog-post_27.html)、来年もより自由に、変な大人でありながらも、欧米的NPOであることをプラッツは目指してがんばりますので、どうぞよろしくお願いします。★