ルサンチマンのない格差社会、日本〜書評『絶望の国の幸福な若者たち』古市憲寿・講談社

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■iPadの読書……

春からの仕事で必要があり、少し前に話題になった古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』を遅まきながら読んでいる。
読んでいる、というのはまだ完読していないからで、告白すると1章の途中と結論部分の6章を読んだだけだ。

若いのにたいしたもんだ。でも、哲学用語使えば一言で済んだのに。


というのも、iPadでの完読体験に挑戦すべく本書をネット経由でゲットしたものの、他のネット経由本(ジョブズものとか)と同じく、どうも集中して読書できない。

文字を大きくしたり縦にしたり横にしたりアンダーラインを引いたり四角枠で囲んだりと、すべて自由なのだが、目次に戻るのがめんどくさかったりアンダーラインを引いた箇所を探すのに手間取ったりと、なんとな〜く「ややこしいなあ」と思っているうちに徐々に開かなくなった。

まあそんな言い訳はさておき、今読んでいる箇所だけで簡単に同書を語っておくと、やっと出てきてくれたよ、「希望」を語らず「幸福」を語る本が!! というのが僕の一言感想です。

■ルサンチマン臭いぞ〜

現代の若者論にはたくさん「希望」という言葉があふれているが(すみません〜、玄田先生!!)、希望という言葉はシンプルで美しいものの、実はめんどくさ〜いメカニズムもここには隠されている。
つまりは、例の「ルサンチマン」臭がプンプンただよう言葉なのだ、「希望」は。

希望を熱く語った瞬間、それは同時に「今現在に満足していない」ということを告白していることになる。今に満足していないからこそ、未来に希望というご馳走を用意し、言葉は悪いがそのご馳走で人々を「釣る」。
よく比喩で出されるイソップ童話「狐とぶどう」で言うと、頭上にあるおいしそうなぶどうをどうやってもゲットできない狐は、そのぶどうをあえて「あれは酸っぱい」と思うことによってその欲望を抑える。

ぶどうをどうジャンプしてもゲットできないことを悟った狐は、あえてそのおいしそうなぶどうを酸っぱいと思い込むことでぶどうへの欲望を抑える。この、「おいしい→酸っぱい」という価値転換がニーチェのいう「ルサンチマン」だ。

現代の若者論に含まれる「希望」は、この酸っぱさに価値転換する寸前のぶどうによく似ており、社会体験の挫折を繰り返すことで、この希望は容易に絶望や憎悪へと転換する。
希望が絶望に変化すると、同時に、現在の絶望する自分を否定し始める、人は。

だからそうした否定感たっぷりの自分にたどりつかないための防衛策として「ルサンチマン」は発動し、たとえば「正社員」的生き方に対して、過労死等を持ちだしてそれまで「希望」的スタイルであった正社員を否定する。
ぶどうは甘くはなくすっぱいのだと価値転換するように、正社員は希望ではなく絶望なのだと価値転換する。

「希望」を持ち出すとそのウラにはこのような罠が待ち受けており、挫折の連続がルサンチマンを簡単に発動させ、現在の自己否定を生み出す。
「希望」的価値は、現代の最大の罠だと僕は思っている。

■幸福の世界を見つけた若者たち

同書では現代中国も持ちだして、格差社会化した我が国において、狐にとってのぶどうのような「上」を見ず、小さなコミュニティのなかでそれなりの幸福を追求しているのが、現代日本社会の「若者」だとする。たとえばこんな文章。

 経済成長の恩恵を受けられた世代を「自分とは違う」とみなし、勝手に自分たちで身の丈にあった幸せを見つけ、仲間たちと村々している。何かを勝ち得て自分を着飾るような時代と見切りをつけて、小さなコミュニティ内のささやかな相互承認とともに生きていく。(p257)

一見、ぶどうをおいしそうとは思わず酸っぱいんだと価値転換している作業をしているように思ってしまうが、ここには「ぶどう」そのものがない。
つまり、「希望」がそもそもない。
希望という価値を最初から価値として取り入れず、「村々」した仲間たちとの世界のなかで相互承認し、「幸せ」を見つける。

「村々」の外にあるであろう「希望」はそもそもここにはない。あるのはただ、みのまわりの小さな「幸福」だ。ここでは「希望→幸福」という図式ではなく、ただ単にそこに「幸福」があるという価値なのだ。

「希望」の反対は「絶望」である。「幸福」の反対は当然「不幸」だ。この本のタイトルには相当巧妙な仕掛けがなされていて、本来つながりの薄い「絶望」と「幸福」をわざとらしくつなげている。
絶望/希望はルサンチマン(自己否定)を導く危険タームであるが、「幸福」には不幸とは別の「肯定」へとたどり着ける道が用意されており、否定を遠ざけることができる。

「絶望の国の幸福な若者たち」は、あえて意味を端折ったタイトルだ。たぶん正確には、「絶望や希望というルサンチマンの罠を見限り、幸福の世界を見つけた若者たち」というタイトルが正解だろう。

おもしろいのは、この「若者」たちが実は日本国民全員を指すのでは、という最終章の示唆なのだが、この続きは近々!!★