50才のコミュニケーション〜「スピーチ」でもなく「脱自我」でもなく、「パレーシア」でもなく 

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■気楽でありながら正直に

このところ「代表病」というタイトルで2回ばかり書いてきた(「いつのまにか『権力』になってる「ついスピーチしてしまう」)。
最近はofficeドーナツトークの仕事も忙しくなってきて、たとえば今この瞬間などは、住吉区の子ども若者支援システムづくり事業の会議を終えたばかりであり、当ブログでもいろいろ報告しなければいけないことはあるのに、どうも当ブログはこの頃内省的になっている。

住吉区や高校中退・不登校フォローアップ事業(府立西成高校と桃谷高校での「高校生カフェ=居場所」づくり)についての報告は来週からまた始めるとして、今週はもうちょっとだけ内省的に。

それは、50才を前にして、この頃の僕は、なんとなく「新しいコミュニケーション」を掴み始めたという話題だ。

それは何のことはない、「語りすぎず黙りすぎず、気楽でありながら正直にその場にあり続ける」という程度のことだ。
まあこの程度のことなのだが、なんと、この程度のことを獲得するまでに、僕は40年近くかかってしまった。

40年とは、思春期開始以降ということで、ずいぶんこの40年は苦労した。
はじめは、親や教師、おおざっぱに言って「大人」に反抗するため、自分の自我をひたすら肥大化させていった。
つぎに、その自我のもと、さまざまな自我ネタ(小説やマンガや映画や音楽や思想)の作品を漁った。そのことでさらに僕の自我は大きくなっていった。

これじゃあダメだと思い、またその頃「他者」との出会いも重なり、体験は格段に広がった。
でも実は、自我の肥大化は止まらず、なんか変な方向に進み始めた。

その途中、哲学と出会い、「他者」や「脱自我」の理論を知った。同時に、仕事の幅も深さも広がって、僕の世界はどんどん広がっていった。
哲学的言葉や方法を知ったことも大きい。そのことはずいぶん僕を楽にさせた。

が、それでも結局は、僕の巨大で歪んだ自我はそれほど変化しなかったのかもしれないなあ、とこの頃考えていた。

■「思いやり」「まごころ「きづかい」

そんなとき、前職場を退職して独立したのであるが、この3ヶ月はとにかく怒涛の3ヶ月だった。
その怒涛ぶりは今も続いており、幸いにもNPOみらいずをはじめとして協働していただいている団体のみなさんとおもしろい仕事をし始め、独立前から思い描いていた「ミッションと行動指針に従ったソーシャルセクターの運営」は、ほぼ理想に使いかたちで進行している。

まあこれからどうなるかわからないものの、今の段階では本当にうまくいっている。
これからが第2段階であり、いまの計画を現実化し、来年に向けてあらたなアドボカシーを展開していく必要もある。

そんななか、不思議なことに、僕自身のあり方・考え方が微妙に変化してきた。

それは、なんというか、素直に、「思いやり」「まごころ」「きづかい」というものの大切さに気づいたということだ。
ちょっと恥ずかしいけれども、それは本当のことで、これはかなり確信に近いことだから、こうして記念碑的に書いておこうと思った次第。

これは、後期フーコーの「パレーシア」(ちょっと自信はないけど一言でいってしまうと、「勇気をもって危険をくぐりなけながら真理を語ること」)とも違う。パレーシアだけでは、やはり哲学すぎる。そこではやはり「語り」が優先されている。

河合隼雄の「ジェニュイン」というのでもない。それほど神秘主義的な要素はここにはない。

僕が脳出血から無事生還し、この8月で3年になることも大きいだろう。
そして、来年3月に50才になることも。

つまりは「死」がよりリアルになってきたということなのだが、そのことだけが原因でもない。
これから僕は、50才を越えた人達に、50才の心境とコミュニケーションの変化について、いろいろ聞いてまわろうと思っている。

多くの50才は、たぶん死のことも考えず、それこそ働き盛りなのだろうが、時々、僕みたいな「変な50才」もいるはずだ。
「変な大人」と同じで、「変な50才」は、若い人たちに向けて、その心境をその都度報告していく義務があると、倫理好きの僕は少し思っている。★