時間は断絶するほうがリラックスできる〜沖縄・石垣市への出張〜

石垣空港。旧空港より広くなり、直行便も。

■石垣に行ってきた!!

2月14日〜15日、バレンタインデーなどすっかり忘れたまま、沖縄県・石垣市に一泊出張に行ってきた。
去年後半から始まった、内閣府の仕事(「困難を有する子ども・若者及び家族への支援に対する支援の在り方に関する調査研究企画分析会議」委員)の一環で、石垣市でのユースアドバイザー養成講座等の講師として伺った(他のモデル自治体にもこの冬は呼ばれており、同講座とセットになっている「『子ども・若者支援地域協議会』づくり」のお手伝いを少しだけしている)。

まあそうした委員・講師仕事のあり方については、より一般化・抽象化していずれ考えていきたいのだが、ここでは、「石垣一泊二日」という時間の過ごし方について綴ってみたい。

■ミッションのためなら

僕にてとっては20年ぶりの石垣だった。あの頃は直行便も格安チケットもなく、ずいぶん時間とお金をかけて辿り着いたという記憶があった。
20年前もすべて飛行機で行ったものの、那覇で南西空港に乗り換える必要があり、何よりもかなりのお金が必要だった。

旅先としては(戦後問題や歴史問題としては最大の関心あるが)、僕は沖縄にはあまり興味がなく、そうした時間と経費がかかる石垣には(沖縄本島は諸事情で行くだろうが)もう一生行かないだろうなあと思っていた。

が、今回、内閣府〜野村総研(運営担当)ラインから仕事がやってきたため、旅先とは別の意味での、いわば「法人ミッション」として喜んで引き受けた。
officeドーナツトークのミッション「子ども若者と『サードプレイス』をつなぐ」に少しでも関わる仕事であれば、僕は何でも引き受けることにしているからだ。

で、石垣に一泊二日で行ってきた。
格安チケットであるスカイマークの飛行機は、神戸空港から7:30に出発する。ということは、逆算していくと、6:00頃には自宅を出なければいけない。ということは5:00起きだ。

僕は朝早いのはなんの苦痛でもなくいつも目覚めているし飼い猫のマーちゃんに毎日5:30に朝ごはんを出しているから、まったく問題ではない。
当日、実際は4:00に起きて淡々と準備をして淡々と出かけた。心配していた雪の影響もなく、神戸空港に着き、飛行機に乗った。

■はやすぎる〜

スカイマークは、行きは神戸からだと2時間20分くらいかかる(帰りは2時間切る)。それなりの長時間移動なのだが、飛行機2時間なんて、実はあっという間。ゴゴゴーッと飛んで、時々揺れて、何か耳が変で座席も狭く、トイレもめんどくさく、といった機内では、人の身体はかなり緊張しているかもしれないせいか、なんとなく時間が早い。

だからあっという間に石垣に着いた。で、20年ぶりにこんな光景と再開した。
石垣空港から。遠くにサンゴ礁がブロックする外海を仕切る白い波の線。

で、空港に着いたのは早かったがいろいろパソコン仕事があってそのまま空港のカフェで3時間ほど仕事していた。午後になって石垣市の職員の方が車で迎えに来ていただき、この石垣市保健福祉センターに連れて行ってもらえた。
健康福祉センターはどこも同じ佇まい。でも石垣のセンターは結構広い。

講演はいつもどおり盛り上がり(最近はどこに行ってもなぜか盛り上がる。講演後、拍手が自然に〈これもなぜか〉沸き起こる……自分では理由がいまいちわからない)、その後「石垣市青少年センター」も見学した。で、その後、関係者のみなさんと石垣のナイスなお店で懇親会を行なった。
渋い、石垣市青少年センター

■20年ぶり

次の朝、これも早く起床して空港にタクシーで戻り、昼頃神戸空港に帰ってきてそのまま三田市でプチ講演、という強行軍だった。脳出血後3年半、だいぶ元気になった今こそが危ない、というわけで、その夜は大急ぎで帰宅し風呂に入って寝た。

で、次の日は箕面市で講演と、淀川キリスト教病院脳外科主治医に「たいがいにしとけよ」と怒られそうだが、なんとかそうしたハードスケジュールも切り抜けた。

で、何が言いたいのかというと、お金が格安になったことはありがたいものの、時間まで超短縮されたことにより、石垣は「一生に一回行くかどうか」の非日常ではなく、かなりの日常的存在になってしまったということが残念だったのだ。

僕の自宅から神戸空港までは、1時間くらい。そこで少し待ってビューンと飛んで着陸すると、眼前には、あの世界一の珊瑚礁がつくりだす波線が海に描かれている。
その「時間の連続性」に、僕はなぜかクラっとなってしまったのだった。
石垣港はその日も平和


■飛行機に乗ると「時間の蝶番」が外れるのに

時間が予想内で続く限り、人生も予想内で続く。予想というのは言い換えると、人間の予想や想像や認識の範囲で、という意味だ。

人間が未来を予想し想像し認識するその「未来」とは、所詮人間の能力内の未来にしか過ぎないと僕は思う。
日常の中には常に破れ目みたいなのが用意されていて、その破れ目が現れた時、我々はドキドキするものの、そこで一瞬時間の繋ぎ目が外れてしまう。

日常が破れた時、時間のつながりが外れ、そこに予期せぬ「未来」が生じる。
こうした事態が起こるからこそ僕は人生はおもしろいと思っている。それは、ドゥルーズの哲学(『差異と反復』等)を学んでいた頃から理屈としてはわかっていたのだが、特に3年半前の脳出血後、一度「死」を通過してから実感するようになった。

飛行機による遠方への移動というのは、日常の蝶番(ちょうつがい)をはずしてもらう絶好の機会でもあると僕は思っている。
旅先の空港に着陸し、そこで味わう「時間の外れ方」は、我々人間の防衛本能かもしれない「日常の連続性と予定調和な反復意識」を根本から揺さぶる。

■なぜ「こだま」に乗るか

が、便利で早くて安い(けどやっぱ安いのは歓迎ですね)スカイマークは、時間を外すことなく僕を石垣に連れて行った。
だから、予定と見通し通りに僕はその2〜3日を過ごすことになり、新しい発見はなかった(仕事上のおもしろさとは別の、哲学的発見です)。

今回のことで、なぜ僕が東京への移動に、いつも「ひかり」や場合によっては4時間以上かけて「こだま」を利用するのか、その意味も了解できた。
僕は、日常の、我々の意識が把握し安定しようとする時間のあり方を崩す機会をいつも狙っているんですね。

「こだま」に乗ってあちこちの駅でしょっちゅう待つことは、僕のもつ「時間の蝶番」を止まるたびに外してもらっているんだと気づいた次第。
だから、一昨年ハワイに初めて行った時、ハワイアン航空のトラブルで行きにいきなり関空に一泊したのだけどまったく腹も立たなかったのはそういうわけか、とも思ったのです。★