Yahoo!ブログ、アクセス1位の意味〜発達障がいと「ニュータイプ」


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■1位のスクリーンショット

ゴールデンウィークの前半部において僕は、「変な人」や「哲学者になる」などのテーマで怒涛のブログ更新をしたのではあるが(ほとんど動画でしたが)、その勢いのままYahoo!ブログにおいて「発達障がいはあの「ニュータイプ」かもしれない」という記事も書いたところ、このアクセス数が1日ですごいことになった。

その正確なアクセス数を書いてしまうとYahoo!さんとの約束違反になる可能性があるのでぼやかすことにするが、まあ、これがすごい。
実は、「80万」アクセスを余裕で越えた数字になっているのであった。

で、2日後には「Yahoo!ニュース・個人」で、堂々の一位になった。
記念にと思って、iPadミニでスクリーンショットしたのが下記画像だ。

右端にアクセスランキング(個人)とあり、
1位が僕。4位が敬愛する江川紹子さんだったりする。
字が小さいので特大サイズで〜

この数日、Facebookを通してたくさんの「友だち」申請があったりと、わりとたいへんだったのだが、僕としてはビミョーに複雑な気持ちでもあった。

■イケダハヤトさんに見習って

Yahoo!ブログの下にはたくさんの書き込み(40件を超える)があり、そこには当然批判的な書き込みもたくさんあるが、尊敬するプロブロガーのイケダハヤトさんのアドバイス(イケダハヤト流! ネットの誹謗中傷・炎上を自分のエネルギーに変換する「回路」の作り方)に従って、僕にとっては、これらの批判は力へと転嫁できている。

まあ批判的書き込みも含めてすべてのものは実に冷静・的確なものだから、やっぱりYahoo!さんは書き込みも厳格にチェックしてるんだろうなあと推測してしまった。
だから、それら書き込みのほとんどは書き手(僕)へのエールか、それぞれの書き込み者の思い・苦悩が的確に綴られている。
また、僕への批判的書き込みも、実に的確で、イケダハヤトさんに頼らずとも、「なるほど〜」とうなづいてしまうものだったのだ。

では、何に対して僕はビミョーな気持ちになっているのか。
それは、この僕が思いつきのまま書いた(とは言いながらそれなりに熟考したのではあるが)「ニュータイプ」という表現にこれほどの方々がピンときてしまったこと、につきる。

どれだけYahoo!が日本屈指のネット媒体だとしても、無名の新人ブロガーが書いたスタートして7本目の記事に対して、80万人もの人がアクセスしてくるのは、やはりおかしい。

そして、自分で言うのも申し訳ないが、ネットブログらしく(そんな80万もアクセスがあるとは思わないし……)わりと荒っぽい文章と論考で満ちている記事であり、その「思いつき感」がネットブログの最大の長所と短所であると僕は思っているのではあるが、まあとにかく、いわばタイトルと思いつきだけの文章がここまでの支持を集めてしまうのは、ここで取り上げたテーマに対して、たくさんの方々が「何か」を胸に抱いているということなのだ。

■自閉症スペクトラム障害は実は二番目の問題

Yahoo!ブログの僕の記事の最大のポイントは、「発達障がい(特にアスペルガー症候群)の方が抱える『社会への溶け込み方の困難さ』と『(特定の部門に偏った)才能の突出(一部有名人の話ではなく、環境設定次第でどんなアスペの方もこうした力を発揮できると僕は考えます)』は、まるであの「ガンダム」シリーズに出てきた「ニュータイプ」そっくりだということだった。

DSM-Ⅴにおけるアスペルガー表記の消去と自閉症スペクトラム障害表記への変換については、実は僕にとっては二番目の問題で、最も考えたいことは、上記の「新しい人間としてのアスペルガー」だった。

ここには、①プチ優生学的発想が潜り込んでいること、も了解している。また、僕が従来語ってきた②「たとえば高度成長期にもアスペの方はたくさんいたが、社会・経済環境がその存在を目立たせることはなかった→2010年代に出てきた話ではなくある程度の普遍性をもつ話」という議論展開でご批判も受けた。

これらはまったくその通りではあるが、①に関しては、現在アスペの方々は日本ではやはり差別されることが多くあることから、マイノリティ防衛のためにもこの種の議論はある程度許されるのではないかということ、②に関しては、社会・経済状況を合わせて考えながらも、個人の能力・個性を同時に議論することは矛盾しないのではないか、というあたりを語っておきたい。

■発達障がいに対する肯定性

僕がいちばん気になったのは、つまりは「発達障がい」に関する定義付け・名づけに関して、専門家の間での議論がいかにもすべてをリード・統御しているように見えつつ、その実は、多くのフツーの方々(発達障がい当事者・家族・関係者・支援者、そして直接接点はないもののこの問題に関心のある非常に多くの=何十万人の方々)にとっては、それら専門家による定義付け・名付けが全然ピンときていないのではないか、という(事実かもしれない)可能性だ。

「ニュータイプ」は、そうした人たちの不満のはけ口になったひとつの名付けだったのだと思う。
そこには、発達障がいの方々への肯定・敬愛が含まれつつ、何らかの説明付がなされている。ニュータイプというSF設定の中のものではあるものの、肯定性と説明付のニュアンスがはっきりと含まれている。

逆にいうと、現在ある「発達障がい」をめぐる言説が、これら「肯定性に包まれた説明」が抜けているということだ。
これはおそらく、「精神医学」そのものの性格から来ていると思うのだが、ここではそこまで踏み込まない。

次回のYahoo!ブログは前回の続きを書こうと思っているのだが(あと数日以内に更新します〜)、当ブログはより「メタレベル」な感じで書くことができるので、今回の件を今の段階で振り返ってみた。★