ベビーブーマーが産んだ「ロック」



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officeドーナツトークブログ「まのまトーク」
Twitter(最近急に目覚めた!!)


❑5つのテーマに収束

今日は8月16日でofficeドーナツトークもまだ夏休み。僕も、恒例の香川県への帰省でのんびりしている。
そういうゆる〜い雰囲気のなか、昨日Twitterに衝動書きしたことをまとめてみよう。

ロジー、教えてロジー
(ルースターズ)


あと、当ブログほかで書いてきた僕の諸テーマは、たぶん以下の5つに分かれるんだろうなあと思いいたったので、しばらくタイトルの横にその5つのテーマを書いておくことにします。それらは以下の5つ。

①自由と権力
②階級社会
③NPOマネジメント
④子ども若者支援
⑤死と生の渚
今回は①の「自由と権力」論につながる話です。

❑「ロック」史

大学時代の友人や僕の弟は、あれほど好きだったはずの「ロック・ミュージックの最前線」そのものに背を向け、自分が好きだったアーティスト、たとえばジミ・ヘンドリックスやレッド・ツェッペリンやキング・クリムゾン、新しくてもクラッシュあたりをいまだに聴き続けている。

そのこと自体を尊敬はしながらも、僕は「自分だけは最先端のロックを聞き続けるぞ」と言い聞かせ、がんばってフジロックに行ったり流行りのクラブ・ミュージックをチェックしたりしてはきた。

けれども、ついに僕も白旗を揚げる時がやってきた。
大病後に音楽そのものから遠くなったこと、ジャズやクラシック等のほうが楽しめること等、年齢や身体の変化もその一因なのだが、この前突然、「あ、ロックって結局、ベビーブーマー世代が若い時に世代的集団で作り上げた一種の『世代文化』なのかなあ」と思いついたことだった。

1970年前後、主にアメリカを中心としたベビーブーマー世代(日本では団塊世代)が20才前後の頃、世代的集団でさまざまな権力やシステムに反旗を翻した動きがあった。
68年をピークとするらしい運動(パリのそれは「革命」とまで言われる)を始めとして、70年代前半から中盤にかけての反動(新左翼のテロ・内ゲバやパンクムーブメントも含め)くらいまで、「青春の反抗」は6〜7年続いた。

それらのムーブメントを裏で支えたのが「カウンターカルチャー」で、アート・広告・思想(ここに「ポストモダン」も含まれるだろう)等、様々な動きを飲み込んでいったが、その代表が「ロック」だった。

❑ディシプリン権力から監視権力・グローバリゼーション、「敵」がいない

まあそんなことはいろんな雑誌に書いてるからさらっと飛ばすとして、そのカウンターカルチャーを形成したのが、若きベビーブーマー世代/団塊世代であったことが重要だ。

とにかくベビーブーマー世代は数として多かった。言い換えると大きな人口ボリュームだった。大きな人口ボリューム世代を精神的に支えたものがロックであり、そこには豊かな表現を備えた作品群が大量に生産された。

音楽性自体は、「ディシプリン権力(たとえば、田中のYahoo!ブログ「給食」ディシプリン権力とは?参照)」への反抗という単純なものだったが、単純な「カウンター/対抗」文化のゆえ、そこには今日まで通用するすべての要素が注ぎ込まれていたのではないかと思うのですね。

ディシプリン権力への反抗→単純な(そして普遍的な)カウンターカルチャーとしての音楽=ロック→その時点でロックという形式で表現できることはほとんど出し尽くされた→その再生産がいまもまだ続く、という構図がまずはある。

これに加えて、現代の「権力」が単純なディシプリン権力だけではなく、街中のカメラ配置、クレジットカードによる「欲望」の分類、外食産業や教育施設の中の座席配置等々、権力主体が見えない網の目のように広がった「監視権力・生権力」の要素も加わったため、70年ころのような単純なカウンターテーゼができない。

また、ロック的な「敵」をあえて設定すると、そうした監視権力のほかに「グローバリゼーション」も設定しなければいけないが、皮肉なことに、世界的音楽(商品)となった(あるいは世界音楽を目指す)ロックは、グローバリゼーションの立派な販売戦略の一員に取り組まれているから、よほど「内部から崩壊させる」的戦略がない限り、それは単なる「ロックという名のグローバリゼーション」になってしまう。

つまり、シンプルなディシプリン権力へのカウンターだけでは、現代の反抗は現実化できない。敵は、①監視(生)権力と②グローバリゼーション(自らも「ロック商品」にさせられる)という、ものすご〜くあいまいだけれども強力なシステムだからだ。

❑抜け穴

だから人は、「あの頃」に戻る。あの頃とは、権力といえばほぼディシプリン権力を指していた頃、つまりは1970年あたりだ。
その頃、人口ボリュームとして、「若者」が大量生産されていたということもあり、「ロック」は成り立った。

あの頃は、今と比べると遥かにシンプルでわかりやすい。権力と自由、敵と味方、大人と若者等々、すべてのものが単純でクリアだった。

といいつつ、グローバリゼーションと生権力からこぼれおちるものはこの時代にも生産されるのではと、再結成したルースターズの映像を見てぼんやり思ったりした。
精神的病から20年かけて帰ってきたように見える大江慎也の表情は、グローバリゼーションと生権力の「抜け穴」を教えてくれそうなのだ。★















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