自己実現のフロンティア〜「劣化」の根源


■未知のフロンティア

自己実現のフロンティア、あるいは未知のフロンティアとは僕の表現ではなく、「『社会的インパクト評価』を評価する」で話題の、静岡県立大学・津富宏教授の表現だ。

津富先生とは、「劣化する支援@静岡」(2017年12月)でもお世話になった。
現在、「劣化する支援」シリーズを筆頭に、社会貢献という名のソーシャルベンチャーたちを「批評」する動きが徐々に顕在化しており、津富先生はその動きの先端にいると僕は認識している。



津富先生 これはスクリーンショットなので、
5分ビデオは下に
マルクスのいう「労働力の商品化」は否定的意味合いで用いられるが、若者の就労支援や社会参加を意味づける時、この商品化がどちらかというと無批判に応用されていると、どうやら先生は考えられているようだ(よく考えたら正面から聞いたことなかったので、僕の想像です)。

ひきこもりの若者が社会参加(就労)しその労働力が「商品」となる時、マルクス的(経済学者のマルクスではなく、今でも有効な哲学者としてのマルクス)には「個人(自由・平等等)の収奪」になる。

だから労働力の商品化は非常にネガティブな概念なのだが、昨今の若者への就労支援は、この「商品化」をどちらかというとポジティブに捉え、人間の社会貢献の一要素として位置づける。

商品化のような哲学的見方をせずとも、労働力の社会への貸与は、納税義務というかたちで具体化する。また、理念としてしては個人の将来保証だが、実態としては巨額のマネーとして運用される社会保険財源も、ある種の二番目の税だ。

商品化された労働者(若者)たちは、結果として社会に貢献するので、若者たちの就労は、社会にとっては「善」だ。
が、個人としての商品化は、個の自由を収奪し、独立や平等といった基本的立ち位置を奪っていく危険性がある。

■「働ける若者」にその資源を集中投下

社会的インパクト評価は、僕もまだ研究中ではあるが、どうやらそうした「商品化」を肯定するための便利な道具のようだ。
またこれを根拠にする若者サポートステーション等の就労支援機関も、商品として市場に出せるものを優遇することになる。

商品として市場に出せるものとは、つまりは「働ける若者」のことだ。
だから、昨今のサポステは「働ける若者」にその資源を集中投下する。逆に働けない若者、あるいは働くまでに長い時間を要するほとんどのサポステ利用若者たちには、それほこだわらない。

厚労省がこれを後押しし、働きやすい若者をさらに就労支援していくという大きな流れがつくられる。
大まかに、ニートやひきこもりが60〜70万人程度として、その5%でも(僕の観察ではこの程度の割合で「働ける若者」はいるように思える)働けば、60万×5%=30,000人だ。

サポステのホームページでは、一昨年の就労者数が14,000人程度だから、5%にいかなくても、2.5%程度の実績でもオッケーのようだ(数字でわかる サポステの実績!)。
言い換えると、97.5%のひきこもり若者は「商品」にならなくてもいいということだ。

■おしゃれNPOを忌み嫌い遠ざける

おそらく津富先生は、こうした若者就労支援のもつ危うさに警鐘を鳴らし、それを根拠付ける「社会的インパクト評価」をだからこそ「評価/批評」しているのだと思う(これにもとづく休眠預金運用も)。

そうした視点をもつ津富先生が、おしゃれNPO(特にその代表たち)に対して、「自己実現のフロンティア」を探す人々と位置づける。

僕もまったく同感で、少し言い換えると、「自分探し」のために、貧困問題がある。

貧困という、どちらかというとあまり接したことのない事態に対して、無邪気にかかわっていく。
どうやら貧困らしい「子ども食堂」の利用者に対して深く観察することなく、接する。
また、学習支援の呼びかけに集まった子どもたちに対して、素朴に接していく。

それはまったく悪いことではない。
現実としては、貧困層にも地縁がある層や、まったく周囲(あるいは中流層や下流上部層)から孤立している層がある。この、中流層や下流上部層から孤立している人々を僕は貧困コア層と仮に名付けているが、この層は、おしゃれNPOを忌み嫌い遠ざける。

■存在の無視が暴力

遠ざけているから、おしゃれNPOたちにはなおのことその存在がわからない。
おしゃれNPOはだから、自分の人生の探索のために「貧困支援の現場(子ども食堂や学習支援)」に出向き、そこで自己完結する。

そこで出会った人々とのコミュニケーションの体験を普遍化し、そこでの気づきを自己成長の糧としていく。

普遍化と自己成長の糧は、言い換えると「自己実現のフロンティア」ということになる。

この無邪気さとおおらかさは、その感受性の鈍さという点では、「暴力」といってもいいのではないかと僕は思う。
自分のためにフロンティアを探し、目指し、そこに立つ。そこでの気づきと体験はもちろん重要ではあるが、もちろんそれがすべてでもない。

たくさんの「潜在性」(虐待サバイバーや長期ひきこもり等)をこぼしている、潜在化させている。
自己実現のために、たくさんの潜在性を生む。

このことが、原理的根源的には「暴力」だということだ。自己実現は潜在性の創出につながり、その存在の無視が暴力である。
これらが、「劣化」の1つの根源だろう(^^)。



津富先生「『社会的インパクト評価』を評価する」5分ビデオ