サバルタンか、雑なシステムか〜「隠される声4〜バスカフェ視察事件」を終えて

 

■19世紀イギリス人とサバルタン〜「仲介者」の必要性


植民地運営をうまく行なうには、支配するその土地に居住する有力者と良好な関係を結ぶことだと言われる。

たとえば19世紀のインドであれば、植民者のイギリス人たちは各地の有力者と平和な関係を築き、カーストの下流層を上手に潜在化させた(サバルタン化させた)と、スピヴァクは『サバルタンは語ることができるか』(みすず書房)の中でやんわり言及していた。

9/23に行なわれた「隠される声4〜新宿バスカフェ視察事件」で、みのやゆうこさんと語り合ううちに僕が思い出したのが、上の植民地運営とイギリス人のことだった。

バスカフェを視察した国会議員関係者はずいぶん失礼な振る舞いをとり、のちに主催者に謝罪することになる。

当事者であるハイティーン女性、バスカフェ支援を行なうNPO、そのNPOに所属するピアサポーター。

そして、そのバスカフェで圧力ある振る舞いを見せた国会議員たち。

貧困支援や若者支援に関心あるものであれば誰もが応援するであろう、新宿でのそのバスカフェ支援が注目され当事者がさらに集まり規模の拡大を射程に収め始める時、従来の管理システムだけでは拡大できない事態が必ずやってくる。

その際、「仲介者」が必要になる。この場合、その仲介者はバスカフェNPOたちだった。だが、議員(これがイギリス人)を含め関係者は、当事者と支援者とピアサポーターと良好な関係性を築くことができなかった。

19世紀イギリス人のように、「植民者」の国会議員たちは戦略的振る舞いが取れなかったのだ。


■「子ども保存食」


9/23の「隠声4」では、バスカフェ事件と同時に、「子ども宅食」に31億円もの予算が付いたことにも言及した。

それは「宅食」というよりは「子ども保存食」と言ったほうが配給食品の中身をより正確に示したネーミングになるのだが、その子ども宅食事業においても、60人以上の国会議員たちが賛同を示している。

それは第二次補正予算に取り込まれ、全国展開する予定になっているようだ。

この場合も、「議員」が宅食(実態は保存食だが)事業に絡んできている。

子ども宅食推進の中では、バスカフェ視察のような議員(植民者)と運営事業者(仲介者)とのトラブルは聞いていない。むしろ、議員団団長と、NPO代表の良好な関係がネットメディアなどで散見される。


■ ピアサポート代表とソーシャルビジネス代表


この二つの違いはどこから来るのだろうか。

それは、担当NPOがどちら側を見ているかによると僕は思う。

バスカフェNPOのほうは、当然ハイティーン女性当事者のほうを見ている。

高名なそのNPO代表自身、ハイティーン時代に東京を彷徨い、人生に迷ったと著書の中で書かれている。代表自身がピアサポーターであり、スタッフもそれに続き、そのNPO自体、ピアサポートNPOと言ってもいいと思う。

そのNPOは、常に当事者サイドに立ち、当事者がさらなる傷つき被害に遭わないよう最新の注意を払っている。

一方で、子ども宅食(保存食)NPOの代表は、さらに有名な方である。だが、バスカフェ代表とは異なりピアサポーターではなく、どちらかというと「ソーシャルビジネス」経営者といったほうが実態に近いだろう。

もちろん宅食代表も当事者たち(この場合「保存食」を受け取る下流層)を見ているだろうが、それよりもこのソーシャルビジネスを成功させるためのネットワークづくり、特に「植民者」たる国会議員たちとの関係性に重点を置いていると思われる。

ソーシャルビジネスを展開しそのビジネスに寄付や行政予算を集約する時、当然必要になってくる態度だ、それは。

その「保存食」(それは貧困当事者にとって「主食」であるが、僕の知る貧困当事者はそれが主食であることを隠している。プライドの問題なのだ)を受けとる当事者の気持ちはおそらく二次的なものだろう。


■ 当事者サイド優先かシステム構築優先か


その保存食が「主食」であるとバレる時の傷つきは、そのソーシャルビジネス代表者にとってはそれこそ二次的で、それよりもこの雑なビジネスシステムを全国に展開することを何よりも大切にしていると思われる。

この二つのNPOの形態(当事者サイド優先かシステム構築優先か)の、あなたはどちらが好みだろうか。

潜在的問題に焦点を当てるスピヴァクらポストコロニアル哲学やその背景にあるデリダを中心としたポストモダン哲学主義者の僕は、当然当事者(サバルタン)サイド優先になる。

この二つは融合することなくどちらかというと敵対的なものである。

どちらを選ぶかによって、それぞれの好みと生き方が炙り出される。