「公共性」〜NPO社員に求められるもの


■斎藤環さん

あっという間に1週間が過ぎた。今週は明日火曜日に斎藤環さんの講演会が兵庫県であり、その第2部に僕は他の方々(育て上げネットの井村良英さん〈元プラッツ塾長でもある〉、関西学院大の貴戸理恵さん)と登場することになっているのだが、その報告はおそらく明後日以降になると思われるので、今回は簡単に最近のNPOに関する僕の思いつきみたいなのをノートしておこう。

おっとその前に、上の斎藤環さんイベントはここを参照くださいね。→若者の今を考えるフォーラム
そういえばついでに、来週12/19に、「茨木プラッツ」で比較的大きめのイベントもあるので、ここでお知らせしておきます。→ひきこもり、親が動き続けることhttp://awajiplatz.web.fc2.com/seminar.sinpo.html
みなさま、どうぞよろしくお願いします。

■「横取り」はNPOのほう

僕は最近やっと、「NPO職員(ここでは正社員のこと)」はまず何を獲得する必要があるのか、ということが明確になった。
それは一言でいうと、「公共性」だ。

この「公共性」の上に、それぞれのNPOの業務・ジャンルがある。たとえばプラッツだと、「青少年支援」というジャンルであり、その中に「保護者面談」「当事者面談」「生活支援/居場所」「就労支援」「親の会」等々の業務・メニューがある。

だがよく考えるとすぐに思い当たるように、このようなジャンルや業務は別にNPOでなくとも、福祉・教育・医療といった対人支援的ジャンルでは幅広く行なわれている。
面談は病院や保健所や学校や教育センター等で日々行なわれているし、居場所にしろ、教育センターや地域の青少年施設等で日常的に展開されている。

それらの業務やジャンルはNPOだけのものではないのだ。
いや、それよりももしろ、それらの業務を行なう多様な施設は何十年も前から各地域で地道に取り組みをしており、大きな成果を上げている。98年にNPO法によって誕生したNPOのほうこそ、これらジャンルや業務を「横取り」している立場なのだ。

■「いま」と公共性

だが、サービス機関が増えることはサービス利用者にとっては喜ばしいことなので、顧客の強引な取り合いさえなければそれは健全な競争だから、俯瞰的に見るとよいことだ。
ポイントは、後から出てきたNPOのほうが、先進的な諸機関との差異化をいまだきちんとできていないことだと思う。

それに関して僕は実は地道に長年考えてきた。その結果、上に書いた通り、「公共性」という言葉にぶち当たった。

もう少し補足すると、NPOとは、「『いま』という時代にそのつど対応していく公共的なあり方を模索する機関」ということになるだろうか。
単なる行政サービス機関でもなく(普通の行政機関は「いま」という時代には一歩遅れて対応する)、団体の一利益を追求するわけでもなく(これは普通の会社)、現在起こっている「公的」諸問題に行政に先駆けて取り組む、それがNPOというわけだ。

その結果の、青少年支援という「ジャンル」であり、たとえば保護者面談という「日常業務」なのだが、それはあくまでも「いま」のほうから求めてくるニーズに対応した結果としての、ジャンルであり業務だ。

■「NPOしゃらく」の公共性

たとえば、僕が最近お世話になっているNPOに「しゃらく」という団体がある(ホームページ→http://www.123kobe.com/)。
しゃらくは、高齢者の旅行付添あるいは高齢者一人ひとりに見合った旅行プランを提供する業務をメインとするNPOだ。

これなどは、おそらく、少子高齢化社会のなかで高齢者が占める重要性を考慮し、「現役世代補完」として高齢者が現役のサブ的に働くだけではなく、旅行も含めた豊かな生活の提案を行なう業務をする団体だと僕は解釈している。
つまり、「少子高齢社会への貢献」という公共性の上にたった、「高齢者旅行サービス」という業務を展開しているのだ。

この点が普通の旅行会社が行なう高齢者向け旅行案内とは異なる点だ。一見業務内容は同じでも、その底にある「公共性」という視点が、NPOしゃらくと他の旅行会社を区別することになる。

このように、そろそろNPO側も、NPO独自の意義を全面に出していく必要がある。そうすることで初めて、たとえば「寄付」をお願いする意味もくっくりと浮かび上がる。寄付行為は、今のままでは、単なる団体の資金集め(その結果の業界持ち回り)に終わりかねない危険性を持っている。

公共性のより詳しい中身については、以降、折にふれて言及していこう。★