代表病②〜いつのまにか「権力」になっている 

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◼わからないからこそ、思いやる

昨日、京都精華大学の授業があり(あと3回だ!!)、ついに鷲田清一先生の『聴くことの力』(TBSブリタリカ)をとりあげた。
最終章のおもしろそうなところを学生さんにコピーして配り、同書を久しぶりに読み返したのだが、いくつかの発見というか再発見があった。
コピーして配ったのは以下のようなところだ。この部分を選んだのはそれほど意図はない。

『聴くことの力』p250。Can I help you?


「あくまでもみずからの存在の低さにあきれるそういう苦笑のなかで、ホスピタブルでありたいと思う。苦悩により『ゆたかな』意味を求めるような『苦しみ』の概念には、やはり抵抗がある」

「荷物が重くて喘いでいるひとの荷物を半分持ってあげるように、他者の苦しみをいわば半分分かち持つこと、ホスピタリティのこのような概念には、『なにかお手伝いできることがありますか?』can I help you?といった軽い言葉をむしろ対応させてみたい」

「他者の現在を思いやること、それはわからないから思いやるんであって、理解できるから思いやるのではない」

苦悩しつつ「ゆたかな意味」を求めることには抵抗がある。
「軽い言葉(Can I help you?)をあえてホスピタリティに対応させたい。
他者がわからないからこそ、他者を思いやることができる。

これらはまさに「鷲田節」であって、僕は10年前の社会人院生時代にはイマイチぴんとこなかったが、今は(特にNPO代表を辞めた今は)、これらの「あえて重くならない」「軽い言葉の中に歓待がある」「わからないあなただからこそ、私はあなたを思いやることができる」という言葉たちがぐっとくる。

これらの言葉の中にこそ、NPO代表(あるいはNPOの中心カウンセラーでもいいが)という、「システムの中心」にとどまっていてはわからないニュアンスが含まれていると思う。

■やっと「聴くこと」ができる

また、僕は、カウンセリング(あるいは「面談」全般)のなかに含まれる「権力性」にもそろそろ嫌気が差してきた。
フーコーのいう「告白」に含まれる権力関係(聞いている側〈神父やカウンセラー〉こそが権力側)を持ち出すまでもなく、その、微妙にエラソーな立ち位置が、どうにもむずがゆくなってきている。

だからといって相談を受けることをやめることはしないが、面談の時間内に生じる「権力関係」に関して、これまで以上に意識的になろうと思っている。

つまりは、「苦悩」に含まれるある種の近代的(主体を中心とした)物語性の破棄。
軽い言葉の中に他者を「迎えること」が含まれていること。
主体の力で他者は把握できないからこそ、把握できないことをまずは受け入れ、そこから「聴くこと」が始まること。
そして、「権力関係」をできるだけ意識し、それは原理的に不可能かもしれないが、そこからできるだけ遠ざかっていくこと。

ほかにも並べるといくつも出てくるだろう。
僕は、こうした考え方を、10年前の社会人院生時代に徹底的に学んだはずだった。
けれどもそれは残念ながら文字を追うだけのものだったらしい。そのあと始まった、怒涛のNPO代表生活が、鷲田先生(あるいは臨床哲学全体)が提示してくれる重要な要素(一言で言えば、主体と権力の解体)を背景化してしまったのだった。

そのおかけで、近代組織としてのNPOは無事経営基盤を整えることができた。
が、その反動として、僕は自分でも意識しないまま、おそろしく「権力的」(あるいは主体的あるいは近代的)になっていたようだ。

その権力性を脱ぐ時が10年ぶりに訪れた。
10年前、僕に届かなかった鷲田先生の言葉に、再びチャレンジしてみよう。そのとき、やっと、僕は人の言葉を本当に「聴くこと」ができるような気がする。★




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