「アルバイト」という言葉はなかった〜「気持リベ中ネオ」の理由


毎年、今頃になるとストライキがあった

前回、気持ちリベラル、実は新自由主義」の記事を書いたあと思ったのは、「そうか、70年代生まれの団塊ジュニアたち(現在40才前後)は、新自由主義より前の時代を知らないんだ」ということだった。

世界で初めての新自由主義は、僕の記憶ではイギリスのサッチャリズムだった。その次に、レーガンや中曽根の時代がすぐにやってきた。
僕がちょうど高校生から大学生の時代。

その頃は、田舎の高校生でありながら、社会が息苦しかった。いまも息苦しいが、いまの慌ただしさとは違った、そう、社会全体が「壁」のような感じだった。

毎年、今頃になるとストライキがあった。毎年、冬になると東北や北海道の男たちが出稼ぎに出るニュースが流れた。よくわからないが「全共闘運動」のことが語られ、陰惨な内ゲバのニュース(鉄パイプで学生が学生に殺されていた)が時々流れた。

仕事の形態は「就職」しかなかった。「アルバイト」という言葉はなく、非常勤形式はみな「パート」と呼ばれ、一部の既婚女性の人生の形態だった。

それまでは多くの女性は専業主婦だったと思う。僕の母親は僕が小5くらい(75年頃)から工場の正社員として働き始めたが、それはまだ僕の田舎(香川県の郡部」では非常に珍しい生き方だった。

海外では、イギリスでも頻繁にストが発生し、パンクロックが生まれるほど若者たちが怒っていた。日本の音楽好きの10代はそこまで追い詰められていないから、なぜ稚拙なパンクロック(セックスピストルズやクラッシュ)なんかがもてはやされるのだろうと僕は怒っていた。それだったら、レッド・ツェッペリンやビートルズをもっと流せ、と。

ロマンチックな歌が好きだった

僕が田舎出身だったこともあるが、とにかく社会が止まっていた。
そこで出てきたサッチャリズムは残酷で、イギリスの労働者はどんどんクビになっていった(と報じられていた)。
それに対して、セックスピストルズが「アナーキーインザU.K.」ほかを歌ったが(正確にはピストルズはサッチャー出現以前だが、その怒りは普遍的だった)、なんとなく軽かった。

やっぱり僕にとってのパンクはクラッシュで、ジョー・ストラマーが歌う「ロンドンイズバーニング」はピストルズの諸曲よりも説得力はあったが、クラッシュが疲れ始めた「ロンドン・コーリング」以降のほうが音楽としては熱狂した。

3枚組の「サンディニスタ」は5000円もしたものの、おこづかい全部を握りしめて発売日に田舎のレコード屋で興奮して買った高2のあの日は今も忘れていない。

アルバムの中でも「レベルワルツ」というロマンチックな歌が僕は好きだった。

I slept and I dreamed of a time long ago 
I saw an army of rebels, dancing on air 
I dreamed as I slept, I could see the campfires, 
A song of the battle, that was born in the flames, 
And the rebels were waltzing on air. 
 眠り、昔のことを夢見た
 無法者達の軍勢が空に舞うのを見た
 眠り、夢を見た
 夜営の火を見た
 炎の中から生まれた戦いの歌
 無法者達は空にワルツを舞う
Rebel Waltz」  Sandinista!より

はるかかなたのニカラグアで反逆する人々を僕は思い浮かべ、サンディニスタ民族解放戦線とかずいぶん調べたものだ。

忌避する先は新自由主義しかないのだろうか

そんな、甘酸っぱくも暴力的なゲリラ的生き方は、空想主義でジェンダーバイアスもバリバリで、だからこそ直後に起こった新自由主義の勃興を容易に招いていしまったと落胆したのは、それから 10年後くらいか。

また、以上のロマンティックでかっこ悪いサヨク的価値を、70年代に赤ちゃんだった団塊ジュニアたちが毛嫌いするのもよくわかる。確かに気持ち悪いもんなあ。

だから、直感的に、70年代的停滞を突破した新自由主義(行政のスリム化と民営化)を彼ら彼女らは選ぶのだろうか。
あんな、意味ないストや内ゲバの時代は二度とごめん、という80年代がたどり着いた結論(その結果10年後のバブルになってしまったが)を直感的に引き継いでいるのだろうか。

「スタイルはリベラル、中身は新自由主義」を平然とこなしていく団塊ジュニアたちをここでは批評している。

ロマンティックなレベルワルツのくだらなさ・恥ずかしさを忌避する先は新自由主義しかなかったのだろうか。暑っ苦しい60年代的弁証法は論外、一見軽薄なポストモダンは誰もついてこず、では、何が残されていたのだろう?

ブレアの「サードウェイ」は新自由主義の亜流だとされているようだが、やはりあそこには希望はあった。

その希望の意味を知らずして団塊ジュニアたちはそれに飛びついたのであろうが、団塊ジュニアの次の次の世代あたりに「ほんとうのサードウェイ」を構築してほしい。

















クラッシュ「レベルワルツ」